読書感想 : 『シェイクスピアの正体』

 

『シェイクスピアの正体』 河合 祥一郎 新潮社(2016/5/1)

本書のテーマはシェイクスピア作者問題です。

高校生の頃、世界文学とされるものを一度読んでみたいと思い立った時に、手にしたのがシェイクスピアの作品(『ウェニスの商人』)でした。本屋さんに並ぶ世界文学の文庫本の中で、シェイクスピアの本がもっとも薄かった。これなら私でも最後まで読めるかも、と思ったからです。本屋さんにシェイクスピアの本が置いていなくて、薄くない本ばかりでしたら、本の厚さに気後れし、私が世界文学に触れる機会はもっと遅れていたか、あるいは触れることなく終わっていたかもしれません。シェイクスピアは世界文学への扉を開いてくれた作家でもあり、私にとっては思い出深い作家の一人です。

 

そんな私の思い出話はさておき、シェイクスピアにはある噂がつきまとい続けています。それは、シェイクスピア作品を書いたのはシェイクスピアではないのではないか、というものです。

 

研究され尽くされているであろう世界的作家に、そんなことが本当にありうるのだろうかと脊髄反射的に思ってしまいます。ですが、これは「シェイクスピア作者問題」として今なお世界的に研究が進められているシェイクスピア研究の一大テーマのようです。

 

著者はこのテーマに正面から取り組みます。本書は、最新の研究動向を踏まえつつ、様々な学説を紹介、検討し、最終的に著者自身の解釈を提示するという構成になっています。

シェイクスピア作品を書いたのは誰?

そもそも、「シェイクスピア作家問題」、言い換えればシェイクスピア別人説はどうして生じるのでしょうか。どうやらその根っこは一つのようです。

 

別人説を唱える人は共通して、

 

シェイクスピアは、ストラットフォードという田舎生まれの田舎者、高い教育を受けたこともなく、職業は舞台役者。シェイクスピア作品にみなぎる貴族性、法律や政治や海外事情などについての幅広い知識、宮廷との関わり、語彙の豊富さなどを考えると、シェイクスピアにシェイクスピア作品を書けるはずがない、

 

と考えるようです。

 

こうした認識を出発点として唱えられる7つ(!)の別人説全てを、著者はばったばったと斬り伏せいていきます。ここら辺の議論はスリリングで、著者もいうように、読者は「名探偵」の気分になって読み進めていけます。別人説の根拠となるアリバイを一つ一つ崩していくわけです。

 

その際に著者は、文献的な根拠をあげるだけでなく、シェイクスピア作品が生まれたエリザベス朝時代の政治的、文化的、社会的背景、特に当時の宗教、劇作家、著作権、舞台上の慣行等の実情を具に確認し、今と当時のそれらのあり方の違いを指摘します。別人説の根拠には、今の常識で当時を見ることによって可能となる議論が紛れ込んでおり、今と当時の常識の違いを踏まえるならば、別人説の根拠は維持できないと著者は主張するのです。つまり著者は、シェイクスピア別人説は、今の常識を過去に当てはめてしまう愚を犯しているゆえに生じるものと断罪します。

 

すでにお分かりかと思いますが、著者は最終的に、シェイクスピア作品を書いたのはシェイクスピア本人であるという(穏当な)結論を取ります。

 

私は著者の主張は説得的だと思いましたが、著者に批判される側の別人説の主張もそれぞれ面白く、「名探偵」の敵役として申し分なしです。よくもそうしたことを思いつくなと感心させられました。