読書感想 : 『国宝消滅―イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機』

 

『国宝消滅―イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機』 デービッド・アトキンソン 東洋経済新報社 (2016/2/19)

日本文化の危機からの脱却は、日本経済の危機からの脱却

本書は、元ゴールドマンサックスアナリストで、現在、文化財補修会社最大手、小西美術工藝社社長であるイギリス人の著者が、日本の文化、文化財を巡る嘆かわしい現状を指摘し、そこからの脱却の方向性を具体的に提案することを目的とします。

 

著者は日本文化をこよなく愛しています。本書のいたるところから垣間見られる著者の日本文化に対する造詣の深さには驚嘆の一言です。著者は筋金入りの日本愛好者です。それゆえ、日本文化や日本の文化財の「消滅」の危機を強く危惧しています。

 

造詣が深いだけあって、危機の実際を示す具体例も豊富です。建築物、工芸品、呉服、あるいは茶道いった無形のもの・・・  矢継ぎ早に切羽詰まった事例を見せつけられると、私たちが”日本の文化”として想像するものはいつのまにかなくなってしまうのだろうなと暗い気持ちになってきます。

 

さて、著者は日本文化の愛好者ではありますが、個人的嗜好を梃子に、日本文化の危機的状況からの脱却を私たち日本人に提案しているのではありません。

 

著者は現在の日本の厳しい経済状況を救う起爆剤の役割を期して、日本文化や文化財を巡る現状の変革を訴えます。文化や文化財を「観光資源化」し、日本を「観光立国」にすることが、人口減少で経済市場が縮小してく中で日本の「強い経済」を実現する唯一の道だと著者は主張します。日本文化の危機からの脱却は日本経済の危機からの脱却でもあるということです。

文化財関係者は特別意識を捨てよう。

著者は、これまでの日本は文化財を「保護」の対象として扱い、それを観光資源として活かそうという発想に欠けているとし、そうした姿勢を批判の俎上に載せます。著者はおもしろいエピソードを紹介しています。

 

数年前、京都御所のある御苑にある茶室を借りることができると知ったので、さっそく借りることにしました。そのような茶室でぜひともお茶をいただき、日本の伝統文化を体感したいと思ったのです。そこで京都市に申し込んだところ、思わず耳を疑いました。貸すことはできるが、火が使えないと言うのです。  火といっても焚き火をしようというわけではなく、茶室のなかの炉に釜をかけてお湯をわかすだけですが、「とにかく火気厳禁です。電気を使ってください」の一点張りでした。でしたら、私がちゃんとお金を払って、消防団の方に立ち会ってもらいますと食い下がりましたが、さまざまな理由をつけられて、結局は「規則ですので」と言われました。

 

火を使わずにどうやってお茶をたてられるのでしょうか。”へそで茶を沸かす”という言葉がありますが、その言葉はこのエピソードに由来しているのではないかと私は思いますw   日本の基本的な文化財の考え方は、文化財を後生大事に守ることが第一。そのため文化財においては、なんでもかんでも「禁止」とされます。観光客にとって楽しくもなければ、勉強にもならない。そこを訪れる観光客のことなどまるで考えていないのです。

 

そうした観光客視点が欠けた事例としてこんなエピソードも紹介されています。

 

先日、岐阜城への視察に同行しました。立派な甲冑や火縄銃など、展示物はかなり充実していましたが、立派な火縄銃についた英語の解説は、「GUN」と記されているだけです。他の文化財で見た兜も、「HELMET」と記されているだけで、それ以上、何の解説もされていませんでした。  日本文化を知りたいと訪れた外国人観光客にとって、この説明はかなり物足りないというか、がっかりしてしまうのではないでしょうか。たとえば、イギリスから日本に来るには、30万円の航空券を買って、14時間も飛行機に乗ります。もしみなさんがこれだけの対価を払ってやってきた国で、現地の伝統文化を知ることができると期待に胸を膨らませて訪れた文化財で、「GUN」という味気ない説明だけを見たらどうでしょう。少なくとも、その文化の素晴らしさは伝わらないのではないでしょうか。

 

確かにその通りです。兜がHELMETということぐらいは見りゃわかるよって話です。

 

これでは観光立国もなにもあったもんではありません。文化財関係者は、サービス業に携わる者であれば当たり前にやっている顧客視点のサービス展開が全くできていないのです。

 

こうした姿勢の背景には、文化財は特別なものだから他の商売とは違うのだという関係者の「驕り」があると著者は見ます。ここでは深入りしませんが、補助金(税金)で支えられているのが当たり前という勘違いもそう、国宝をなかなか一般公開しないこともそう、コスト意識を欠いた文化施設の不可解な料金設定もそう、職人が職人気質をたてに営業をしないこともそう、伝統工芸品だからといってぼったくりの値段設定をするのもそう… すべて特別意識がなせるわざとし、著者はそうした考え方を本書を通して厳しく批判しています。

本書は含蓄深い日本文化論です。

ところで、私は先の二つのエピソードを読んで笑ってしまいました。

 

ですが、小さい時からの私自身の文化施設の観光体験を振り返ると、ガイドブックに載っているお寺やお城、カブトなどを見るだけでありがたいと思い、各文化施設では禁止事項の多さに窮屈さを感じながらも、由緒ある場所はそういうものだと思い納得していたことに気付きます。

 

著者は観光地であるならそれでは物足りないと思いダメ出しをするわけですが、私は日本のこれまでの文化施設のあり方にとくに疑問を感じていなかったということです。私たち観光客が望んでいないのなら、サービス提供者サイドがなにもしないのも納得です。著者のあげた二つのエピソードを笑ってばかりもいられないと思えてきます。

 

このエピソードも含め、本書には目から鱗の指摘がつまっています。もし鱗が見えるのなら、私のスマホ(←スマホで読んでいます)のディスプレイは鱗でいっぱいのはずです。本書は、外から客観的に見られる外国人の視点の強みが余すところなく発揮された含蓄深い日本文化論でもあります。

 

文化財関係者、観光関係者はもちろん、そうでない一般の方にも一読をお勧めしたい一冊です。