読書感想 : 『テレビが政治をダメにした』

 

『テレビが政治をダメにした』 鈴木寛 双葉社 (2013/4/5)

視聴率至上主義のテレビメディアを批判する本です。

官僚、学者を経て政治家となり、民主党政権時代に文部科学副大臣を務めた著者によるテレビ批判の本。

 

昨今総務大臣の電波停止発言を筆頭に、政治のメディア介入が話題になることが多いと思います。そのため政治家のメディア批判というと、どうしても政治家にとって思い通りにならないメディアに対するイライラを動機付けとした、一方的で客観性を欠いたものなのではないかと考えてしまいます。

 

ですが本書は違います。冷静にテレビと政治の関わりを分析し、民主政治が健全に機能するために果たすべきメディアの役割を今のテレビが果たしていないことを、歴史的・技術的な背景についての考察も加えつつ、様々な事例を引きながら説得的に示します。

 

著者によれば、テレビメディアの問題の根幹は「視聴率至上主義」です。

 

視聴率至上主義──テレビメディアの問題としてこれまでも指摘されてきたことです。視聴率が取れれば、高い広告収入を得られる。視聴率を上げるためにはヤラセ、煽りも辞さない……テレビメディア問題の多くは「視聴率をいかに上げるかがすべて」という、視聴率至上主義が生み出したものです。

 

この姿勢は、報道においてすら、震災、原発事故という一大事においてすらぶれることはありません。著者が文部科学副大臣として原発対応に当たっていた際に、多様な情報の伝達をメディアにお願いした時のことです。

 

あるテレビ局のプロデューサーからは耳を疑うような返事が返ってきたのです。 「水素爆発の映像のほうが数字(視聴率)が取れる。繰り返し流していても数字が取れるんですよ」 

 

著者でなくとても、たしかに耳を疑うような言葉です。

 

本書にはこうした視聴率至上主義の成れの果てを示す事例がいくつも示されます。

 

そしてテレビの視聴率至上主義に巻き込まれ翻弄され、(著者の志向する「熟議の民主主義」から)堕落していく政治の姿が浮き彫りにされます。

 

政治とテレビの現状を知るのに格好の本です。

視聴率至上主義はテレビメディア、政治を堕落させます。

テレビメディアにとって視聴率は高い広告収入につながります。

 

ところで、視聴率を取れる番組とは視聴者の感情に訴えるものです。原発がらみの細かいデータよりも水素爆発の映像に視聴者は引きつけられます。しかしそれは、視聴者が社会や政治について考えるための材料となる多様な情報、意見を提供するというジャーナリズムの役割とは方向が逆の動きです。爆発を繰り返し見ても情報量が増えるわけではありません。

 

政治家にとっては、視聴率は得票率につながるようです。著者は「TVタックル」という高視聴率の政治バラエティ番組を取り上げ、その番組に出演回数の多い議員の選挙での際立った強さを数字を上げて指摘しています。

 

ところで、テレビ出演の多い政治家は往往にしてメディア受けだけを意識し、カメラの回っていないところでは汗をかかないようです。著者はそうした政治家を冷ややかに「テレビ政治家」と呼んでいます。

 

テレビ政治家はテレビでテレビ受けする威勢のいいことを言ってしまうばかりに、実際の交渉において切れるカードを狭めてしまっているようです。「テレビでああいっていたでしょ」とつっこまれ、交渉を積み重ね煮詰めていくという作業ができない。つまり、利害調整を行いつつ政策を法律へと落とし込んでいくという政治家に課せられた本来の仕事の場面で、テレビ政治家は頼りにならないのです。著者はテレビ政治家を入れずに仕事をしたほうが交渉が進み、仕事の成果も上がるとも述べています。

相反する合理性→袋小路へ

テレビメディアがジャーナリズムの担い手としてその役割を果たそうとすることは、もちろん合理的です。テレビメディアも私企業である以上、利益を上げるために視聴率を求めるのも合理的だと思います。

 

政治家が政治家としての役割を果たそうとするのは合理的です。政治家が選挙に受かるためにテレビ出演も含めなんでもするのも合理的です。

 

視聴率を求めるテレビメディアも、視聴率に踊らされる政治家も、それぞれが合理的に振舞っているのは間違いありません。私は彼(女)らをべき論を掲げて一方的に批判しようとは思いません。相反する合理性のはざまで悩み、生きていくために一方を犠牲にするという経験は誰にでもあることだと思います。

 

結局は、感情に訴える番組を好み、わかりやすさという快適さを求める私たち視聴者が、テレビが視聴率至上主義に走る原因であり、ひいては民主政治を機能不全に陥らせている原因であると自覚することが、著者が嘆く現状の改善のための第一歩となるのではないでしょうか。

 

そうはいっても、視聴者が民主主義社会の一員として多様な情報や意見を求めようとするのが合理的であるのと同様に、家でゆっくりしている時間に快適さを求めて番組を選択するのも合理的です。

 

テレビメディアと政治が抱える相反する合理性を解決するための鍵となる視聴者も、相反する合理性の中にあり、現状改善のための一歩を踏み出すのは難しいことに思えます。

 

袋小路に入り込んでしまったようですね。どのように考えていけばよいのでしょうか。私にはわかりません(^^;;