読書感想 : 『必笑小咄のテクニック』

 

『必笑小咄のテクニック』 米原万里 集英社 (2005/12/21)

小咄の構造分析の本です。

本書は、ジョーク、アネクドート、ショートショートなど、世にある様々な笑い話をまとめて「小咄」とし、その構造を分析することを目的とします。

 

著者によれば、その構造は11のパターンに分類されます。多くの小咄の例を用いながらの分類で、議論はわかりやすく説得的です。これまで深く考えずに接してきた”笑い”というものの奥深さを実感させてもらいました。

オチの意味。それは落差。

11のパターンに分類されるとはいえ、小咄の基本は一つです。それはオチをつけることです。オチという言葉についての著者の説明を聞いてみます。

 

小咄の目的は笑いを取ること。笑わせるためには、オチは思いがけないほどいい。予測される展開と実際の顚末との落差こそがオチなのだ。あらかじめオチが分かってしまったら、落差は生まれないからオチにならない。

 

どんな短い小咄にも長い小咄にもオチそのものと、オチをオチとして成立させる落差のための前提部分がある。

 

要するに、オチとは前提部分によって聞き手や読み手の頭の中に生まれるだろう予想と、実際の結末とのあいだの落差によって生まれるものなのだ。しつこいようだが、この落差を設けるためにこそ心血を注ぐべきなのである。

 

私は「オチ」という言葉の由来を知りませんでした。テレビで芸人さんが”オチ”とか”オチがつく”とかいう言葉を使うのはなぜだろうと常々思っていました。どうやら「オチ」とは、小咄の「予想させる展開と実際の顛末の落差」のようです。つまり小咄を聞いている者(あるいは読んでいる者)の期待を裏切り、彼(女)らを思いがけない結末へと突き落とすことが、よくできた小咄ということであり、”オチた”といわれることになるのでしょう。

 

ところで、”すべる”という言葉もあると思います。小咄が面白くなかったときに使う言葉です。”オチてない=すべっている”ということです。

 

私は”すべる”という言葉の由来も知りません。本書には”すべる”という言葉は用いられていませんので、”落差=オチ”という本書の定義を踏まえて”すべる”の由来を私なりに考えてみました。うまく説明できないように思えます。”落ちていない”とは、”落差を生み出せていない”と言い換えることができると思いますが、これが”すべる”という言葉で表現されるのはいまいちピンときません。”すべる”の由来は謎のままです。

小咄はテクニックによって生まれます。

小咄の構造が11パターンあるということは、「落差」を作る「必笑小咄のテクニック」が11個あるということです。本書を読んでいると、芸人さんや噺家さんは、たしかにそうしたテクニックをしっかり踏まえて話を作っているなと思えてきます。オチはテクニックによって生まれるのです。

 

オチはゼロから創造するというよりも、見いだして演出するものなのである。

 

ボーヴォワールの名文句「人は女に生まれない。女になるのだ」を捩るならば、「最初からオチなんてない。オチにしてやるのだ」ということ。

 

テクニックがある人にかかれば、日常のなんともない出来事も愉快な笑い話に変化するわけです。

 

ところで、あらたまって小咄をする機会はなかなかないかと思いますが、誰もが会話をします。小咄の構造とはユーモアの構造であり、小咄を生み出すテクニックはユーモアを生み出すテクニックでもあります。会話もユーモア溢れるものであるのに越したことはありません。本書は会話を楽しく進めるためのヒント集でもあります。実践できるかはさておき、知っておいて損はないと思います。