映画感想 : 『スウィート・ノベンバー』

 

『スウィート・ノベンバー』 パット・オコナー監督 ワーナーブラザーズ(2001年)

明日から11月です。

広告代理店に勤めるエリートサラリーマンのネルソンはある日、風変わりな女性サラと出会い、“今日で10月は終り。あなた、私の11月にならない?”と突然持ちかけられる。サラいわく“自分には問題を抱えた男を救う力があり、仕事人間の不幸なネルソンを助けてあげる”というのだ。勝手なもの言いに怒るネルソンだったが……。

 

要するに、あるサラリーマンが見知らぬ女性と出会い、どういうわけかその女性から11月、ひと月だけの恋人契約を打診され、そこから恋の展開が始まる物語。

 

あまりに唐突すぎる提案。率直に言ってこの女性は何を言っているのだろうと思いました。そしてまさかこのとんでも提案をお話の柱にしてストーリーを進めていくのかと、見始めてすぐに不安がよぎりだしました。

 

もちろん、設定がトンデモでも、それだけで映画がつまらないと言うわけではありません。例えば、『ゴジラ』のように怪獣が現れるような設定も、冷静に考えればとんでもです。重要なのは、とんでも設定だとしても、それをそうしたものとして感じさせないことです。視聴者がその世界に自然に入り込んで行けるということです。

 

本作は、その点でまず失敗しています。

 

と言っても、その設定のとんでもぶりを忘れさせてくれるような面白い展開がその先に待っていれば、問題はありません。

 

ですが、本作はそうでもありませんでした。

二人が惹かれあっていくプロセスの描写が弱い。

11月の恋人として生活を始めることになった二人。二人は徐々に惹かれあっていく、という展開なのだけど・・・。

 

この惹かれあっていくプロセスの描写が弱い。はっきり言ってどうして惹かれあっていくのかがよくわからない。美男美女だからとしか思えないww 確かに目隠し鬼ごっこなどをして仲良く遊ぶシーンが描かれたりもしますが、”契約”として一緒になることになった二人が、それ以上の思いを持つようになっていく描写としてはあまりに説得力がありません。

 

お互いの人間性が露わになるシーンを挿入して、それを機にお互いの気持ちが揺れていくというプロセスが欲しいところ。それがない。船のラジコンレースシーンをめぐるドタバタがそれに当たるのかもしれませんが、そのシーンは二人が惹かれあっていくシーンとしては描かれていません。(あのシーンって一体なんのためにあったのだろうか。)

 

二人の惹かれ合いに説得力がないため、その後のポイントとなる場面も、上滑りの感が否めません。

 

例えば、ネルソンが好条件の仕事のオファーを断る場面。サラと出会い、仕事人間であったネルソンが仕事よりも大切なものがあると悟るに至った、ネルソンの変化を象徴する(はずの)場面です。

 

ネルソンにそんな変化起きてたっけ???となってしまい、どうしてもネルソンに共感できません。ごくわずかのサラとの生活の何を持って仕事人間をやめようと思ったのか。わかりません。

 

ラストシーンもそう。二人が惹かれあいながらも別れることになる切ないシーン、のはず。が、そう思えない。私は話の中身よりも、そのシーンは早朝で寒そうなのに、サラは薄着で大丈夫だろうかと思えて仕方ありませんでした。

本作は”昼ドラ重病モデル”に頼っています。

本作は、終盤でサラが死期が間近であることが明かされます。それが、話の最後の推進力になっていきます。

 

話は飛びますが、昼ドラのお話をさせてください。

 

昼ドラは全てがそうというわけではありませんが、特に人気が出るドラマ(例えば『牡丹と薔薇』)は、ドロドロという言葉で形容されることが多いと思います。その話の展開は、恋愛がらみの衝突から、抜き差しならない対立が生じ、その対立がエスカレートしていくというものです。その過程で言葉や行動が過激になっていき、視聴者はさらなる過激さを求めるようになっていきます。

 

対立のエスカレートが進むと、視聴者としては、ドラマはどうやって終わりにするのだろうとも思えてきます。作り手でもないのに、ドラマの落とし所は決まっているのだろうかと心配になってくるのです。

 

私のみるところ、実は作り手側も、エスカレートが進んだ作品ではもう収拾がつかなくなっているのではないでしょうか。

 

というのも、そうした作品で終盤に出てくるのは、往々にして主要登場人物の誰かの病気だからです。それも重病、命のかかった病気です。それがでてくると、誰もが同情的に振る舞うようになり、対立は収まり、ドラマは大団円を迎えることができるようになります。

 

命のかかった重病を突如終盤で持ち出しストーリー展開の推進力として用い、話を丸く収める。私はこれを「昼ドラ重病モデル」と呼んでいます(←もっといいネーミングを思いついたら変更します)。

 

私は、テレビであれ映画であれ、ドラマの作り手がこのモデルに頼ったらおしまいだと思っています。それは安直なドラマ作り以外の何物でもありません。特に映画は、テレビと違い、視聴者を毎日毎日もしくは毎週毎週引っ張り続けることが求められるわけではありません。脚本の弛緩が許される言い訳も立ちません。

 

終盤で急遽重病を持ち出しラストの切なさを演出する本作は、このモデルに頼っているように思えます。

まとめ

とんでも設定の不自然さが際立つ点、二人の惹かれ合いの描写が弱く、お話全体に説得力が欠ける点、”昼ドラ重病モデル”に頼る点。本作は欠点がどうしても目についてしまう残念な作品です。

 

さて、繰り返しになりますが、明日から11月です。11月にちなんだ作品がどうしても観たい、というかたはぜひどうぞ。