読書感想 : 『世界を変えた10冊の本』

 

『世界を変えた10冊の本』 池上彰 文藝春秋 (2014/2/10)

池上さんによる本の解説本。

政治、経済、文化等々。世の森羅万象を解説するプロ、池上彰さんによる「本」の解説書。その「本」として取り上げられるのは、池上さんが考える「世界を変え」てしまうほどのインパクトを世に与えた以下の10冊です。

 

1.『アンネの日記』 アンネ・フランク

2.『聖書』 

3.『コーラン』 

4.『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 ウェーバー

5.『資本論』マルクス 

6.『イスラーム原理主義の「道しるべ」』クトゥブ 

7.『沈黙の春』カーソン 

8.『種の起源』 ダーウィン

9.『雇用、利子および貨幣の一般理論』 ケインズ

10.『資本主義と自由』フリードマン

 

新書サイズの大きさで10冊の本の解説ですから、それぞれの本の解説の紙幅は限られています。そのため本の内容に深く切り込むのが本書の目的ではありません。本の内容については概説的なこと以上のことが書かれているわけではありません。

 

それらの本が世界にどのような影響を与え、世界をどのように変えたのか。本書はこの点に主眼を置いて書かれています。

クトゥブの『道しるべ』の解説が勉強になりました。

私が特に勉強になったのは、『イスラーム原理主義の「道しるべ」』についての解説でした。私はこの本の存在を本書を読んで初めて知りました。

 

『道しるべ』はサイイド・クトゥブによって1964年に出版されました。彼は徹底したイスラム原点回帰を唱えることで、イスラムのあり方の根本的チェンジを訴えます。

 

現代はイスラムの理想が失われてしまったのに、イスラム教徒たちは、自分たちの世界を「イスラームの世界」などと思い込んでいる。これを正さなければならない、というのです。となれば、イスラム世界の腐敗した体制を打倒することは「神の道」であり、正義の戦いである、つまり「ジハード」(聖戦)なのだ、ということになります。

 

従来のイスラム世界では、異教徒の侵略に対して、イスラムの土地と教えを守るために戦うことがジハードであり、イスラム教徒同士が争ってはならないとされてきました。ところが、クトゥブの思想によれば、現代の腐敗したイスラム体制・イスラム社会と戦うこともジハードだというのです。

 

クトゥブによってイスラムの敵はイスラム世界の外だけでなく、中にもいることになったわけです。こうした考えが、オサマ・ビン・ラディンに代表されるイスラム原理主義思想の起源となり、現在に続くイスラム世界と西洋世界の、あるいはイスラム世界内の様々な紛争に繋がっているようです。

 

そして今や、イスラム世界西洋世界を問わず、全世界は対テロ臨戦モードが当然のようになっています。たかだか50年ほど前に出た本が世界を変えてしまったんですね。現代の世を騒がせる動きの背後にこんな本があったとは・・・ 

 

とりあえず『道しるべ』を読んでみようと思いました。

 

念のため言っておきますが、私はイスラム教徒ではありませんww

安定の池上解説。

安定の池上解説。池上さんの本はどれもそうですが、読めば間違いなく勉強になります。

 

本書を私はkindleセールで購入しました。kindleセールに池上さん本が出ていたら読んでおこう。改めてそう思いました。

読書感想 : 『難民を知るための基礎知識――政治と人権の葛藤を越えて』

 

『難民を知るための基礎知識――政治と人権の葛藤を越えて 』 滝澤 三郎、山田 満(編・著) 明石書店 (2017/1/31)

難民問題の入門書。

本書は難民問題に関心がある人々のための入門書です。

 

難民問題に携わる様々な専門家がそれぞれの専門分野から光をあてる仕方で、難民について知っておくべき「基礎知識」をわかりやすく解説しています。

 

基礎知識をわかりやすく、とはいっても本書はかなりの情報量が詰まっており読み応えは十分。とても勉強になる一冊です。

「政治と人権の葛藤を越えて」いる??

さて、副題にある「政治と人権の葛藤」とは、誤解を恐れずに言えば、自分たちのご飯と難民の人権どっちが大事かってことです。そしておそらくは、難民の人権は大事だけど自分たちのご飯の方がもっと大事、と考える人が大半、いや、誰もがそう考えるのではないでしょうか。

 

そして難民受け入れ国は主に西洋諸国です。難民受け入れ国の政治家は難民が選ぶのではなく難民受け入れ国の国民が選ぶ以上、人権の意義を高らかに謳う西洋各国の政治家も、人権よりも国民のご飯を優先せざるを得ません。人権よりも政治です。

 

そうした中で、西洋諸国をはじめとする世界各国は難民保護の動きを進めていかねばならない...

 

本書からこの葛藤の深刻さはヒシヒシと伝わってきましたが、その葛藤を「越え」ていくための光明のようなものを私は読み取ることはできませんでした。ただただ難民の惨状に胸を締め付けられ、難民問題の解決の難しさに思いをいたすばかりでした。

平和ってすばらしい。

なんだかんだ言っても日本は安心安全です。島国で国境を他国と接してもいません。その上本書で詳しく説明されているように、日本は難民認定がとても厳しく難民受け入れに消極的です。そのため私たちは難民問題を遠い世界の出来事のように思えてしまいます。

 

そんな難民問題との距離が本書を読んで少しばかり縮まりました。

 

それはさておき、平和ってありがたいですね。

映画感想 : 『ビリギャル』

 

『ビリギャル』 監督 土井裕泰 (TBSオンデマンド 2015)

さやか(有村架純)は高校2年生。中学入学以来、全く勉強をしなかったので、ついに成績は学年ビリ。いくらなんでもこのままではマズイと思ったのか、そんな女の子が学習塾にやってきた。でもその姿は金髪、ヘソだし、超ミニスカのギャルメイク。対応した塾講師の坪田(伊藤淳史)もびっくりの彼女の知識は小4レベル。聖徳太子を「セイトクタコ」と読み、東西南北も分からない。それでも夢は大きく第1志望はチョー難関の慶應大学!(←ゼッタイ無理!)「さやかが慶應なんてチョーウケる~!」。こうしてノリで二人三脚の受験勉強がはじまった!夜も寝ないで頑張るさやかだが、偏差値70の慶應は甘くない。周囲からはののしられ、成績は伸びず、友達とも遊べない。それでも支えてくれる周囲の人たちのため、さやかは慶應合格に向け走り続ける。

学年ビリの女子高生が慶應合格。実話に基づいた映画です。

学年ビリの女子高生が慶應合格。本作は実話に基づいた映画です。

 

信頼が力をくれる、努力は報われる。そして、がんばっている人はかっこいい。本作はそんなメッセージを直球で視聴者に投げかけてきます。ほんと素直な直球です。

 

直球のキレをよくするための副作用としてか、登場人物が一面的に描かれすぎている嫌いがありますが、ギリギリ許容範囲。直球の重みを増すための副作用としてか、ベタベタ過ぎる演出もみられますが、それもギリギリ許容範囲。私は直球をそのまま受け止めました。面白かったです。視聴後前向きになっている自分がいました。

 

ところで、本作では主人公さやかの可能性を頭ごなしに否定する徹底した悪玉として、お父さんと学校の先生が描かれます。モデルとなった本人たちは本作を見てどう思うのでしょうか。少し心配になりましたw 

 

元気が欲しい人はこの映画を見て元気をもらってください!きっと元気になれますよ。

読書感想 : 『地学のススメ 「日本列島のいま」を知るために』

 

『地学のススメ 「日本列島のいま」を知るために』 鎌田 浩毅 講談社 (2017/2/15)

本書は地学の教養書です。

本書は地学の教養書です。著者は、地学の「おもしろいところ」「ためになるところ」だけを取り上げ、それらについての基本事項を平易に解説していきます。

 

具体的には、地球が丸かったとわかるまでの歴史、地層、プレートテクトニクス、地震、火山などが本書で取り上げられるトピックです。これらについては、中学校までで習っていたり震災等の災害時の報道を通して見聞きしたりして、一般の人でも一応”そこそこは知ってるレベル”の知識はあると思います。本書はそれを、”結構知ってるレベル”にまできちんと引き上げてくれます。

噴火が怖い・・・

私は、大噴火をテーマにした石黒耀さんのディザスター小説の傑作『死都日本』を読んで以来、噴火の破壊力に対する恐れを抱くようになり(本書でも、地震は文明を滅ぼさないが、噴火は文明を滅ぼすとの記述があります)、噴火関連のニュースを聞くと、それが世界のどの地域であれ、噴火が起きないで欲しいと切実に思うようになりました。そうしたこともあり、私は本書では火山の章がもっとも興味深く読めました。

 

北朝鮮と中国の国境に白頭山という山があります。今では北朝鮮の金一家によって聖なる山とされているようですが、かつてそこでは大噴火があり、朝鮮半島はもちろん、海を越えて日本にまでその被害が及んだとされます。その白頭山は、現在いつ噴火してもおかしくない状況のようです。そして著者によれば、今もし白頭山で噴火が起きたら東アジア全体が混乱に陥るとのことです。『死都日本』の破滅的状況が現実になってしまうのかと、ゾクッとさせられました。

本書の知識が生き延びる力をくれるとは思えませんが、本書は地学に興味のある方にオススメできる一冊です。

著者は、本書を読んで地学の知識を得て、地震列島、火山列島日本で生き延びる力を読者に得て欲しいと考えています。その点をまえがき、あとがきで繰り返し強調しています。

 

ですが、本書全体を通して伝わってくる地球のスケールの大きさに私は圧倒され、一般の人が本書で得られる知識を手にしたところで、地震や火山に対して何か有効な対策を打てるようになれるとは思えませんでした。私は悲観的過ぎるのでしょうか・・・

 

それはさておき、本書は読みやすく知識がすんなり頭に入ってきます。地学の入り口として、あるいは大人になってからの地学再入門として、本書は格好の1冊だと思います。

映画感想 : 『突入せよ!「あさま山荘」事件』

 

『突入せよ!「あさま山荘」事件』 監督 原田眞人 あさま山荘事件製作委員会(2002年)

人質を必ず生きて救出すること…。1972年2月19日。連合赤軍5人が、「あさま山荘」にひとりの女性を人質に立てこもった。それが長野県警、警視庁の猛者たちが繰り広げた、10日間にもおよぶ史上最大かつてない激烈な攻防の始まりだった。零下15度の酷寒の中、動員された警察官述べ15万人、テレビ中継の視聴率は史上最高89.7%を記録。そして、集まった男たちに与えられた使命はただ一つ。「人質を必ず生きて救出すること」

ドラマの焦点がない映画です。

視点は警察側に定められてはいるものの、ドラマの焦点を定めることなく、ただただあさま山荘事件の推移を追った映画。焦点がないから、ストリーの展開の起伏がない。話の盛り上がりがありません。事件の現場の臨場感も伝わってきません。また、本作からは殉職者さえ出した事件の重みも感じることもありませんでした。

 

もしかすると、本作を通して繰り返される警視庁と長野県警の指揮権争いのグダグダっぷりが、本作のテーマなのでしょうか。だとしたらもっとその点に焦点を絞って作って欲しかった。本作では登場人物が多いのもあって一人一人の描写に厚みがなありません。なのでもっと登場人物を少なくして、組織対組織のメンツ争いの裏側で、組織の論理と個人的使命感の板挟みに葛藤する登場人物をドラマの軸にするとかすればよかったのでは...

 

あさま山荘事件は日本中を釘付けにした戦後日本の一大事件です。映画の元ネタとしては申し分ないはず。 なのに、なのに・・・ あさま山荘事件の無駄遣いとしか思えません。

 

一言で言って、何をしたいのかわからない映画です。劇的な事件をネタに重量級の役者さんを揃えて莫大な予算をかけて映画を作ればいい作品ができる、なんてことはない。よくない映画のお手本のような作品。

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読書感想 : 『観念論ってなに? オックスフォードより愛をこめて』

 

『観念論ってなに? オックスフォードより愛をこめて』 冨田 恭彦 講談社 (2004/11/19)

観念論の起源となった哲学者バークリの思想の解説書。

観念論という言葉を普段使うことはありません。耳にすることもまずありません。強いて使われる状況を考えると、「そんな考えは観念論に過ぎないよ」といったように、相手の考えを机上の空論として批判する文脈でしょうか。

 

そんななんとなくしかわからない”観念論”という言葉は、哲学的にはバークリという18世紀のイギリスの哲学者に根を持ち、以来現在に至るまで様々な哲学者によって議論されてきた歴史ある、由緒正しい言葉のようです。

 

本書は、観念論の歴史全体を射程に収めるのではなく、起源となったバークリの観念論に焦点を絞り、そもそも観念論ってどういうことなのか、という点を深掘りすることを目的とします。

 

バークリの観念論とは「物質否定論」です。要するに、”世界は自分の心の中にある観念に過ぎない。例えば、目の前の机は実在するように見えるが、実は自分の心の中にしか存在しない。”という考え方です。

 

とんでもない考え方のように思えますが、バークリがどうしてそうした考えに至ったのかを著者は懇切丁寧に説明します。バークリや哲学についての予備知識がなくても大丈夫。対話形式で書かれており議論が一つ一つ確認されながら進んで行くため、おいていかれることがありません。

 

本書を読んでいて、”世界は見えているように本当に存在しているのだろうか”とか、”世界は自分の想像の産物に過ぎないのではないのか”といった疑問がかつて頭をよぎったことを私は思い出しました。おそらく多くの方も一度はこんな素朴な疑問を持ったことがあるのではないでしょうか。

 

バークリはいわば、そんな素朴な疑問に向き合い続けた哲学者です。素朴な疑問でもバークリのように徹底して考え抜くと、その疑問の先にはこうも好奇心をそそられる大きな世界がひらけてくるものなのか。あの手この手の議論を繰り出し”心の外に世界はない”との自説の説得にかかるバークリの思考力に圧倒されつつ、バークリの議論の展開にワクワクしながら、私は本書を読みました。

映画感想 : 『下妻物語』

 

『下妻物語』 監督 中島哲也 TBSオンデマンド(2004)

ロリータファッション命!のマイペース少女・桃子(深田恭子)は、田んぼだらけの茨城県・下妻から代官山まではるばる通っている。大好きなブランドの洋服を買いたい一心で、ついに某海外ブランドのバッタもんを売るというアブナイ商売に手を出すほどに。ある日、そのバッタもんを買いたいという少女が現れた。それが、特攻服&原チャリで爆走するヤンキー娘・イチゴ(土屋アンナ)。どう見ても住む世界が違う2人だが、桃子はイチゴのペースに次第に巻き込まれて・・・。 

本作は女子高生二人の青春・友情物語です。ほんとおもしろかった!!

全く別の世界を生きる二人がふとしたことから知り合い、惹かれあっていく。本作は女子高生二人の青春・友情物語です。

 

桃子とイチゴを筆頭に出てくる人物みんなが個性的。普通の人は出てきません。その上演出にはおふざけ感が満載です。全体的にバカバカしさを(意図的に)漂わせています。ですが、本筋である、桃子とイチゴの二人が互いに影響を与え合いながら、二人が変わっていく姿の描写はとても丁寧。一つ一つの演出が活きていて、おふざけが空回りしているところがありません。コミカルで、テンポがいい。笑えるし、切なくもなれるし、泣けるし、映画的爽快感も味わえる。最後までワクワクしながら楽しめました。ほんとおもしろかった。

 

お気に入りのシーンを一つ挙げるとしたら、桃子が一人でパチンコに行くシーンです。はじめはイチゴに無理矢理連れて行かれたパチンコに、桃子が手持ち無沙汰からつい一人で行ってしまう。桃子が知らず知らずのうちにイチゴ色に染まっているのを象徴するシーンです。私は思わず笑顔になりました。友達とのこんな化学反応しばらくしてないなあー うらやましくもあったり。

 

言うまでもありませんが、舞台は下妻です。ジャスコ(今はイオン)、国道125号線、牛久大仏、小貝川、どこまでも続いていそうな田んぼ道・・・ 映画に出てくる景色は見慣れたものばかり。私にとっては地元映画です。この映画の存在は知っていましたし、2004年製作ですからもう10年以上経っています。う〜〜、どうしてこんなおもしろい映画をこれまで観なかったのだろう...  軽く後悔しています...

 

大好きな映画が一つ増えました。

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読書感想 : 『自分を愛する力』

 

『自分を愛する力』 乙武洋匡 講談社 (2013/3/14)

本書は乙武さんの自伝です。テーマは自己肯定感。

本書はベストセラー『五体不満足』で有名な乙武洋匡さんの自伝です。

 

本書を読んでいると、手足のない身体でこうも幸せいっぱいに生きられるものなのかと唸らされます。私は昨年腕、肩を痛めて、数ヶ月間不自由な生活をしました。それだけでも私は、運動もできない、したいことも自由にできない、とけっこうなしょんぼり気分になっていたというのに・・・ 

 

著者は「自分を愛する力」「自分を受け入れる力」すなわち「自己肯定感」があったからこそ、障害を抱えながらも常に前向きに生き、健常者と同様に、あるいはそれ以上に、人生を謳歌することができていると自己を診断します。著者は本書を通して、自分のこれまでの人生を振り返りながら、幸せの秘訣は自己肯定感にあること、そして教育においては自己肯定感の涵養こそが大切であることを説いていきます。

乙武さんは”自己肯定感アスリート”です。

生きていく上で、自己肯定感が大切であることに異論はありません。著者の主張はその通りだと思いますし、著者は自己肯定感の大切さを伝えるこれ以上ないロールモデルだと思います。

 

その上で一つ本書を読んで感じたことがあります。純度100パーセントは才能だな、と。

 

自己肯定感は私も常々大切だと思っていますが、なかなか著者のようにはできません。どうしてこんなにダメなやつなのだろうと自分を卑下したりするのは、私の場合しょっちゅうです。ブログを定期更新しようと思いながら実行できず、自分の怠け者っぷりに悲しくなったり...

 

その点著者は違います。著者は言います。

 

 僕自身は自分を否定的に捉えたことは一度もないんですね。

 

著者は、自己肯定の姿勢を徹底しています。いわば”自己肯定感アスリート”です。

 

私はこの点で、ホリエモンさんに対してもつのと同じ印象を持ちました。

 

ホリエモンさんは、やりたいことがあるなら実行する、という考えをベースにして行動していると思います。おそらく多くの方はこうした考えに反対しないと思います。やりたいことをするのが一番でしょうから。ですがやりたいと思っても、結局やらずに終わったり、やっても中途半端でフェードアウトというのがよくあるケースではないでしょうか。ホリエモンさんは、やりたいことがあるならそれを実行するという考えへの忠実度が違う。純度100パーセント。やりたいと思ったら即実行、徹底的に実行です。一つエピソードをあげるなら、ホリエモンさんはメルマガを書いているようですが、ホリエモンさんは刑務所に収監される日の朝でもギリギリまでメルマガを書いていたと聞きます。このエピソードを知った時は驚愕しました。ホリエモンさんは”やりたいことをやるアスリート”です。

 

乙武さんも、ホリエモンさんもその道のアスリートです。

 

私は二人の姿勢を素晴らしいと思います。もし二人のようになれたら世界が変わって見えてくるのだろうとも思います。でも、わかっちゃいるけどそうした姿勢を徹底できない。徹底する手前で、なんやかんやと私は逡巡してしまう・・・

 

二人にその手の逡巡はありません。悟りを開いているように私には映ります。

 

自己肯定感の大切さの主張よりも、著者の自己肯定の姿勢の徹底ぶりが印象に残る。乙武さんのように突出した存在になる人は違う。読後にまず頭に浮かんできたのはこんなことでした。

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読書感想 : 『人生が変わる会話術』

 

『人生が変わる会話術』 丘村 奈央子 ごきげんビジネス出版 (2016/8/25)

会話のポイントは話し方より聞き方、人との共通点より相違点にあります。

著者が提唱する会話術の肝は、話し方より聞き方、人との共通点より人との違いを重視せよ、ということです。

 

会話術というと、どうしても、周りの人を惹きつけるうまいトークをするにはどうすればよいのかという点に目が行きがちです。しかし著者は、"話し上手養成"のアプローチをとりません。また、故郷でも趣味でも、共通点があると初対面の人とでも簡単に打ち解けあえたという経験は、誰にでもあると思います。ですが、著者は共通点から会話を広げていくというアプローチもとりません。

 

「自分が気持ちよく聞ける」ことが、「相手が気持ちよく話す」状態を作り出す。つまり、然るべき聞く姿勢が相手の能動的発話を促し、会話の展開の推進力になると著者は考えます。著者は聞き方に注目します。

 

では然るべき聞く姿勢とはどのようなものかというと、著者によれば、人との共通点ではなく人との違いに注目して質問をするというものです。そもそも人は一人一人違うものです。共通点より相違点の方が多いに決まっています。したがって相違点の方がはるかに見つけるのも簡単です。その相違点に絡めて質問をしていけば、自ずと会話は続く、お互いの理解も深まる、さらに会話が弾んで行く、その上知らなかったことについての知識も得られる、という好循環が生まれるわけです。

 

私は会話は上手ではありません。お話しする機会に恵まれた方とは、色々なことをお話しさせてもらいたいと思っていながら、なかなか会話を続けられず、家に帰って後悔することが多々あります。

 

本書で言われる会話術は、自分の心がけ一つで実行に移せるものです。うまいトーク術を手に入れるよりも、はるかに実践的で現実的です。会話が苦手な私でも使えそうです。頭の片隅に入れておいて、実践してみようと思いました。

 

「人生が変わる」とまではいかなくても、少しは殻を破れたらと今密かに思っています。

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読書感想 : 『マンガでわかる元素118 元素の発見者から意外な歴史、最先端の応用テクノロジーまで』

 

『マンガでわかる元素118 元素の発見者から意外な歴史、最先端の応用テクノロジーまで』 斎藤 勝裕 SBクリエイティブ (2011/12/15)

本書は元素豆知識の羅列です。

各元素についてそれぞれ2ページが使われ説明されます。1ページが文章による説明、もう1ページがマンガによる説明です。各元素の性質、発見のエピソード、それに加え、原子量、密度、融点、沸点、存在度、おもな同位体、おもな化合物といった各元素の個別データが、2ページの紙幅の中にコンパクトにまとめられています。

 

元素豆知識を蓄えたい元素好きの人には、本書はお勧めできる一冊です。

 

とはいっても、本書は知識の羅列といった感は否めません。

 

さて、私は受験化学を教えさせていただいています。そのせいか、こうした本を読むときは豆知識を仕入れるよりは、これまで思いもつかなかった新しい視点から化学を照射してもらい、化学についての理解を深めさせてもらいたいと、私は姑息にも考えてしまいます。 

 

本書のような知識の羅列ではその点は望めません。一つ一つの知識がぶつ切りに提示されるだけで、何らかの一つの視点からの全体的連関を与えてくれません。知識の羅列ではなく、何らかの文脈の元に置かれた説明が欲しい。

 

先日『光合成とはなにかー生命システムを支える力』という本を読みました。光合成がテーマの本です。その本を読んで学んだことなのですが、光合成の中身は、酸化還元反応のようです。酸化還元反応は受験化学の主要テーマです。光合成という視点からなされる酸化還元反応の説明は、私にとって新鮮でとても興味深く、結果として、酸化還元反応を含めた化学についての理解を深めさせてもらえました。

 

本書にもこうしたことを期待していたのですが、その期待は裏切られました。本書のタイトルからしてそれを期待するのがそもそもの誤りであり、無い物ねだりと言われればそれまでなのですが・・・

 

歳をとると記憶力が落ちる。痛感しています。私の場合、もともと文脈のない知識は頭に入りずらかったのですが、ここにきてその程度が増しています。本書で得た知識の大半は、おそらく1週間後には、いや、3日以内には忘れてしまっていると思います。

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読書感想 : 『データブック 格差で読む日本経済』

 

『データブック 格差で読む日本経済』 みずほ総合研究所編 岩波書店 (2017/3/29)

本書は、日本の経済格差の現状を、データに基づき客観的に浮かび上がらせます。

老人の貧困を扱った本、子供の貧困を扱った本、シングルマザーの貧困を扱った本があります。そうした本を読んでいると、21世紀の日本ではないどこか違う国のことを書いた本なのではないかと思ってしまうほどの、厳しい現実を直視させられます。

 

世代間格差、教育格差を扱った本もあります。現代は身分制ではありません。にもかかわらず、生まれた時代、生まれた家庭といった自分では選べないものによって人生設計が規定されてしまう日本の現状を、そうした本は突きつけてきます。

 

かつて『ルポ貧困大国アメリカ』というアメリカの格差を扱った本を読んだときは、目を覆いたくなるようなアメリカの現実を前に、日本人で良かったと心底思ったものでした。ですが、現在、日本も格差社会であるということに異論を唱える人はそうはいないと思います(日本の相対的貧困率はOECD26ヶ国中3位)。”1億総中流”の共通認識は、もう完全に過去のものとなってしまいました。

 

本書は、格差のある一面にフォーカスして深掘りするのではなく、銀行系シンクタンクらしく、豊富なデータを駆使して、日本の格差の現状を全体として浮かび上がらせることを目的とします。その際著者は、イデオロギー的偏見を排し、”データに語らせる”ような徹底して客観的な姿勢をとります。扱う格差の種類は以下の通りで網羅的です。

 

所得の格差

資産の格差

正社員と非正社員の格差

雇用における男女の格差

年金の格差

世代間の格差

大都市と地方の格差

大企業と中小企業の格差

高齢者層の格差

高齢期の貧困

子供の貧困

 

データを示しながらなされる格差の説明はわかりやすく説得的です。そして様々な格差の現状を一冊にまとめてくれたおかげで、これまで関連テーマの書籍から得た格差がらみの知識の更新と関連付けができました。

 

本書は終盤で、格差を解決するための政策の提案をしています。

 

雇用に関する政策

賃金に関する政策

年金に関する政策

税制に関する政策

子供の貧困対策

教育に関する対策

地方創生に関する対策

成長力向上とパイの拡大

 

問題点が整理されており、向かうべき方向性がよくわかりました。ですが、提案される内容はいずれもすでにどこかで見聞きしたことのある政策の焼き直しでした。目新しさがないと著者を批判したいわけではありません。格差問題が顕在化してしばらくたつ今もってなお、問題は手つかずのままであり、格差の縮小へと社会が動き出していない現状に気付かされます。それと同時に、格差問題の深刻さ、解決の難しさを前にも増して強く痛感させられました。

 

格差社会は、現時点ですでに日本社会が抱える大きな問題だと思いますが、中長期的にはその深刻さを増していくとされます。問題の解決を図るには、まず問題の実相を知ることから。本書はその手始めとして、格好の一冊だと思います。

 

遠くない未来には、冒頭であげたような読んでいて暗くなるような本が書かれることのない社会になっていてほしいものです。

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読書感想 : 『独裁国家・北朝鮮の実像 核・ミサイル・金正恩体制』

 

『独裁国家・北朝鮮の実像 核・ミサイル・金正恩体制』 坂井隆、 平岩俊司  朝日新聞出版 (2017/1/20)

本書は北朝鮮専門家二人の網羅的かつ高密度な対談本です。北朝鮮のまとまった知識が手に入ります。

ここ最近、北朝鮮に絡んだ穏やかならぬ報道に触れる機会が多くなってきています。アメリカがいうことを聞かない北朝鮮の政権転覆を図り、攻撃を開始するのではないかとの憶測が飛び交い、各メディアでまことしやかに論じられています。私としては、戦争ではなく外交交渉で穏便に事態が収束してくれるの祈るばかりです。

 

ところで、そもそも、北朝鮮のような小国どうしてアメリカという超大国に歯向い続けるのでしょうか。大国日本ですら、アメリカ追従を国是としているというのにw

 

こんな素朴な疑問が頭をもたげてきたので、これを機に北朝鮮に関する本を一冊読んでみようと思い、手に取ったのが本書です。

 

本書は、北朝鮮の専門家二人の対談形式を取り、二人それぞれが互いに疑問をぶつけ合いながら議論を深め、北朝鮮の実像を浮き彫りにしていくというスタイルの本です。

 

著者は、朝鮮戦争あたりからの歴史的経緯を踏まえつつ、核問題、米中露韓日との外交問題、国内の社会事情、経済事情、世襲独裁という政治体制といった様々なテーマについて、北朝鮮におもねるのでもなく、かといっていたずらに批判的に向き合うのでもなく、客観的で冷静な視点から、分析を加えていきます。

 

分析は微に入り細にわたり、その上本書は結構なボリュームがあるので、北朝鮮についてのかなりまとまった知識を手にすることができました。もうお腹いっぱいですw

 

私たちから見たら無茶苦茶な北朝鮮ではありますが、北朝鮮には北朝鮮なりの論理があり、その論理に従って国家として戦略を立てており、やりたい放題に見える金政権も、権力を確保し続けるためにただ血統の上に胡座をかいているのではなく、時宜に応じて制度に微調整を加えている。北朝鮮という国家も金政権も、生きるか死ぬかの権力闘争の最前線で闘っている(そして実際に存続し続けている)のですから、こんなことは当たり前のことなのかもしれません。ですが、本書を読んで、私はそんな当たり前のことにも気づかせてもらえました。

 

本書は本編だけでなく、「巻末資料」も充実しています。面白いのが「朝鮮労働党は、偉大な金日成・金正日主義の党である。」にはじまる「朝鮮労働党規約」です。人間の神格化の怖さとある種の滑稽さを味わうことができます。

 

今後北朝鮮はどこに向かうのでしょうか。本書を読んでもその答えはありません。ですが、北朝鮮の今後を見ていく上での一つの視座を手にするのに、本書はとても役に立つものだと思います。

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読書感想 : 『史上最強の哲学入門』『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』『哲学的な何か、あと科学とか』

 

『史上最強の哲学入門』 飲茶 河出書房新社 (2015/11/5)

 

『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』 飲茶 河出書房新社 (2016/10/5)

 

『哲学的な何か、あと科学とか』 飲茶 二見書房 (2006/11/30)

史上最強におもしろい哲学入門書。

3冊とも同じ著者による哲学入門書。著者は大学に属さず在野の哲学者として文筆活動を行なっているかたのようです。

  

さて、哲学関係の書籍には、どういうわけか”入門”の名のつくものが多いと思います。そう思って今アマゾンで”哲学”と入力して見たら、”哲学 入門”が検索ワードとして一番上に出てきました。クリックしてみると、入門書があるわあるわ。哲学は入門書のメッカですw

 

そんな哲学入門書が溢れかえっている中、”史上最強”を謳う哲学入門書を見つけてしまった。そこで、どこらへんが史上最強のなのだろうと思い、『史上最強の哲学入門』を手にとってみました。

 

『史上最強の哲学入門』は西洋哲学史がテーマ。著者は西洋哲学史を、古代ギリシアから現代までに登場した哲学者たちの最強頭脳、最強思想を決める闘いの歴史と捉えます。各哲学者を単に時系列的に整理・解説するありがちな入門書とは違い、著者は、各哲学者の間での対決要素(後の時代の哲学者が乗り越えようとした点)をはっきりとさせながら、西洋哲学史全体を進化を続ける一つの生き物のように描いていきます。哲学者の闘いが積み重なって西洋哲学史が作り上げられてきたのだと実感させられました。哲学書にはつきものの専門用語もほとんど出てきません。著者は、難しいはずの哲学の内容を自分の言葉に噛み砕いて説明してくれています。とてもわかりやすくて面白い。内容がスイスイ頭に入ってきました。

 

史上最強の意味は、史上最強の面白さ!ということだと私は思いました。

 

二匹目のドジョウということで、また楽しませてもらおうと思い『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』も読んでみました。本書は『史上最強の哲学入門』の東洋哲学バージョンです。期待通りの面白さでした。というより期待以上の面白さ。私にとっては1冊目よりもこちらのほうが面白かった。

 

大学受験科目で「倫理」というのがあります。選択する生徒さんはほとんどいないのですが、まれに「倫理」を指導させていだたくことがあります。「倫理」には東洋哲学も含まれます。私は東洋哲学の受験知識を教える際に、これまで東洋の哲学者がどうしてそうしたことをいうのかよくわからずに、ただただ受験のための知識としてそれらの説明をしていました。

 

本書を読んでそんなモヤモヤ感がなくなりました。東洋の哲学者がいっていることが初めて腑に落ちました。

 

まず著者は、西洋哲学と東洋哲学の根本的な違いをわかりやすく説明してくれます。私はこれまで、東洋哲学を西洋哲学の色眼鏡で見ようとする愚を犯していたことに気づかされました。これだけでも東洋哲学の理解を深めてもらえたと思います。

 

それだけはありません。著者は、前作同様に自分の言葉に噛み砕きながら、東洋哲学が目指すべき”悟り”の境地を丁寧に説明してくれます。私は”悟り”を開いた気分になりましたwww 悟りってこういうことだったのかと腑に落ち始めてからの、本書を読んでいる時のワクワク感は忘れられません。

 

東洋哲学の目指す”悟り”がどういうものかがわかってくると、言葉だけで理解していた「倫理」に出てくる東洋哲学の知識が、全くの別物に思えてきます。重みを持って肉薄してくる感じ。今ならきっと、そうした知識についてこれまでよりも厚みのある説明ができるはずです。

 

三匹目のドジョウということで、続いて『哲学的な何か、あと科学とか』も読んでみました。こちらは哲学史ではなく、哲学のいくつかのトピックについての解説本です。前の2冊に比べインパクトには欠けますが、わかりやすくまとまっていてこの本もとても勉強になりました。

 

3冊ともおもしろかったのですが、あえて順位をつけるとしたら、

 

一位 『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』

二位 『史上最強の哲学入門』

三位 『哲学的な何か、あと科学とか』

 

となるでしょうか。

 

3冊とも哲学入門としてオススメです。それと手っ取り早く”悟り”の擬似体験をしてみたいという方にもオススメですw

読書感想 : 『なぜアマゾンは1円で本が売れるのか―ネット時代のメディア戦争―』

 

『なぜアマゾンは1円で本が売れるのか―ネット時代のメディア戦争―』 武田徹 新潮社 (2017/1/14)

各メディアの最前線の動きを俯瞰できる本です。

タイトルからして、アマゾンのビジネスモデルの解説本かと思いますが、そうではありません。もちろん、それについても触れられてはいますが、それはわずか数ページです。私は著者が武田徹さんだからということで本書を手に取りましたが、タイトルに惹かれて本書を読み始めた方は、肩透かしを食らうことになります。

 

本書のテーマは副題にある「ネット時代のメディア戦争」です。

 

新聞、出版、テレビといった旧メディアはもちろん、SNS、ニュースサイト、ニコニコ動画のようなネットによって出現した新メディアも、生き残りをかけて必死でもがいている。著者は丹念な取材に基づいて、そうした各メディアの時代への適応の具体相を、歴史的変遷を踏まえながら語っていきます。そして、各メディアの変化に伴うコンテンツのあり方の変化についても、様々な事例を紹介しながら考察を加えていきます。各メディアの取り組みの一つ一つの事例がとても興味深く、各メディアの最前線で何が起こっているのかを幅広く俯瞰的に知ることができました。

 

図書館電子化が進んで欲しいです。

個人的に気になったのは、大日本印刷という世界最大規模の印刷会社の取り組みです。大日本印刷は、印刷会社にもかかわらず書店経営に乗り出し、紙の本だけでなく電子書籍の販売も開始したようです。さらに電子図書館事業の構想に噛んでいく目論見も持っているようです。

 

印刷会社に限らず、出版業界と電子書籍、図書館って利益相反で相性が悪いのかと思っていたのですが、こうした動きもはじまっているのですね。電子書籍の普及に伴い、出版業界も電子書籍を取り込んでいかなければやっていけないという事情があるのでしょうけど。

 

ところで、私は図書館で借りる本以外は、紙の本は読みません。狭い家に住んでいるので(>_<)場所を取られたくないということもあり、いつのまにかそうなっていました。図書館も電子化してくれたらありがたないなと前々から思っていました。

 

私のような人が多数派であるとは思いませんし、図書館電子化でコンテンツの作り手のマネタイズ問題が改めて浮かび上がってくる気もしますが、そこらあたりの問題をうまく処理して、この話を先に進めて欲しいものです。

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読書感想: 『夏目漱石』

 

『夏目漱石』 十川伸介 岩波書店 (2016/11/19)

本書は夏目漱石の評伝です。

本書は夏目漱石の評伝です。作家・夏目漱石の元となる人間・夏目漱石の実像を浮かび上がらせてくれます。

 

私は本書を読んでいて結構疲れました。つまらなかったわけではありませんが、おもしろく読み進められるわけでもなかった。だが、我慢して読んでいったら、読後にはずっしりとした知的充足感が残った。岩波新書らしい岩波新書ですw やはり岩波新書は他の新書とは一味違いますね。

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読書感想 : 『逃げるは恥だが役に立つ(9)』

 

『逃げるは恥だが役に立つ(9)』 海野つなみ 講談社 (2017/3/13)

恋愛と結婚は地続きであると考えられています。

私たちの社会は、戦後のある時期から恋愛の延長上に結婚を置くようになっています。恋愛の行き着く先に結婚があるとみる。恋愛と結婚は地続きにつながっていると考えるわけです。恋愛をテーマにした映画、漫画等の作品の多くは、こうした社会常識を前提に創られているといってよいと思います。

恋愛と結婚は地続き、ではない。

恋愛と結婚は本当に地続きなのでしょうか。

 

恋愛を定義するのは難しいですが、相手と一緒にいたい、つながっていたいという熱情が恋愛のコアにあると言えると思います。相手と一緒にいる瞬間瞬間に幸せを感じ、その瞬間瞬間をかけがえのないものと感じる。一緒にいること自体が目的となっているわけです。そこに理由はありません。理由はないが惹かれ合う。理由はないが一緒にいたいと思い、一緒にいる時間を少しでも長く持とうとする。

 

理由がないということは合理性がないということです。打算もありません。そのため、損得勘定で考えたら、周りから見てやめておいた方がよいと思える恋愛もあります。ですが、当事者にとってはそれは至福の瞬間。恋愛は盲目です。

 

恋愛にも打算が入るのではないか、と言われるかもしれません。確かにその通りですが、恋愛のエッセンスを突き詰めて考えれば、やはりそれは相手に対する熱情にあると思います。

 

文学は物事の突き詰めた形を提示します。恋愛をテーマにした文学作品では自殺が取り上げられることがあります。その理由は、”将来”を考え打算的になってしまうことで、今の恋愛の純粋さが失われるのを避けたいという思いから、その瞬間の熱情を冷凍保存するために、登場人物たちが自殺を選ぶということではないでしょうか。 

 

続いて結婚について考えみます。結婚とは概ね、ある二人が”将来”を考えてする行為と言ってよいと思います。現在の社会では、その”ある二人”は”恋愛”関係にあることが大半でしょう。ですが、”将来”を考え出した時点で、その”恋愛”はすでにもう理由のない状態ではいられなくなる。将来を考えた時点で、すでに打算が入るからです。結婚は打算によって産まれる合理的行為です。結婚は生活という目的のための手段です。結婚は恋愛とは違い、それ自体が目的の行為ではありません。

 

少し時代を遡れば、結婚当日にはじめて顔を会わせて夫婦になるということも珍しくありませんでした。政略結婚という言葉もあります。結婚とはそもそもが、家の存続等を含めた生活保障という果実を得るための手段でした。

 

まとめてみます。

 

恋愛・・・熱情的行為 合理性なし 打算なし それ自体が目的

結婚・・・合理的行為 合理性あり 打算あり 生活のための手段

 

恋愛と結婚は、このように区別して考えることができると思います。恋愛と結婚は異質であり、その間には断絶がある。つまり地続きではない。

『逃げ恥』は、結婚の打算性を正面から取り上げた実験的作品です。

『逃げ恥』の作者は恋愛と結婚についてこのように考えているのではないでしょうか。

 

作者は本作で、恋愛と結婚を地続きと見る常識に反し、それらを切り分け、結婚だけを取り出します。そして結婚は打算の産物であるとの認識のもとに物語を展開させます。本作は結婚の打算性を正面から取り上げて、それを恋愛漫画の形に落とし込んだ実験的作品だと言えます。

みくりちゃんは最後まで合理性の権化でした。そしてそれは、結婚の合理性、打算性を肯定し、積極的に受け入れる作者の姿勢のあらわれです。

みくりちゃんは、結婚を徹底的に利用し尽くそうとします。結婚は打算の産物であり、結婚が二人がウィンウィンになれるなら成立するものであるとの認識があるからそうできる。みくりちゃんは、恋愛と結婚が別物であることを知っています。だから、家政婦業契約という打算感全開の結婚を受け入れることができるわけです。

 

恋愛と結婚を連続的に捉える今の日本社会で、みくりちゃんみたいにできる人っているのだろうか。結婚の打算性を頭ではわかっても、なかなかここまで割り切れる人はいませんよね。

 

みくりちゃんって合理性の権化なんですよね。

 

仕事上でお付き合いする人は過度に合理的であっても問題ありませんが、プライベートで過度に合理的な人って、ついついめんどくさいと感じてしまいます。言い換えるなら「小賢しい」。みくりちゃんを「小賢しい」と思わずにいてくれるひらまささんは稀有な存在だと思います。というか、ひらまささんもみくりちゃんと同じ合理性の権化で「小賢しい」ゆえに、みくりちゃんを「小賢しい」と思わずに済んだのではないかと思えます。

 

この点、ポジティヴモンスター五十嵐さんとみくりちゃんは一緒ですよね。五十嵐さんの場合、男漁りという方向ではあるけれでも、徹底して合理的に振舞うという点ではみくりちゃんと同じ。五十嵐さんの場合は作中ではっきりと周りからめんどくさがられるところがみくりちゃんとは違いますがw

 

さて、本巻は最終巻です。

 

みくりちゃんは、第1巻から一貫して変わることはありません。合理性の権化のままです。合理的ならざる一面を見せることはありません。コンサルの仕事を手にするという変化はありますが、内面的な成長という点での変化はありません。みくりちゃん、ひらまささんの関係についても大きな変化はありません。そのため最終巻になっても、主役の二人に絡めた話の盛り上がりはありません。初めの頃と変わらず、二人の間では合理性全開のやりとりが続きます。当初は目新しさを覚えて二人の会話を楽しんでいましたが、ことここに至っては、二人のブレない合理性の権化っぷりに感心するばかりでした。

 

でもこれがよかったんですよね。おそらく恋愛的馴れ合いを落とし所とすることも作者には可能だったとは思います。そうすることで、やっぱ恋愛あっての結婚だよね、といった常識に沿った読後感を与え、読者をスッキリさせることもできたはずです。

 

ですがそうはせずに、結婚の合理性、打算性を守った。実験的態度の徹底であるのはもちろんですが、恋愛とは異なるそうした結婚の性質を肯定的に受け入れることを、静かに、しかし力強く作者が主張しているように私には思えました。

恋愛漫画としての盛り上がりは、ゆりちゃんと風見さんの担当です。

本作のような実験的作品のテーマにとっては、みくりちゃんとひらまささんは格好の登場人物なのですが、二人のやりとりはあまりに淡々としており物語の盛り上がりという点では物足りない。

 

その点は別のカップルが補ってくれています。

 

恋を諦めた女と恋に飽きた男。そんな恋愛に後ろ向きな男女が、最悪の出会いから徐々に互いに惹かれあい結ばれていく。

 

ゆりちゃんと風見さんの物語は、恋愛モノの定番でしょう。みくりちゃんとひらまささんの淡白さが目についてきた話の終盤以降は、この二人が話の主役ではないかと思えてきました。

 

というわけで、本作は先に触れたように実験的作品だとは思いますが、いわゆる恋愛モノの盛り上がりを求める読者への配慮も行き届いた作品でもあります。

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読書感想 : 『月9 101のラブストーリー』

 

『月9 101のラブストーリー』 中川右介 幻冬舎 (2016/10/26)

”月9”、最初期10年間の軌跡を追った本です。

月9。言わずと知れた、フジテレビの月曜午後9時のドラマのことです。本書は、月9の開始である1987年4月から1996年までの10年間の、月9の軌跡を追ったものです。

 

この10年とは、W浅野から、鈴木保奈美、中山美穂へと時代のヒロインのバトンが移っていき、ついにはキムタクが時代の頂点に立つまでの10年であり、『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』、『一つ屋根の下』、『ロングバケーション』等の「社会現象」を起こしたドラマが作られた10年間です。著者は、手際よくこの10年間に作れられた月9ドラマを解説していきます。あの頃見たドラマの映像が蘇ってきます。

 

ただし、本書は単にドラマのあらすじを時系列的に並べていくだけものではありません。ドラマの内容の説明と絡めて、今ではフジテレビの役員となった、太田亮さん、亀山千広さん両プロデューサーや、こちらも今や大御所となった野島伸司さん、北川悦吏子さん等の脚本家、その他ディレクター等諸々が繰り広げる、ドラマ作りの舞台裏での人間ドラマも描き出します。私は、役者さんについてのお話より、作り手側のドラマにかけた真摯な思いが露わになるここらあたりの話の方がおもしろかったです。

当時の空気を思い出させてもらいました。なつかしいです。心地よいです。

当時は視聴率20%が当たり前だった。

 

当時はドラマ主題歌が100万枚売れるのも珍しくなかった。

 

キムタクは間違いなく当時日本一カッコよくて人気がある男だった。

 

田原俊彦は当時は本当にビッグだった。

 

当時、石田純一は、軽い感じのモテ男をやらせたら右に出るものなしの役者だった。

 

等々。

 

あげていけばきりがありません。本書はあの時代の空気を思い出させてくれます。あの頃私は確かに必死で生きていた。歳をとったせいか、そう思えることに心地よさを感じます。たまには、昔を振り返らせてくれるこうした本を読むのもいいものだと思いました。

 

それと、流行っているものにはある程度乗っかっておいたほうが後々振り返って楽しめるってことも、再確認できました。『ロンバケ』とかみといてよかった。

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読書感想 : 『シェイクスピアの正体』

 

『シェイクスピアの正体』 河合 祥一郎 新潮社(2016/5/1)

本書のテーマはシェイクスピア作者問題です。

高校生の頃、世界文学とされるものを一度読んでみたいと思い立った時に、手にしたのがシェイクスピアの作品(『ウェニスの商人』)でした。本屋さんに並ぶ世界文学の文庫本の中で、シェイクスピアの本がもっとも薄かった。これなら私でも最後まで読めるかも、と思ったからです。本屋さんにシェイクスピアの本が置いていなくて、薄くない本ばかりでしたら、本の厚さに気後れし、私が世界文学に触れる機会はもっと遅れていたか、あるいは触れることなく終わっていたかもしれません。シェイクスピアは世界文学への扉を開いてくれた作家でもあり、私にとっては思い出深い作家の一人です。

 

そんな私の思い出話はさておき、シェイクスピアにはある噂がつきまとい続けています。それは、シェイクスピア作品を書いたのはシェイクスピアではないのではないか、というものです。

 

研究され尽くされているであろう世界的作家に、そんなことが本当にありうるのだろうかと脊髄反射的に思ってしまいます。ですが、これは「シェイクスピア作者問題」として今なお世界的に研究が進められているシェイクスピア研究の一大テーマのようです。

 

著者はこのテーマに正面から取り組みます。本書は、最新の研究動向を踏まえつつ、様々な学説を紹介、検討し、最終的に著者自身の解釈を提示するという構成になっています。

シェイクスピア作品を書いたのは誰?

そもそも、「シェイクスピア作家問題」、言い換えればシェイクスピア別人説はどうして生じるのでしょうか。どうやらその根っこは一つのようです。

 

別人説を唱える人は共通して、

 

シェイクスピアは、ストラットフォードという田舎生まれの田舎者、高い教育を受けたこともなく、職業は舞台役者。シェイクスピア作品にみなぎる貴族性、法律や政治や海外事情などについての幅広い知識、宮廷との関わり、語彙の豊富さなどを考えると、シェイクスピアにシェイクスピア作品を書けるはずがない、

 

と考えるようです。

 

こうした認識を出発点として唱えられる7つ(!)の別人説全てを、著者はばったばったと斬り伏せいていきます。ここら辺の議論はスリリングで、著者もいうように、読者は「名探偵」の気分になって読み進めていけます。別人説の根拠となるアリバイを一つ一つ崩していくわけです。

 

その際に著者は、文献的な根拠をあげるだけでなく、シェイクスピア作品が生まれたエリザベス朝時代の政治的、文化的、社会的背景、特に当時の宗教、劇作家、著作権、舞台上の慣行等の実情を具に確認し、今と当時のそれらのあり方の違いを指摘します。別人説の根拠には、今の常識で当時を見ることによって可能となる議論が紛れ込んでおり、今と当時の常識の違いを踏まえるならば、別人説の根拠は維持できないと著者は主張するのです。つまり著者は、シェイクスピア別人説は、今の常識を過去に当てはめてしまう愚を犯しているゆえに生じるものと断罪します。

 

すでにお分かりかと思いますが、著者は最終的に、シェイクスピア作品を書いたのはシェイクスピア本人であるという(穏当な)結論を取ります。

 

私は著者の主張は説得的だと思いましたが、著者に批判される側の別人説の主張もそれぞれ面白く、「名探偵」の敵役として申し分なしです。よくもそうしたことを思いつくなと感心させられました。

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読書感想 : 『志高く 孫正義正伝 新版』

 

『志高く 孫正義正伝 新版』 井上 篤夫 実業之日本社 (2015/1/31)

孫正義の伝記です。あまりのすごさに圧倒されっぱなしでした。

本書は孫正義の伝記です。生い立ちから現在までが克明に綴られています。

 

最初から最後まで孫さんの生き様に私はただただ圧倒されました。意志の強さ、胆力、発想力、行動力。いずれも桁外れ。そしてすごい人は若い時からすごい。すごい人はホントにすごいんだ!

 

 

大概は、本でもテレビ番組でも、あるいは身近な人でも、がんばっている人の姿に触れると、元気をもらえて自分もやろうという気にさせられるものです。

 

本書を読んでそうした気分になれることを否定するわけではありません。ですが...    孫さんはすごすぎるww 同じ人間とは思えないレベル。私の場合、読後元気をもらえるどうこう以前に、すげー、って感嘆以外の感情が湧いてきませんでした。

 

突出した存在ゆえに毀誉褒貶相半ばする人ではありますが、孫さんが今を生きる英雄であることは否定できないと思います。本書はそんな孫さんの実像を知るのに格好の一冊です。

読書感想 : 『エドノミクス 〜歴史と時代劇で今を知る』

 

『エドノミクス 〜歴史と時代劇で今を知る』 飯田 泰之、春日 太一   扶桑社 (2014/5/31)

江戸時代の社会の実際を伝えてくれる本です。

江戸時代というと、家康が作り、秀忠、家光が体制の基礎を固め、その後三つの改革や田沼時代を経て幕末へ至るという政治史、安定した時代を背景に多様な文化が花開いた元禄文化、化政文化を思い出します。それらはつまり、歴史の授業で学んだことです。

 

それらを学んだ時は、一部の偉い人、一部の余裕のある文化人がやっているそうしたことと、一般の人々が生きる社会とのつながりを実感することはありませんでした。いや、当時の社会の実際がどうだったのだろうと考えることすらありませんでした。

 

さて、著者の飯田さんは経済学者、春日さんは時代劇研究家です。本書はそんな二人の対談パートを含む共著本です。二人は、とても平易な語り口で、江戸時代の社会の実際をわかりやすく解説し、江戸時代を身近なものにしてくれます。

 

飯田さんは江戸時代の経済政策を説明します。

 

飯田さんは、江戸時代の経済政策を一部の上の人がやっていることとして説明するのではなく、当時の一般の人々の社会生活水準等に触れ、常に社会の現実に密着しながら、当時の経済政策についての記述を進めます。読者は江戸時代の”現実”に分け入っているつもりになって、江戸時代の経済政策、そしてそれと同時に、経済政策とは切っても切り離せない政治体制について学べるようになっています。

 

春日さんは、江戸時代という時代劇の舞台について、エンターテインメントの観点から説明します。

 

春日さんの説明のポイントは、一言で言うと、”時代劇には作り手の批評性、現代性が託されている”、つまり時代劇で描かれる江戸時代は実際の江戸時代とは全然違うよ、ということです。春日さんはこの論点を、江戸時代の人々の生活の実際を対比させながら、とても説得的に、そして愉快に記述してくれます。真田十勇士、忠臣蔵、吉宗、坂本龍馬、そして津川雅彦ww等々が取り上げられます。

 

時代劇はそれが作られる時代思潮に規定されているさまをここまで克明にみせられると、時代劇はフィクションだなと当たり前のことを思うと同時に、時代劇、時代小説から歴史を学ぶ危険性を思わずにはいられません。

興味深い指摘が満載です。

二つほど膝を打った指摘を紹介させてください。

 

春日 幕末の薩摩藩士・島津斉彬がまさにそうですよね。江戸で育ったものだから、薩摩に帰っても信頼できる家臣は誰もいない。そこで、西郷隆盛ら身分の低い若者を抜擢していった。

飯田 明治維新後に廃藩置県を行い、基本的に華族は東京に集中します。でも、例えば、ドイツやイタリアで封建領主をいきなりベルリンなりローマなりに集めるとなったら大変なことになったんじゃないでしょうか。でも、日本でスムーズにそれが行えたのは、明治維新の時に大名はすでに、江戸=東京に対しての馴染みがあった。江戸時代、細かく分封されていて、ある意味で連合国家だったのに、すんなり中央集権家できたのは、エスタブリッシュメント層が「江戸・東京の人」だったから。参勤交代によって、260年かけて中央集権国家になりやすい下地が出来ていたのかもしれません。

春日 参勤交代がうまかったのは、地縁を外したことにあると。

 

商業中心主義(資本主義)か農本主義かというのは、さかのぼって源平の時代から日本にある対立軸です。源氏と平家にしても、平家は資本主義・グローバリゼーションっぽいところがある。一方、源氏は土地付き領主の農本主義の立場です。後醍醐天皇と足利の戦いにしても、室町幕府・足利氏は武士の代表として、源平時代の源氏と同様に中小領主の権利の保護者としてふるまいました。江戸時代の政争もまた、だいたいが資本主義vs農本主義、中央集権vs地方分権という視点で整理すると理解できる。

 

なお、田沼意次vs松平定信、また、秀吉vs家康もこの図式で整理できるようです。それぞれ前者が資本主義・中央集権、後者が農本主義・地方分権に対応します。

 

こうした興味深い指摘がこの本の随所に見られます。付箋がいっぱいになりました。こうした指摘を楽しむだけでもこの本を読む価値があるのではないかと思います。

 

それにしても、エコノミストと時代劇研究家にコラボさせよう!と思いついたかた(編集者かな??)の企画力に脱帽です。お互いが補い合いながら、あきさせない作りになっています。二人の対談からは、対談の楽しそうな雰囲気と二人の江戸時代愛が心地よく伝わってきました。

 

楽しく一気に読めました。お買い得感たっぷりの一冊です。

読書感想 : 『ソープランドでボーイをしていました』

 

『ソープランドでボーイをしていました』 玉井 次郎 彩図社 (2014/5/22)

本書はソープランドの裏側を描いた優れたノンフィクションです。

本書は、東日本大震災により職を失い吉原のソープランドのボーイとなった著者が、実体験を綴った本です。

 

まさに過酷な現場です。一癖も二癖もある同僚、厳しい上下関係、労働基準法無視同然の長時間の重労働、上下関係を持ち込まれた共同部屋での気が休まらない住み込み生活。私だったら一日も耐えられなさそう。そんな現場のリアルを著者は生々しく、それでいながら暗い印象を全く残さない軽やかな筆致で描いていきます。

 

読みやすい、おもしろい。私は一気に読みました。なかなか知ることのできない世界を垣間見せてもらいました。風俗に行ったことのない私でも楽しめましたが、行ったことのある人ならよりしみじみと感じるところがあるのではないでしょうか。本書は優れたノンフィクションだと思います。

日常が幸せの基盤です。

著者は妻子を福島に残し、出稼ぎの形でソープランドで働き始める。そして、職場がソープランドであることを妻子に伝えることなく、家族を思い必死で働きお金だけを送り続ける。本書を通して滲み出てくるのは、著者の誠実な仕事ぶりと、家族への愛情です。というより、家族への愛情と、それに支えられた誠実な仕事ぶりといった方が正確かもしれません。

 

著者にとってボーイとしての生活は、再び家族との生活を手にするまでの、いつ終わるとも知れない我慢以外のなにものでもありませんでした。著者は最終的には地元に仕事を得て家族との生活を再開し、震災前とは違った形ではありますが、日常を取り戻します。ハッピーエンドに私はホッとしました。

 

ありきたりの感想になってしまい恐縮ですが、本書は、仕事があり家族と一緒に生活できる、そんな日常がくれる幸せの貴さを噛み締めさせてくれます。

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読書感想 : 『最新 惑星入門』

 

『最新 惑星入門』 渡部潤一 渡部好恵 朝日新聞出版 (2016/7/13)

惑星科学の入門書。

本書は太陽系の惑星についての最新の知見を伝えてくれる惑星科学の入門書です。

 

本書の宣伝でラジオに出演していた著者の渡部さんのお話に興味を惹かれ、本書を手にとってみました。惑星は中学受験、高校受験理科のテーマの一つでもあるので、これを機に理解を深めておきたいという下心があったのも確かですがw

 

本書の目次をあげてみます。

 

【目次】

第一章 太陽系とは

・太陽系の概要

●太陽系は、どのように認識されてきたのか

・肉眼の時代

・天体望遠鏡の時代

・写真技術の導入

・電子撮像技術の導入と冥王星の仲間の発見

・深まりゆく太陽系1 小惑星の発見

・深まりゆく太陽系2 衛生の発見

●太陽系の起源

・太陽の誕生

・惑星の誕生へ

・雪線の内と外

・原紙惑星から惑星へ

・異動モデルの登場――海王星をつくるために

・内側への異動モデルの登場――小さな星をつくるために

・反転異動モデルの登場――地球は救われた?

・惑星になれなかった小天体たち

・後期重爆撃機の存在――移動モデルの中で

 

第二章 太陽系の主役たち――惑星の素顔

●水星

・水星の基本

・観察がなかなか難しい惑星

・探査機が明らかにした水星の素顔

・水星は、やはり水の星?

・水星を観察してみよう

●金星

・金星の基本

・宵の明星、明けの明星

・金星の素顔

・水星、金星の太陽面通過

・金星を観察してみよう

●地球

・地球の基本

・地球の自転と公転

・地球内部のダイナミズム

・地球を観察してみよう

●月

・月の基本

・月の満ち欠けと月齢

・月の公転と自転

・夜空での月の高さ

・月の起源

・探査機が明らかにした、月の知られざる素顔

・月を観察してみよう

●火星

・火星の基本

・火星に水は?生命は?

・火星はまだ生きている?

・火星を観察してみよう

●木星

・木星の基本

・魅力的な木星の衛星たち

・木星最大の謎、大赤斑

・木星を観察してみよう

●土星

・土星の基本

・土星の環

・バラエティ豊かな土星の衛生群

・土星を観察してみよう

●天王星

・天王星の基本

・細い環を保つ衛生たち

●海王星

・海王星の基本

・海王星の発見物語

・海王星の奇妙な衛星、トリトン

 

第三章 きらりと光る脇役たち――太陽系小天体

●小惑星

・小惑星の基本

・小惑星の族

・メインベルト彗星

・小惑星探査でわかったこと

・小惑星を観察してみよう

●彗星

・彗星の基本

・彗星の故郷は?

・故郷から表舞台への道

・表舞台から消えるとき

・彗星が秘めるメッセージ

・彗星探査が明らかにした核の素顔

・彗星を観察してみよう

●惑星間塵

・惑星間塵の基本

・惑星間塵の供給源

・惑星間塵を観察してみよう

●流星

・流星の基本

・流星群の基本

・幻の流星群の謎を解く

・流星を観察してみよう

・流星塵を観察してみよう

 

第四章 見え始めた太陽系外縁部

・太陽系外縁天体の基本

・冥王星型天体の基本

・冥王星の基本

・探査機が明らかにした冥王星の素顔

・太陽系外縁部、その先へ

・太陽系外縁部には未知の巨大天体はあるか

・太陽系外縁部に未知の第9惑星はあるか

 

 

おわかりのように、本書は太陽系の惑星全般をカバーします。各惑星それぞれについて「基本」から話を起こし、「木星の大赤斑」「土星の環」といった読者が気になりそうなネタも網羅。その上、各惑星の観察・観測の方法も示されていて、読者に惑星をより身近に感じてもらうための 配慮の跡もみられます。フルカラーの口絵があるのもうれしい。どの口絵も神秘的で美しく、宇宙への興味をかき立ててくれます。

 

本書のおかげで、楽しく惑星の勉強ができました。

読書感想 : 『人はなぜ不倫をするのか』

 

『人はなぜ不倫をするのか』 亀山 早苗  SBクリエイティブ (2016/8/6)

本書は不倫についての新しい視点を提供してくれます。不倫があるのは仕方のないことのようです。

不倫。その名の通り、人の道(倫/みち)にあらざる(不る)行為として認知されています。民法上でも、れっきとした不法行為として定められています。そのため不倫をした者は、大概の場合その代償として大きな社会的制裁を受けることになります。

 

つまり私たちの社会では、不倫は善悪で言ったら完全に悪とされるわけです。そしてそんなことは、確認するまでもなく、誰もが知っていることだと思います。

 

本書は、そんな不倫について踏み込んで考え、不倫についての新しい視点を提供することを目的とします。

 

本書では不倫を測る基準として善悪という倫理的基準を脇に置きます。不倫に対して価値中立な立場を確保した上で、8人の各分野の専門家を呼び、彼(女)らとの対話から、不倫についての新しい見方を探っていく、という手法で本書は進められていきます。

 

8人の専門家は以下の通りです。

 

上野千鶴子 / 女性学・ジェンダー研究者

丸山宗利 / 昆虫学者

竹内久美子 / 動物行動学研究家

島田裕巳 / 宗教学者

福島鉄郎 / 心理学者

宋美玄 / 産婦人科医・性科学者

山元大輔(行動遺伝学者)

池谷裕二 / 脳科学者

 

8人それぞれがそれぞれの立場から展開する不倫論はいずれも興味深く、楽しく読ませてもらいました。ポイントは、本書の帯にもあるように、「誰一人不倫を否定しなかった」ことです。不倫があってもそれはそれで仕方のないこと、というわけです。

 

ところで、一昔前までは、同性愛者や黒人の人々は差別の対象とされ、善悪でいうところの悪として規定されることがありました。それが今では彼(女)らの権利回復がなされつつあり、肌の色や性的嗜好に関わらず誰もが平等に扱われる社会へと進んでいます。

 

つまり善悪の基準は相対的なものです。今の時代の善悪の基準が必ずしも絶対ではありません。

 

そう考えると、現在黒人を差別することがけしからんとされる世になっているように、いずれは不倫はしかたのないこととして社会的に許容されるようになり、さらには不倫を悪とすることがけしからんとなる時代が来るのかもしれません。

 

もちろん、専門家たちが不倫を否定しないとはいえ、現在の社会で不倫が許されることにはなりませんし、本書の議論が不倫を正当化する材料になるわけでもありません。少なくとも私自身は、不倫とは無縁なままに人生を終えたいとも思っています。

 

ですが、常識にくさびを打ち込む視点を提供する本書のような著作は読んでいて面白いです。刺激的な読書体験でした。

 

本を読む歓びの一つは、常識が揺さぶられ、常識に疑問を抱かせられる体験ができることにあると思います。本書はそうした歓びを与えてくれる一冊です。

映画感想 : 『スウィート・ノベンバー』

 

『スウィート・ノベンバー』 パット・オコナー監督 ワーナーブラザーズ(2001年)

明日から11月です。

広告代理店に勤めるエリートサラリーマンのネルソンはある日、風変わりな女性サラと出会い、“今日で10月は終り。あなた、私の11月にならない?”と突然持ちかけられる。サラいわく“自分には問題を抱えた男を救う力があり、仕事人間の不幸なネルソンを助けてあげる”というのだ。勝手なもの言いに怒るネルソンだったが……。

 

要するに、あるサラリーマンが見知らぬ女性と出会い、どういうわけかその女性から11月、ひと月だけの恋人契約を打診され、そこから恋の展開が始まる物語。

 

あまりに唐突すぎる提案。率直に言ってこの女性は何を言っているのだろうと思いました。そしてまさかこのとんでも提案をお話の柱にしてストーリーを進めていくのかと、見始めてすぐに不安がよぎりだしました。

 

もちろん、設定がトンデモでも、それだけで映画がつまらないと言うわけではありません。例えば、『ゴジラ』のように怪獣が現れるような設定も、冷静に考えればとんでもです。重要なのは、とんでも設定だとしても、それをそうしたものとして感じさせないことです。視聴者がその世界に自然に入り込んで行けるということです。

 

本作は、その点でまず失敗しています。

 

と言っても、その設定のとんでもぶりを忘れさせてくれるような面白い展開がその先に待っていれば、問題はありません。

 

ですが、本作はそうでもありませんでした。

二人が惹かれあっていくプロセスの描写が弱い。

11月の恋人として生活を始めることになった二人。二人は徐々に惹かれあっていく、という展開なのだけど・・・。

 

この惹かれあっていくプロセスの描写が弱い。はっきり言ってどうして惹かれあっていくのかがよくわからない。美男美女だからとしか思えないww 確かに目隠し鬼ごっこなどをして仲良く遊ぶシーンが描かれたりもしますが、”契約”として一緒になることになった二人が、それ以上の思いを持つようになっていく描写としてはあまりに説得力がありません。

 

お互いの人間性が露わになるシーンを挿入して、それを機にお互いの気持ちが揺れていくというプロセスが欲しいところ。それがない。船のラジコンレースシーンをめぐるドタバタがそれに当たるのかもしれませんが、そのシーンは二人が惹かれあっていくシーンとしては描かれていません。(あのシーンって一体なんのためにあったのだろうか。)

 

二人の惹かれ合いに説得力がないため、その後のポイントとなる場面も、上滑りの感が否めません。

 

例えば、ネルソンが好条件の仕事のオファーを断る場面。サラと出会い、仕事人間であったネルソンが仕事よりも大切なものがあると悟るに至った、ネルソンの変化を象徴する(はずの)場面です。

 

ネルソンにそんな変化起きてたっけ???となってしまい、どうしてもネルソンに共感できません。ごくわずかのサラとの生活の何を持って仕事人間をやめようと思ったのか。わかりません。

 

ラストシーンもそう。二人が惹かれあいながらも別れることになる切ないシーン、のはず。が、そう思えない。私は話の中身よりも、そのシーンは早朝で寒そうなのに、サラは薄着で大丈夫だろうかと思えて仕方ありませんでした。

本作は”昼ドラ重病モデル”に頼っています。

本作は、終盤でサラが死期が間近であることが明かされます。それが、話の最後の推進力になっていきます。

 

話は飛びますが、昼ドラのお話をさせてください。

 

昼ドラは全てがそうというわけではありませんが、特に人気が出るドラマ(例えば『牡丹と薔薇』)は、ドロドロという言葉で形容されることが多いと思います。その話の展開は、恋愛がらみの衝突から、抜き差しならない対立が生じ、その対立がエスカレートしていくというものです。その過程で言葉や行動が過激になっていき、視聴者はさらなる過激さを求めるようになっていきます。

 

対立のエスカレートが進むと、視聴者としては、ドラマはどうやって終わりにするのだろうとも思えてきます。作り手でもないのに、ドラマの落とし所は決まっているのだろうかと心配になってくるのです。

 

私のみるところ、実は作り手側も、エスカレートが進んだ作品ではもう収拾がつかなくなっているのではないでしょうか。

 

というのも、そうした作品で終盤に出てくるのは、往々にして主要登場人物の誰かの病気だからです。それも重病、命のかかった病気です。それがでてくると、誰もが同情的に振る舞うようになり、対立は収まり、ドラマは大団円を迎えることができるようになります。

 

命のかかった重病を突如終盤で持ち出しストーリー展開の推進力として用い、話を丸く収める。私はこれを「昼ドラ重病モデル」と呼んでいます(←もっといいネーミングを思いついたら変更します)。

 

私は、テレビであれ映画であれ、ドラマの作り手がこのモデルに頼ったらおしまいだと思っています。それは安直なドラマ作り以外の何物でもありません。特に映画は、テレビと違い、視聴者を毎日毎日もしくは毎週毎週引っ張り続けることが求められるわけではありません。脚本の弛緩が許される言い訳も立ちません。

 

終盤で急遽重病を持ち出しラストの切なさを演出する本作は、このモデルに頼っているように思えます。

まとめ

とんでも設定の不自然さが際立つ点、二人の惹かれ合いの描写が弱く、お話全体に説得力が欠ける点、”昼ドラ重病モデル”に頼る点。本作は欠点がどうしても目についてしまう残念な作品です。

 

さて、繰り返しになりますが、明日から11月です。11月にちなんだ作品がどうしても観たい、というかたはぜひどうぞ。

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読書感想 : 『総理』

 

『総理』 山口敬之 幻冬舎 (2016/6/8)

政権中枢に肉薄。迫真のドキュメント。

元TBSの政治記者による、現政権中枢の舞台裏を伝えるドキュメント。

 

読んでびっくりしました。記者とはここまで政治家に近づけるものなのでしょうか。著者は政権中枢の政治家から絶大なる信頼を得ており、彼らと日常的にお酒を酌み交わし、要所要所では政治のプレーヤーとして振る舞います。著者の前で安倍総理は演説の予行練習をしたり、著者が安倍総理、麻生財務大臣を結ぶメッセンジャーとして動き、消費税引き上げ等の政治的決定に絡んだり。 

 

ジャーナリズムの仕事は、一義的には権力の監視、批判とされます。よって、ここまで記者が権力側に寄り添ってしまってよいのだろうか、本書はジャーナリズムではなくプロパガンダに類するものではないのか、と著者に批判的な立場をとることも可能です。私も読んでいて途中まではそのように思っていました。ですが、最後まで読んだとき、その考えは変わっていました。

 

政権中枢の政治家のリアルな人間模様の描写は臨場感たっぷり。政治の奥深さも伝わってくる。面白い。本書は、著者のように政治家に近づいた書き手がいなければ、まず私たちに知らされることはない情報でいっぱいです。知ることのなかった政治の一面を知れたことで、政治、そして政治家というものを見る新しい視点をもらえました。

 

今私は、たとえ権力側に寄り添うかたちになるとしても、本書のような仕事、つまり、政治家に肉薄して外からではなかなか窺うことのできない政治の裏側をつまびらかにし、政治について考える材料を読者に提供する仕事も、ジャーナリズムの仕事としてありなのではないかと思うようになっています。

 

内容が面白いだけではなく、ジャーナリズムとは何かということを考えさせてくれる本。

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読書感想 : 『学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰教授の東工大講義 国際篇』

 

『学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰教授の東工大講義 国際篇』 池上彰 文藝春秋 (2015/11/10)

安定の池上解説。

現代世界の動きを正しく理解するには歴史の理解が欠かせない。とりわけ、現代に直結する第二次世界大戦後の歴史、つまりは東西冷戦と冷戦後の歴史はおさえておかねばならない。

 

本書は、著者の池上さんのそんな思いから生まれた現代史の解説書です。

 

テーマが現代史ですから、私自身が生きて体験してきた時代の歴史でもあります。メディア等を通して、知識をそれなりには得てきているはずのテーマです。ですが、ことばとしては知っていても、その実、それがどのようなインパクトを世界に与えているのかについてはわからないってこと、結構あると思います。

 

池上さんは、そうした歴史的知識を現在の世界に有機的に結びつけていくしかたで、現代史についての解説を進めます。

 

読み出したら止まりません。ページをめくるごとに、頭の中の曖昧であった知識にはっきりとした輪郭が与えられ、知識が整理整頓されていき、知識に血が通い出していきます。

 

意外な歴史的結びつきということで、興味深かったお話を一つ紹介させてください。中国共産党にとって、天安門事件は消し去りたい黒歴史です。民主化を求める学生たちに同情的な発言をし、天安門事件のきっかけを作った当時の総書記胡耀邦が親日家(当時の中曽根首相とも仲良し)であったことが、胡耀邦の失脚とともに、親日的態度をとる輩はけしからん、となり、現在の中国共産党政権が進める反日教育の始まりとなったようです。私は中国の反日的態度は、戦後一貫したものなのではないかと推測しておりました。それがどうやらそうではなかったようです。勉強になりました。

 

安定の池上解説。この一言に尽きます。私は本書をkindle日替わりセールで購入しました。これからも、池上さんの本はセールに出たら読んでおこうと思いました。

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右腕、右肩の痛みがおさまったので、ブログを再開します。

7月の半ばあたりから、右腕上腕と右肩が痛み始めました。原因はいまもってわかりません。

 

痛みのため運動ができないのはもちろん、日常生活もままならない状態になりました。例えば、右手ではシャンプーもできませんでしたし、ドレッシングも振れませんでした。運転では右手はハンドルに手をそえる以上のことはできませんでした。車のドアを開けるのも一苦労でした。

 

そして、キーボードを打ち続けるのも辛い状態になっていました。キーボードを打つのに限ったことではないのですが、右腕を同じ体勢で維持し続けることがきつかったのです。

 

不要不急のことではできるだけ右手を使いたくない。お仕事以外のことではキーボードも打ちたくない。というわけで、ブログをしばらくお休みさせていただきました。

 

最後にブログを更新したのが7月18日ですから、三ヶ月間も痛みに悩まされていたことになります。

 

痛み出した当初は、放っておけば自然治癒でなんとかなるとたかをくくっていました。ですが一向に改善がみられず整形外科へ。”肩関節周囲炎”との診断でした。ヒアルロン酸注射を右肩あたりに毎週毎週うってもらい、最近になってやっと痛みがおさまってきました。

 

ブログを再開しようと思います。

 

こうしてまたブログを書いたり、歩いたり、走ったり、テニスができる。ドレッシングも左手に持ち替えないですむ。健康と日常を取り戻せた喜びでいっぱいです。

 

つきましてはまた適度に更新していきますので、今後とも当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。

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読書感想 : 『世界最強の女帝 メルケルの謎』

 

『世界最強の女帝 メルケルの謎』 佐藤伸行 文藝春秋 (2016/2/20)

本書はドイツ現首相メルケルの伝記です。

ドイツの現首相アンゲラ・メルケル。

 

メルケルは、ドイツですでに10年以上に渡って首相の地位にあり、国の舵取りを担っています。その間、メルケルはドイツを欧州の盟主の地位に押し上げました。ドイツと並ぶ欧州の中心国フランスのオランド大統領でさえ、いまでは「メルケルの有能な執事」です。いまや欧州は「ドイツの欧州」ならぬ「メルケルの欧州」とまでいわれ、メルケルは「欧州の女帝」として君臨しているようです。

 

本書はメルケルの伝記です。メルケルが生まれてから現在の地位にたどり着くまでの来歴、および現在のメルケルの政治スタイルを紹介、考察することで、人間メルケルの実像を浮かび上がらせることを目的とします。

 

著者も言うように、メルケルは世界政治の重要人物でありながら、メルケルの素顔は日本ではほとんど知られていなかったのではないでしょうか。私はメルケルについては、ドイツ初の女性首相ということぐらいしか知りませんでした。本書は私の知らなかったことばかりで、ページをめくるごとに新しい知識をもらえた思いです。

メルケルのこれまでの歩み

メルケルの来歴は雑駁にまとめると次のようになります。

 

①メルケルは東ドイツで育ちます。メルケルは物理学者を志し、一物理学者としての研究生活を送っていました。この間、政治活動とは無縁の生活でした。

 

②それがベルリンの壁崩壊を機に、突如物理学を辞め、政治活動に転向。転向後、わずか十年でCDU(←日本で言うところの自民党みたいな党です)の党首になります。

 

③その後、晴れて首相になり、10年以上にわたる長期政権を築くことになります。

 

①〜③の各段階それぞれで興味深いエピソードが盛り込まれ、メルケルの生涯が詳細に追跡されます。そして伝記の常ですが、メルケルの生涯と絡めて、ドイツの政治、経済、社会を含めたドイツの歴史が臨場感たっぷりに記述されます。例えば、①の時期で描かれる東ドイツの監視社会の息苦しさ、生きづらさ、②の過程での権力闘争の生々しさ、③の段階で中心的に取り上げられるで外交交渉の細やかさとダイナミズム。いずれもそれだけでも十分に楽しめる内容でした。

メルケルは徹底したプラグマティスト政治家です。そうした政治家が統治できる社会はよい。

女帝と評されるまでの大政治家となったメルケル。本書で政治家メルケルについて語られる言葉をいくつか拾ってみます。

 

すべてビジネスライクなことは、パッションなきメルケル政治の本質でもある。

 

メルケルの行動原理は案外、単純だという見方がある。首相就任の宣誓の文言に忠実な行動を心掛けているのだという。宣誓は「ドイツ国民の安寧のために献身し、国民の利益を増進し、国民の損害を防ぐ」とあり、ドイツ宰相たるものは、ドイツ納税者が損失を被るような事態を極力避けるために全力を挙げると誓約する。確かに、メルケルの政治家としての行動規範は、ドイツ国民の利益のために働くという契約上の義務に尽きると考えると分かりやすいかもしれない。メルケルはその意味で、「真面目なナショナリスト」なのである。

 

メルケルは「リケジョのマキャベリスト」であり、メルケルとマキャベリを掛け合わせた「メルキャベリ」という綽名もある。

 

科学者にとっては観察結果が重要なのであって、科学的知見に長期ビジョンは介入しない。理念や思想も必要ないメルケルにとっては、観察結果に基づく「処方箋」が重要である。

 

メルケルは一を聞いて十を知り、その記憶力は世の常のものではない。担当の官僚が太刀打ちできないほど、その記憶力ははるかな過去に遡り、かつまた実に細部にわたる。誰かのある発言がいつ、どこであったか、メルケルは忘れることはない。

 

一切のロマンを排し、国益最大化の目的にひたすらに忠実に、優れた頭脳を駆使して怜悧に戦略を練り、政策を実行していくプラグマティスト政治家。政治家メルケルはこのようにまとめられるのではないかと思います。

 

夢、ロマン、大きなビジョンを掲げるのではなく、メルケルは目の前にある課題を淡々とこなしていくことで、ドイツ首相、そして欧州の女帝にまで上り詰めたわけです。

 

大きなビジョンを掲げることが政治家の役割だというかたもいます。私たちはそうした政治家の言葉に魅せられがちです。たしかに、そうした政治家は有権者の気持ちをホカホカさせてくれます。ですが、結局は空手形で有権者を裏切るかもしれません。というより、そうなる可能性が大きいのではないでしょうか。

 

メルケルのような政治家が存在し、そうした政治家がしかるべき地位について仕事ができる状況を作り続けられる社会。私はそうした社会が望ましいと考えます。女帝と呼ばれるまでに権力を一手に握ってしまうことがよいかはさておき、メルケルのような政治家が指揮をとるドイツ、そして欧州は、社会として良い状態にあると思います。

 

少なくとも、”絵に描いた餅”を公約に掲げる政治家が統治する社会よりははるかにマシです。

今後のメルケルに注目です。

本書を読んで、俄然、今後のメルケルとメルケルの欧州に興味が湧いてきました。

 

さて、いまや欧州は各国の財政問題、難民問題、イギリスのEU離脱問題など、問題山積です。

 

政治家が夢を語ることに私は否定的ともとれる考えを示しましたが(←全否定しているわけではありません、念のため)、耳に心地よい言葉が人々をまとめ上げる力があるのはたしかです。危機においてはなおさらです。

 

夢を語らないメルケルが、混乱の欧州で求心力を発揮し、欧州をまとめ続けることができるのか。メルケルの動きに注目しながら、欧州の動きを注視していきたいと思いました。

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読書感想 : 『お笑い芸人に学ぶ ウケる!トーク術 』

 

『お笑い芸人に学ぶ ウケる!トーク術』 田中イデア リットーミュージック; 四六版版 (2009/11/25)

本書は、面白い話をするための必要条件をわかりやすく提示します。

お笑い芸人さんのお話は面白いですよね。

 

芸人さんが話し始めると、視聴者はあっという間に話の世界に引き込まれ、話の続きが気になりだし、最後には話のオチで笑わせてもらうことになります。笑ってスッキリ、視聴者はハッピーな気分になれます。

 

もしお笑い芸人さんのように面白い話ができたら、一緒に話をしたいと思われるようになり人が寄ってくるでしょう。人気者になれそうです。人気者とまではいかなくても、プライベートであれビジネスであれ人が寄ってきてくれるのに越したことはありません。

 

本書は、お笑い番組を手がける放送作家であり、お笑い学校講師でもある著者が、お笑い芸人のトーク術を参照しながら面白い話をするためのノウハウを提示し、読者が人気者になる後押しをすることを目的とします。

 

著者は、面白くない話が面白くない理由を解析することからはじまり、続いて面白い話の構造、そして面白い話をする芸人さんの振る舞いを具に分析することで、面白い話が成立するための必要条件を説得的に論じていきます。

 

笑いとは「緊張と緩和」のメカニズムから生まれるという点を踏まえて話を組み立てなければならないことや、聞き手を惹きつけるように話をうまく伝えるためには、比喩表現や登場人物の演じ分けなどが大切なことなど、なるほどと思わせる指摘がいっぱいです。

 

先ほどyoutubeで、”人志松本のすべらない話”での芸人さんのトークをいくつか見てみました。たしかに、芸人さんはほぼ例外なく、著者の言うノウハウに沿った仕方で話をしているのがわかります。本書で言われていることをきちんと実践していけば、実際に面白い話ができるようになれそうです。

 

芸人さんのような面白い話をしたい方にとっては、読んでおいて損はない本だと思います。

"面白ければなんでもあり"がいいとは思えません。

著者の言う面白い話をするためのノウハウは説得的です。ですが、一点、気になったことがありました。

 

著者は話を面白くするには「脚色」が必要だと論じます。「多少の創作」をすすめるわけです。

 

この時点で私は違和感を覚えます。たしかに、状況を限られた時間でわかりやすく伝えるためには、曖昧さを除去して伝えたほうがよいケースも多々あると思います。そうした意味での脚色でしたら、それもアリかなと私も思います。ですが、著者のいう脚色はそのレベルではありません。話を面白くするのに都合のいいように事実そのものの脚色をすすめます。

 

とあるお話について著者が添削している箇所で、著者は次のように言います。

 

ここでは彼女の言い間違いを彼氏だけが聞いたことになっていますが、店員も一緒に聞いていたことにする、という手もあります。その方が面白くなるのなら、脚色してしまってOKです。彼女には悪いですが、笑いに魂を売ってしまいましょう。

 

これではもう「脚色」ではありません。「創作」といえば聞こえはいいですが、端的に”作り話”です。著者は「「脚色」はあくまで事実ありきで盛る行為」とも説明していますが、これでは事実ありきとはいえないのではないでしょうか。それとも「盛る」とは”捏造する”という意味なのでしょうか。

 

笑いに魂を売れない私は、さすがにここまではできそうにありません。というより、著者の言うノウハウを十全に発揮できる場所は、笑いを取ることが至上命題のお笑い芸人さんの世界だけなのではないかとも思えます。

 

正しさの基準がなにかなんてことは私にはわかりません。ですが、著者の言う「脚色」が正しさから遠い場所にあるのはたしかだと思います。

 

お笑い芸人でもない私たち一般の人々が、著者のそうした姿勢を是として受け入れるようになったら世も末のような気がします。というのも、それは私たちが面白さのために正しさをないがしろにするということ、言い換えるなら、社会が正しさではなく面白さを基準に回るようになるということですから。

 

というわけで、読了後、私はいい気分がしませんでした。面白ければなんでもOKという世界は、テレビの中の世界だけであってほしいと強く思いました。

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読書感想: 『コンビニ店長の残酷日記』

 

『コンビニ店長の残酷日記』 三宮貞雄 小学館(2016/4/6)

コンビニの店舗経営は、本部による搾取の上に成り立っています。

利用したことのない人はいないのではないかと思えるほど私たちの生活に根付き、様々な便利なサービスを24時間提供し続けてくれるコンビニ。コンビニは今や社会インフラとなっています。

 

本書は、そんなコンビニの裏側を現役のコンビニオーナー店長である著者がありのままに語り、外側からではなかなか知ることのできないコンビニの「残酷」な実態を世に周知することを目的とします。

 

私は読みながらびっくりしました。そして辛くなってきました。その残酷さは私の想像以上でした。

 

残酷さを産む原因は大きく分けて三つです。一つは独特の営業形態。もう一つは理不尽な客。そして最後は理不尽なコンビニ本部です。

 

一つ目については、例えば、24時間営業を維持するため4日間寝ないで勤務、1泊旅行をする時間も取れないというような話が紹介されます。二つ目の理不尽な客については、店員を召使のように扱う横柄きわまりないな客や、コンビニの迷惑を顧みない傍若無人な客が多数紹介されます。中にはテレビをコンビニのゴミ箱に捨てていくような強者もいるようです。

 

これら二点だけでももう十分にコンビニ経営の残酷さが伝わってくるのですが、これらは序の口です。もっともやっかいなのはコンビニ本部の理不尽さです。これについて語られるあたりが、本書のポイントでしょう。著者は自身の体験を丁寧に追いながら、コンビニ本部と店舗との関係を詳細に、あくまでも冷静に書き綴っていきます。

 

とても勉強になるので本部の理不尽さの詳細についてはぜひ本書を読んで欲しいのですが、概略はこうです。

 

ノウハウはすべて本部頼み、契約更新についても本部の胸先三寸といった圧倒的に優位な立場を背景に、本部は各店舗に過剰なノルマなど無理難題を迫ります。各店舗は建前上は独立した経営主体ですが、実質的には本部の強い制約のもとに経営せざるを得ません。それだけではありません。そもそもの会計システムが、各店舗が儲かろうが儲かるまいが本部は儲かるようなものになっています。また、本部は各店舗のすぐそばにでも平気で新店舗を作ります。全体のパイが大きくなれば、各店舗の売り上げがどうなろうが本部にとっては関係ないのです。

 

本部は各店舗を搾取の対象としかみていないようです。搾取を織り込んだビジネスモデルによってコンビニが成り立っていることがよくわかります。

 

ここ1年ほどの間に、コンビニが建て替えられるケースを私の住む筑西市内で2つほど目にしました。壊しているときはコンビニをやめるのかと思っていましたが、程なくして同じ場所に同じ建物が建ち、以前と変わらず営業を再開しました。なぜ建て替えたのか私は不思議でした。新しくできたコンビニを見る限り、外見も中身も以前との違いが私にはわからなかったので。駐車場の大きさも変わっていませんでしたし。

 

本書を読んだいまでは、本部からの圧力で(一般利用者にとっては旧式と違いのわからないような)”最新式”のコンビニに建て替えさせられたのではないかと勘繰りたくなってきます。おそらくは本部指定の業者を使わされて、本部にマージンがいくという仕組みなのではないでしょうか。

 

さて、コンビニが次から次へとできる現状を見る限り、コンビニの店舗経営を始める人は後を絶たないようです。つまりコンビニの店舗経営の仕事には魅力があるわけです。ですので、コンビニのビジネスモデルを一方的に断罪することはできません。

 

ですが本書を読む限り、コンビニの裏側にはそこで働く人々の苦労、というよりコンビニ本部によるそこで働く人々の搾取があるのはたしかです。実際、アメリカで日本式のコンビニビジネスモデルを採用したところ、店舗側の反発が強まり、本部側との間でのトラブルが頻発してるようです。

 

コンビニのビジネスモデルが健全であるとは思えません。不健全なインフラに支えられている社会が健全であるとも思えません。

 

本書の内容が周知されることを、そして本書が、本部による各店舗の搾取を内包する現在のビジネスモデルの変更を促すきっかけとなることを祈るばかりです。 

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読書感想 : 『池上彰のあした選挙へ行くまえに』

 

『池上彰のあした選挙へ行くまえに』 池上彰 河出書房新社 (2016/6/20)

本書は池上さんの選挙解説です。

本書は、ご存知、池上彰さんの選挙解説です。

 

参議院議員選挙が明後日に迫っています。そこでこれを機会に選挙についての知識を池上さんに整理してもらいたいと思い、本書を手にとってみました。

 

選挙の解説というと、選挙制度の分類や日本と他国の選挙制度との比較などの教科書的な羅列に終始してしまいがちですが、池上さんは違います。

 

まずは選挙のない社会(具体的には中国)の問題点を具体的に示して、選挙がないとやばいのだなと読者に気づかせることから話を起こしつかみはOKとしてから、選挙の意義や役割の解説に入ります。その解説も、私たちの生活に密着した事例を持ち出しながら進められるため、池上さんの一つ一つの言葉が腑に落ちてきます。

 

例えば「選挙」と選挙によって選ばれる「政治家」を池上さんは次のように説明します。

 

泥棒や強盗に備えて、いつもパトロールしてくれる人を、みんなで雇うという方法もあります。火事が発生したら、ポンプやホースを持って駆けつけてくれる人たちを雇うことも必要になりますね。  こういうときの費用。これが、税金です。自分たちだけではできない仕事を、みんなで出し合ったお金を使って人にやってもらう。この「お金」が税金で、このお金で雇われた人たちが、役人(公務員)ということになります。  公務員たちに税金から給料を払い、仕事をしてもらいます。でも、公務員がきちんと仕事をしているか、誰かが監視・チェックをしていないと、さぼる公務員が出てくるかもしれません。  かといって、税金を出し合った人たちは、それぞれ自分の仕事に忙しく、公務員の働きぶりをなかなかチェックできません。だったら、自分たちの代表を選び、この代表に、公務員の仕事をチェックしてもらったら、どうでしょう。  こうして選ばれた代表が、政治家なのです。政治家を選ぶのが選挙です。選挙で選んだ政治家にも、税金の中から給料を払います。  つまり、政治家たちは、私たちが納めた税金の使い方をチェックするのです。さらに、税金をどんなことに使うか、使い道を決めるのも、政治家の仕事です。  政治家たちが選挙に立候補して、「私が当選したら、こういう仕事をします」という「公約」を発表しますね。あれは、「私が当選したら、みなさんの税金を、こんなことに使おうと思っています」と言っていることと同じなのです。そこで私たちは、私たちが納めた税金を納得できる形で使おうとしている政治家を選挙で選ぼうとするのです。そう考えると、選挙の投票に行かない人は、「私が納めた税金は、何に使ってもいいですよ」と言っているようなものなのですね。

 

”選挙権は大切な権利です。投票してその権利を行使しましょう。”、”政治家は私たちの代弁者です。”といった正論をぶつけられても、そうした言葉はお題目的です。選挙に関心のない人々にとってはまったく響かないのではないでしょうか。それに対して池上さんのように説明されると、選挙や政治家が私たちの生活とは切り離せないものだと思えてきます。池上さんの言葉は選挙を身近に感じさせ、そして正論よりもはるかに投票へと人々を動機づける力があると思います。

 

選挙一般についての解説に続けて、池上さんは様々な選挙制度、選挙制度と政治制度の関連、お金や開票速報などの選挙の裏側等を、教科書的な無味乾燥さとは無縁の語り口でわかりやすく解説していきます。わかりやすさに加えて、そうだったんだーと思わせる一歩踏み込んだ知識を随所に織り交ぜ、読者の知識欲も満たしてくれます。

 

池上解説はまさに名人芸です。その手際の良さに惚れ惚れします。

 

池上さんは多くの方に特に若者に投票に行って欲しいと考えており、そのための一助となればという思いから本書を書いたようです。本書を読むとその思いはひしひしと伝わってきます。

 

選挙に関心がない人が関心を持つようになるには、親族や友人が突如選挙に出ることになるというケースでもない限り、私は本書を読むのがもっとも効果的ではないかと思います。

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読書感想 : 『秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇 』

 

『秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇』 滝沢 弘康 SBクリエイティブ (2013/9/13)

本書は、秀吉の家臣団に注目し、秀吉の生涯とその時代を見つめ直します。

秀吉はドラマや小説で繰り返し描かれており、ある程度の年齢以上の人でしたら誰もが秀吉の生涯を知っているのではないでしょうか。また、秀吉について程ではないにしても、黒田官兵衛、石田三成を筆頭に、秀吉の有名な家臣についての知識も多くの方は持っていると思います。

 

本書は、秀吉でもなく、官兵衛や三成と言った特定の家臣でもなく、秀吉の家臣団全体にスポットライトをあてます。秀吉家臣団とその変遷に注目することで、語り尽くされた感のある秀吉の生涯と、これまたドラマや小説でおなじみの信長、秀吉、家康の時代を見つめ直す一つの視座を提供することが本書の目的です。

秀吉は蓄財より人材の人でした。

言われてみれば当たり前、とはいっても私はそこに考えが及ばなかったのですが、「最下層」の農民出身の秀吉ははじめは一人の家臣ももっていなかったんですよね。秀吉はまさにゼロから自身の家臣団を創り上げていったのです。

 

秀吉はキャリアの最初期から、つまりなんの力ももっていないころからリクルート活動を積極的に行っていたようです。

 

身分のある武将が小身であった秀吉に付き従うはずがなく、秀吉は正勝や前野長康のような愚連隊的な立場の武将、山内一豊や堀尾吉晴のように零落した武将、自らと同じく下層出身の武将を積極的にスカウトしていた。また、縁者などの子息を引き取り、神子田正治らいわゆる「羽柴四天王」や、加藤清正や福島正則らのような子飼衆の育成も、この頃から積極的にはじめていたようだ。秀吉はこのように、〝手づくり〟で家臣団を構築していった。現実を直視し、創意工夫しながら事態の対応にあたるというのは秀吉の美点だが、それにしても家臣を増やすための努力たるや涙ぐましいものがある。秀吉は家臣一人ひとりを口説き、ゼロから手づくりで家臣団を組み立てる中で、説得力のある言動や人から好まれる振る舞いを学び、相手の心理を掌握する術を身につけていったのだろう。〝人たらし〟といわれる秀吉の明るく、飾り気のない性格は、こうした努力によって形成されたものだったのである。

 

未来の天下人になる人はやはり違うと思わざるを得ません。大事をなすにはまずは人、「蓄財より人材」。本書を読むと秀吉のそうした姿勢の徹底が、秀吉を天下人へと押し上げたと思えてきます。

 

秀吉が出世の階段を駆け上がっていくにつれて豪華になっていく家臣団。家臣団が豪華になっていくにつれて出世の階段を駆け上がっていく秀吉。どちらがより正確であるのかはわかりませんが、秀吉の出世と家臣団の成長が一体となって進んでいくあたりの話は読んでいて痛快です。

 

もちろん、本書に限らずいずれの秀吉の出世物語も十分痛快ではあります。ですが、本書では家臣団と家臣団を築き上げていく秀吉の苦労が詳細に描かれるため、ここまで大きくなるのは大変だったよなあと、秀吉と秀吉家臣団への思い入れのたっぷりこもった痛快感を味わうことができました。

秀吉家臣団は、秀吉の死後崩壊します。その原因は秀吉家臣団が秀吉の個性に依拠していたためです。

秀吉の死後、秀吉家臣団はあっけなく崩壊します。

 

著者はその原因を、最終的には次の点に見ています。

 

いつの時代も、決定権が機構・システムに帰属せず、個人の裁量に任されていると、少なからず禍根を残すというのは世の常だ。

 

秀吉は自分の裁量で大家臣団を築き上げました。そのため、秀吉が生きている間は、家臣団はまとまりを維持し秀吉政権は機能し続けました。ですが、死んだ途端に家臣団にがたが来てしまいます。例えば、石田三成がいくら卓越した手腕の持ち主であったとしても、引き上げてくれた秀吉の後ろ盾がなくなれば三成は力の源泉を失うことになり、三成を認めない勢力が顕在化してくるのです。三成を巡る対立は関ヶ原の戦いへとまっすぐに続いていきました。

 

「秀吉を反面教師」とし、個人に頼る脆弱さを克服して安定したシステムの構築を目指したのが、ご存知の通り家康が作った江戸幕府です。そして家康の思惑通り江戸幕府は長期政権となります。

 

さて、秀吉痛快出世物語と同じく、”システムのない秀吉とシステム構築の家康”という対比も、すでにどこかで聞いたことのあるお話です。それだけとると目新しさはないかもしれません。ですが、家臣団という切り口で、秀吉という個性に支えられた人事体制から家康という個性を排除した普遍的な人事体制への変換としてその辺りの事情を整理する著者の考察は新鮮で、私はこれまでにない知識と理解を得ることができました。

家臣団という視点からの興味深い話が満載です。

戦国時代に実は「軍師」はいなかったという話、秀吉の利休排除の背景には利休と三成という家臣間の路線対立があったという話、三成は優秀すぎる家臣であっただけでなく、秀吉への絶対的忠義の人であり、さらには寡欲の人であったという話。本書には、家臣団という視点をとることで浮かび上がってくるこうした興味深い話もいっぱい詰まっています。

 

秀吉の生涯であれ、信長、秀吉、家康の時代についてであれ、その手の話はもうお腹いっぱい。でも、ちょっと違った視点からそれらを眺め直してみたい。本書はそんなかたにおすすめの一冊です。

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読書感想 : 『日本会議の研究』

 

『日本会議の研究』 菅野完 扶桑社 (2016/4/28)

本書は日本会議の実態を明らかにします。

日本会議と聞いてピンとくる人はそうはいないのではないでしょうか。私もそうでした。

 

日本会議とは、「皇室中心」「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」「自衛隊海外派遣」という政策の実現を目指す民間の保守団体、右派組織です。

 

そんな一般には名前すらよく知られていないような団体が、今では、第三次安倍内閣のほぼすべての閣僚に日本会議所属議員を輩出するまでに勢力を伸ばしているようです。

 

本書は、政治の世界で一大勢力となっている日本会議を分析し、その実態を明らかにすることを目的とします。

 

著者は、安倍政権の政策実績と日本会議の主張との強い親和性の確認、というより安倍政権と日本会議のずぶずぶの関係の確認に始まり、日本会議の人的構成、活動実態、そしてそのルーツまでを、丁寧な取材と綿密な資料の読み込みによって実証的に説得的に論じていきます。ひとつひとつの取材の結果が、少しずつ結びついていき、日本会議の正体がはじめはおぼろげに、徐々にはっきりとあらわれてくる。読ませてくれます。とてもおもしろいノンフィクションです。私は安倍首相が二度目の首相になったとき、安倍さんの政治力の強さに感嘆したのを覚えていますが、安倍さんが返り咲けた理由が、つまり安倍さんの政治力の源泉が本書を読んではっきりわかりました。

 

具体的な内容についても触れたいのですが、それはやめておきます。理由は、本書は終盤に謎解きストーリーを含んでいるからです。著者は取材の果てに日本会議を裏で牛耳る人物の存在へとたどり着き、そしてその人物の実態を解明していきます。それはまるで謎解きです。私はワクワクながら読みました。そのワクワク感を味わってもらうためにも、ここでは詳しい内容については控えておきます。

”民主主義による民主主義破壊”の警告の本でもあります。

日本には、農業従事者よりもサラリーパーソンのほうがはるかに多いはずです。つまり有権者の数はサラリーパーソンのほうが多いはずです。ですが戦後一貫して農業従事者の声のほうが政治に反映され、補助金をはじめ農業従事者に手厚い政策がとられ続けてきました。

 

民主政治においては数が重要ですが、数があっても必ずしも力にはならない。数が劣っていたとしてもそれをまとめあげれば力になるということです。

 

本書を読んでそんな(ある意味当たり前の)ことを痛感しました。

 

日本会議は圧力団体の中では「規模も小さ」い団体です。ですが大きな政治力を獲得しています。

 

結局のところ、日本会議は民主主義社会で自分たちが望む政策を実現してもうために有効なやるべきことを、「執拗に」「継続的に」やっているようです。国政レベルだけではなく地方においても地道にロビー活動等を重ね、少しずつではあれ地歩を固めてきた。その結果が今なのです。

 

政治活動を取り仕切り、数を力へと変換する能力にも長けています。

 

日本会議事務方が行っているのは、「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」という極めて幼稚な糾合点を軸に「なんとなく保守っぽい」有象無象の各種教団・各種団体を取りまとめ、「数」として顕在化させ、その「数」を見事にコントロールする管理能力を誇示し、政治に対する圧力に変えていく作業なのだ。  個々の構成員は高齢でそのくせ考えが幼稚でかつ多種多様かもしれぬが、これを束ねる事務方は、極めて優秀だ。この事務方の優秀さが、自民党の背中を押し改憲の道へ突き進ませているものの正体なのだろう。

 

日本会議の主張に賛否はあると思いますが、日本会議がこれまでに積み重ねてきた運動を否定することは、民主主義を否定することにもなります。民主主義を肯定する以上、民主的な手段で実行されている日本会議の運動を否定することはできません。

 

著者は日本会議の主張は民主主義を破壊するものと捉えています。そのため、

 

このままいけば、「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!

 

と述べています。

 

民主主義による民主主義の破壊というと、その筆頭はワイマール共和国のヒトラーでしょう。ヒトラーの場合は大衆の支持を後ろ盾にした民主主義による民主主義の破壊でした。ですが、日本会議の(主張が著者の言うように破壊的なものであると言える)場合は、大衆ではなく、ごく一部の強力な圧力団体を後ろ盾にした民主主義による民主主義の破壊になりそうです。

 

歴史を画する新手の登場のような気もします。

 

と、呑気に構えていてよいのかはわかりませんが、本書は日本会議の実態を教えてくれるだけでなく、民主主義が孕むリスクについて警告を発する本としても読むことができると思いました。

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読書感想 : 『アメリカのジレンマ 実験国家はどこへゆくのか』

 

『アメリカのジレンマ 実験国家はどこへゆくのか』 渡辺靖 NHK出版 (2015/7/10)

本書は保守とリベラルの対立を軸にアメリカを描き出します。

アメリカという国は、現代に生きる私たち日本人にもっとも大きな影響を与えている国家といって間違いありません。それもあって、肯定的なものから否定的なものまで、日本にはアメリカについての多種多様な言説が存在します。

 

著者はそうした言説には「過剰なバイアス」がかかっており、アメリカの実相を伝えていないと考えます。そこで本書は、アメリカ社会の実相を冷静に描き出し、私たちがアメリカについて考える際の確固とした足場を提供することを目的とします。

 

著者は、アメリカ社会を考える際に第一におさえるべきは、保守とリベラルの対立であるとします。本書はその対立関係を軸にアメリカを分析叙述していきます。

 

保守とリベラルについて、著者は次のように説明します。

 

アメリカは建国以来、連邦政府、つまり中央権力に対する徹底的な懐疑を前提とした社会である。その前提のもとで、保守とリベラルの対立軸がはっきりしている。(中略)アメリカの保守は、市民によるセルフ・ガバナンス(自己統治)を強く重んじる。それゆえ「政府は自由にとって邪魔だ、障壁だ」と考える。片や、リベラルのほうは、自由放任はかえって人間を不自由にする、つまり、「真の自由を実現するために政府が必要だ、中央権力による一定の介入はそのための手段だ」と考える。

 

「保守」は「市民による積極的なガバナンスを重んじ」、「リベラル」は「政府による積極的なガバナンスを重んじる」ということです。

 

アメリカ独立にはじまり、南北戦争、世界恐慌を経てニューディール政策、黄金の50年代、レーガンに始まる保守革命、そして現在のオバマ政権。こうしたアメリカの歴史を保守とリベラルの対立のもとに描き出す著者の手際は鮮やかの一言です。本書を読み進めていくと、この対立構造がアメリカの歴史を一貫して流れる通奏低音であって、最も深いところでアメリカを動かしてきたエンジンのようなものであるとわかります。著者がフェアなアメリカ像を提示するための鍵概念としてこの対立構造を選んだのも納得です。

 

アメリカについての理解をとてもクリアーに整理してもらえました。わずかばかりではありますが、これまでアメリカについてもっていた断片的な知識が有機的に結びつき、知識に血がかよいだした気分です。勉強になりました。

 

面白くて勉強になるアメリカ語りというと、私は映画評論家の町山智浩さんをすぐに思い出しますが、ここにもう一人、気になるアメリカ語りを見つけました。渡辺さんもこれからは要チェックです。(雑駁にまとめると、町山さんは帰納的アプローチ、渡辺さんは演繹的アプローチと言えるかと思います。)

 

できたら著者には、目下キャンペーン真っ最中の大統領選挙の後にでも、”トランブ現象”、”サンダース現象”も含めたアメリカ語りの著作を出して欲しいものです。

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読書感想 : 『東京防災』

 

『東京防災』 東京都総務局総合防災部防災管理 東京都 (2016/3/30)

本書はとても役にたつ防災マニュアルです。

本書は東京都が作った防災マニュアルです。

 

災害に備えて私たちが知っておくべきこと、準備しておくべきこと、いざ災害にあったときに私たちがすべきこと等が、具体的に、網羅的に、とてもわかりやすく説明されています。

 

私は茨城県筑西市に住んでいます。自分の住んでいる地域では災害なんてないだろうとなんの根拠もなく長い間思っていましたが、2011年には震度6の地震があり、昨年2015年には鬼怒川の氾濫がありました。どこに住んでいても災害にあう可能性は否定できないと思い知らされました。

 

かといって、私は災害に対する知識をしっかり仕入れているわけでもありませんでした。せいぜいがメディアを通して断片的に仕入れるぐらい。「非常食が命をつなぎます」といわれると非常食を買っておこうと思うような具合です。

 

私たちは、災害がらみの知識を知っておかないといけないと思いつつも、ついつい知らずに済ませてしまいがちではないでしょうか。本書は、そうした知識を得るためのエネルギーを最小化してくれるありがたい本です。

 

本書は都民向けに書かれた「完全東京仕様の防災ブック」とされていますが、東京について書かれているのは一部だけで、東京都民以外の方にとっても十分に役に立ちます。

 

Kindleで無料でダウンロードできます。スマホに入れておけばいざというときも頼りになります(避難時に有用な情報も満載です)。

 

皆様に強くおすすめしたい一冊です。

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読書感想 : 『1日30分練習でマラソンサブ3.5を達成する方法: 忙しいサラリーマンでもできる! 』

 

 『1日30分練習でマラソンサブ3.5を達成する方法: 忙しいサラリーマンでもできる! 』 かん吉 (第三版発行 2015年10月10日)

歩く大会、マラソン大会。スピード練習の有無が結果を左右します。

私は歩くのが好きです。走ることもあります。頻繁にではありませんが、歩く大会やマラソン大会に参加しています。

 

大会に出れば結果が出ます。満足いくときもあれば、そうでないときもあります。後者であることがほとんどですがw、とにかく結果が出ます。

 

良い結果、悪い結果。そうした違いが出る原因について、以前から薄々感ずいてたことがありました。それが5月に参加した”りんりんロードウォーク大会”の結果を受けて、違いの原因について確信をもてるようになりました。

 

それは練習方法です。スピード練習の有無が結果を左右します。

練習期間が短いときのほうが結果がよかった。

私の場合これまで、忙しい、あるいは練習するやる気が湧いてこず本格的な練習開始を先延ばししてしまうなどの理由で、大会前に練習期間がとれないときのほうが結果がよかった。つまり、たっぷり本格練習をする時間があるときのほうが結果がよくなかったのです。

 

例えば、5月の”りんりんロードウォーク大会”のための練習では、まとまった練習時間がとれたのは1日(こちら)だけ。1日トータルではそれなりに練習できたのが2日間(これこれ)。それ以外はごくごく短時間の練習を短期間繰り返しただけでした。それなのに私にとっては満足のいく結果を得ることができました。

 

逆ではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。私もどうして練習期間が短いときのほうがタイムがよくなるのか以前は不思議でした。

 

振り返ってみると、練習期間に応じて私は練習方法を変えていたのです。

LSDよりもスピード練習が効果的です。

練習期間がたっぷりとれるとき、私は基本的にはLSDを中心にしていました。LSDとは"long slow distance"の略で、ゆっくりとでいいのでとにかく長い距離を走る(もしくは歩く)ことをいいます。

 

LSDをすると距離に対する不安がなくなります。それと同時にスタミナの不安も払拭できます。しっかりLSDをした後の大会では、私は自信をもってスタートラインにたつことができていました。私はこの練習法がもっともよいと考えていたのです。

 

それに対し、練習期間がないときはスピード練習を中心にしていました。というのも、限られた期間で練習をするには、スピードを上げて身体にたっぷりと負荷をかけてやるのがよいだろうと考えたからです。

 

具体的には、ランニングなら、LSDではキロ5分30秒〜6分ペースのところをスピード練習ではキロ4分〜4分30秒ペースにあげます。ウォーキングの場合は、LSDではキロ9分〜9分30秒ペースのところをスピード練習ではキロ7分〜7分30秒ペースにあげます。ペースに大きな差があるのがお分かりいただけると思います。スピード練習のときのペースは私にとってはかなりきついペースです。足が動くときはそれ以上のペースで走ったり歩き続けるようにします。身体がきついペースを維持するのです。

 

スピード練習は短時間集中でやるので、走る距離、歩く距離はわずかです。どうしても距離とスタミナに対する不安が残ります。そのため、私はスピード練習を緊急避難的な練習法と位置付けていました。

 

満足いく結果がでたのは緊急避難と考えていたスピード練習を重ねたときでした。

 

距離とスタミナ重視の練習をよしとしていた私の考えは間違っていたようです。スピード重視の練習のほうが成果が上がり、その上時間もかからないので効率的だったのです。

これからはスピード練習!

私にとっては、LSDよりもスピード練習のほうがきつい。できればやりたくない。それもあって、”酸っぱいブドウ”の話のように、私はLSDがもっともよい練習法だと自分に言い聞かせて、できるかぎりスピード練習はしないようにしていたのかもしれません。

 

きつい練習ならきっと成果にもつながるはず、というのは合理的ではありません。また、個人的な経験を安易に普遍化すべきでもありません。ですが、これまでの経験から、私は結果を出すにはスピード練習が不可欠と考えます。確信をもってそう言えるようになったいま、今後の練習はスピード練習を基本にやっていこうと思っています。

本書もスピード練習を重視します。

前置きが長くなりました。

 

私は本書を、以前にKindleセールに出ていた際に買っておいてはみたものの、冒頭部分だけを読んで読むのをやめてしまっていました。

 

それが今回、マラソンの練習はスピード練習で十分ということが本書の冒頭で書かれていたのを思い出して、改めて取り出して読んでみました。

 

サブ3.5(フルマラソンを3時間半以内に走ること)を達成し、いまではさらにタイムを上げている著者は、自身の経験を踏まえてつぎのように言います。

 

フルマラソンのタイムを向上するには、スピード能力の向上が不可欠なのです。スピードを徹底的に鍛えて、レースでは7割くらいのスピードで余力を持って走れるようになれば、失速せずに最後まで走り抜けられます。 LSDといったゆっくり長時間走り続ける力を高めるスタミナ系のトレーニングも、効果的だと言われています。しかし、仕事や家事、子育て、勉強と、みんな忙しいです。長時間走るトレーニングはスケジュール的に厳しいです。 短時間で行えるスピードアップ練習に集中して、スタミナは、レース戦略や補給でカバーする作戦を、本書では提案します。

 

フルマラソンを速く走るには、スピード練習が有効なのです。何十kmとか長距離を走る必要はありません。

 

読んでいてうれしくなってきました。確信が持てたとはいえ、スピード練習が効果的というのは私の個人的体験に基づく個人的な考えに過ぎないと思っていましたが、そうではありませんでした。ここにも同じように考えている人がいたのです。

 

これからはスピード練習を中心にやっていこうと思っている私の背中を押してもらえた気がします。というよりも、背中を押して欲しくて改めて本書を読もうと思ったのかもしれませんw

本書はマラソン愛にあふれたマラソンエッセイです。

本書は、スピード練習が重要という主張だけでなく、具体的なトレーニング方法、サブ3.5達成までの著者自身の参加10大会の詳細なデータと分析、そしていくつかのマラソンコラムをおさめています。

 

本書はすべてが著者の個人的な感想です。著者が汗にまみれ、試行錯誤を繰り返しながら感じ取ったもの、つかみとったものを綴った市民ランナーによるマラソンエッセイです。マラソン愛にあふれた著者の文章を読むうちに、なぜか私は走りたいという気持ちになってきました。そしてもしかすると私でもできるのではないかという気持ちにも。

 

私はマラソンはハーフを主戦場にしているのですが、フルにも参戦してみようかと思いはじめています。

 

マラソンの専門家の書いたものとは一味違ったマラソン本をお探しの方、あるいは走るモチベーションが下降気味の方はぜひどうぞ。

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読書感想 : 『必笑小咄のテクニック』

 

『必笑小咄のテクニック』 米原万里 集英社 (2005/12/21)

小咄の構造分析の本です。

本書は、ジョーク、アネクドート、ショートショートなど、世にある様々な笑い話をまとめて「小咄」とし、その構造を分析することを目的とします。

 

著者によれば、その構造は11のパターンに分類されます。多くの小咄の例を用いながらの分類で、議論はわかりやすく説得的です。これまで深く考えずに接してきた”笑い”というものの奥深さを実感させてもらいました。

オチの意味。それは落差。

11のパターンに分類されるとはいえ、小咄の基本は一つです。それはオチをつけることです。オチという言葉についての著者の説明を聞いてみます。

 

小咄の目的は笑いを取ること。笑わせるためには、オチは思いがけないほどいい。予測される展開と実際の顚末との落差こそがオチなのだ。あらかじめオチが分かってしまったら、落差は生まれないからオチにならない。

 

どんな短い小咄にも長い小咄にもオチそのものと、オチをオチとして成立させる落差のための前提部分がある。

 

要するに、オチとは前提部分によって聞き手や読み手の頭の中に生まれるだろう予想と、実際の結末とのあいだの落差によって生まれるものなのだ。しつこいようだが、この落差を設けるためにこそ心血を注ぐべきなのである。

 

私は「オチ」という言葉の由来を知りませんでした。テレビで芸人さんが”オチ”とか”オチがつく”とかいう言葉を使うのはなぜだろうと常々思っていました。どうやら「オチ」とは、小咄の「予想させる展開と実際の顛末の落差」のようです。つまり小咄を聞いている者(あるいは読んでいる者)の期待を裏切り、彼(女)らを思いがけない結末へと突き落とすことが、よくできた小咄ということであり、”オチた”といわれることになるのでしょう。

 

ところで、”すべる”という言葉もあると思います。小咄が面白くなかったときに使う言葉です。”オチてない=すべっている”ということです。

 

私は”すべる”という言葉の由来も知りません。本書には”すべる”という言葉は用いられていませんので、”落差=オチ”という本書の定義を踏まえて”すべる”の由来を私なりに考えてみました。うまく説明できないように思えます。”落ちていない”とは、”落差を生み出せていない”と言い換えることができると思いますが、これが”すべる”という言葉で表現されるのはいまいちピンときません。”すべる”の由来は謎のままです。

小咄はテクニックによって生まれます。

小咄の構造が11パターンあるということは、「落差」を作る「必笑小咄のテクニック」が11個あるということです。本書を読んでいると、芸人さんや噺家さんは、たしかにそうしたテクニックをしっかり踏まえて話を作っているなと思えてきます。オチはテクニックによって生まれるのです。

 

オチはゼロから創造するというよりも、見いだして演出するものなのである。

 

ボーヴォワールの名文句「人は女に生まれない。女になるのだ」を捩るならば、「最初からオチなんてない。オチにしてやるのだ」ということ。

 

テクニックがある人にかかれば、日常のなんともない出来事も愉快な笑い話に変化するわけです。

 

ところで、あらたまって小咄をする機会はなかなかないかと思いますが、誰もが会話をします。小咄の構造とはユーモアの構造であり、小咄を生み出すテクニックはユーモアを生み出すテクニックでもあります。会話もユーモア溢れるものであるのに越したことはありません。本書は会話を楽しく進めるためのヒント集でもあります。実践できるかはさておき、知っておいて損はないと思います。 

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読書感想 : 『オリンピックと商業主義』

 

『オリンピックと商業主義』 小川勝 集英社 (2012/6/20)

本書はオリンピックの収支構造の変遷を追ったものです。

本書は、近代オリンピックの始まりとなった1896年アテネ大会から、2012年ロンドン大会までの、オリンピックの収支構造の変遷を追ったものです。数字を挙げて一つ一つの大会の収支構造を丹念に分析、考察し、オリンピックに「商業主義」が侵食していくプロセスを明らかにしていきます。

 

著者はオリンピックの商業主義化を肯定するでも否定するでもない中立の立場に立って、淡々とオリンピックの経済事情を記述していきます。また、中立的な視点から、オリンピックを巡る様々な政治的、経済的、社会的背景、具体的に言うならIOC、各競技の国際競技連盟、開催都市の組織委員会、各国政府、スポーツメーカー、スポンサー、メディア、アスリート等利害当事者それぞれの思惑と利害当事者間でのやり取りを丁寧に説明してくれています。おかげで私は、オリンピックが時代とともに商業主義化していく必然性のようなものを理解することができました。

商業主義化の行き過ぎによって、オリンピックの理念はないがしろにされています。

オリンピックの商業主義化については中立的に論じる著者も、商業主義化の行き過ぎについては問題があると考えているようです。(それを著者は「商業主義化」とは区別して「商業主義に陥る」と表現しています。なお、著者は商業主義化の行き過ぎのはじまりをソウル五輪としています。)

 

現在のオリンピックにおける「商業化の弊害」とは、突きつめて考えると、営利団体ではないはずのIOCが、収入を極大化しようとしているところにある。

 

IOCは非営利団体です。収益を極大化することが目的ではありません。それにもかかわらず、いまやIOCは少しでも多くの収益を得ようし、結果として、巨額の放映権を払ってくれるテレビや巨額のスポンサー料を払ってくれるスポンサーに大きな発言権を与えることになってしまっているようです。

 

テレビやスポンサーの言うことは絶対です。彼(女)らは、テレビ放映に都合の良いように競技ルールの変更(野球のタイプレーク、バレーのラリーポイント制など)を求めたり、放映時間の調整のために競技スケジュールすら変更(アメリカの視聴者の都合を優先)させたりします。競技者そっちのけです。大人の事情に競技者は振り回されます。競技の質そのものの低下を招くことにもなります。

 

「アスリートの崇高な祭典」という言葉に集約されるオリンピックの理念がないがしろにされているのです。

 

オリンピックの格式を守って開催できるように企業の影響力を抑えるには、テレビ放映権料や公式スポンサーの協賛金を抑える以外にないだろう。現在ほど高く売らなくてもオリンピックは開催できるのだから、企業からの収入が下がっても問題はないはずなのだ。

 

オリンピックの理念を守るというIOC本来の義務を顧みず、必要以上に収益をあげたがる。いまやIOCは営利団体になっています。

不明瞭なお金の動きが出てくるのは、行き過ぎた商業主義の帰結です。

日本だけでなく世界各国で、オリンピックにまつわる不明瞭なお金のやり取りがニュースを賑わせています。直近では、東京五輪招致委員会が2億3千万円の裏金を使っていたのではないかとの疑惑が持ち上がっています。

 

著者は、本書を公表された資料だけに基づいて書いたようです。自制を働かせてか、裏金等の不明瞭なお金についての言及は本書にはありません。そのため本書の感想の枠をはみ出てしまうのですが、そうした不明瞭なお金の動きが出てくるのも、行き過ぎた商業主義化によって一大利権と化したオリンピックの現状を考えればさもありなんといったところでしょう。

オリンピックの商業主義的拡大路線は今後も続きます。

著者の問題提起も虚しく、オリンピックは今後も商業主義的拡大を続けていくのでしょうか。言い換えるなら、オリンピックの理念と現実の乖離をさらに大きくしていくのでしょうか。あるいは、それにはなんらかのブレーキがかかり、どこかで理念回帰へと方向転換することになるのでしょうか。

 

ところで、舞台裏はどうであれテレビ放映してくれるおかげで世界中の視聴者はオリンピックを夢中になって楽しむことができます。テレビ放映優先の競技日程を組まれたり、ルール変更を迫られたりするとはいえ、商業主義化のおかげで競技者たちは注目され大金を手にすることができます。IOCはじめオリンピック利権にありつける人々も大きな利益を手にできます。

 

理念を凌駕するおいしい現実があるわけです。

 

報道から伺える限り少なくとも東京五輪までは拡大路線でいくように見受けられますが、ま、そうなりますよねw

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読書感想 : 『本気になればすべてが変わる 生きる技術をみがく70のヒント』

 

『本気になればすべてが変わる 生きる技術をみがく70のヒント』 松岡修造 文藝春秋 (2011/8/10)

熱い男松岡修造は、クールな頭脳としたたかな戦略思考を成分としています。

テレビを通して見る松岡修造は、熱い、いや、暑苦しいとさえ思わせるポジティヴ思考と全力投球な行動スタイルを徹底し、視聴者に元気を与えています。今や熱い男の代名詞となった感さえあります。

 

そんな松岡修造による、修造スピリットの読者への注入。それが本書の目的です。

 

このように言うと、本書は、テレビから受ける印象通りの”熱い男松岡修造”のただただ熱い言葉が70個並べられたものだと予想してしまうかもしれませんが、そうではありません。

 

本書を読むと、松岡修造は実は、クールな頭脳としたたかな戦略思考の上にできていると思い知らされます。著者の熱い振る舞いの背後には、冷静な思考の裏付けがあるのです。本書では、著者自身が絶えず自分を振り返り、よりよく生きられるように試行錯誤を繰り返してきた中でもっとも合理的であると考えるに至った生きる技術が、70のヒントという形で提唱されます。

 

そしてそれらヒントのベクトルはすべて、本書のタイトルにもある「本気」という言葉に向けられているのです。

著者の言う「本気」とは、徹底して基本的なことに忠実であれということです。

では、著者の言う「本気」、あるいは「本気になる」とはどういうことでしょうか。以下では、その点について私なりに思ったところを書いてみます。

 

著者は自身のエピソードを交えながら次のように述べています。

 

仕事はある意味、演技。俳優になりきって気持ちの山場をつくる。

 

「自分主体」を貫きながら、組織の中では歯車になれる人が強い。

 

著者は、”松岡を使ってよかったと思ってもらえる”ことを仕事において最も大切にし、自分は仕事を構成する一つの歯車であるという姿勢を徹底するようです。つまり、”熱い男松岡修造”というのも、著者を使う側から求められる役割であり、著者は”熱い男松岡修造”という役割を演じているわけです。

 

仕事は演技だ!組織の歯車になれ!というのはとりたてて目新しい言葉ではありませんし、そうした言葉の重要性は誰もが実感しているのではないかと思います。ですが、そうした言葉に忠実たろうとしてそれに向けた努力をしようとしても、どうしても中途半端に終わってしまうものです。そうした努力を徹底して実践しているのが著者なんですよね。

 

本書に書いてあることの大半は、上掲の二つの言葉のような、ごくごく普通のことです。ビジネスパーソンとして求められる基本的なことばかりです。そして本書を読む限り、著者は70の言葉すべてに忠実です。

 

基本的なことを徹底したところにあらわれるひとつの理想型が、松岡修造なのかもしれないと私は思いました。

 

確認するまでもありませんが、著者の言う「本気」という言葉は、”ただただ熱く”といったことではありません。(ちなみに、著者は自分のことを「熱い」と思ったことはないようです。)私はその言葉を、徹底して基本的なことに忠実であろうとする姿勢をあらわす言葉として受け止めました。

 

それはそうと、著者のように新しい価値を世に提供し続けているような人こそ、往々にして、実は世間で言われる基本的なことを大切にする保守的な人なのですよね。読了後にそんなことを思いました。

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読書感想 : 『日清・日露戦争をどう見るか 近代日本と朝鮮半島・中国 』

 

『日清・日露戦争をどう見るか 近代日本と朝鮮半島・中国 』 原朗 NHK出版 (2014/10/11)

本書は、日清・日露戦争を「朝鮮戦争」として洗い直します。

本書は、近代日本が初めて起こした二つの対外戦争である日清、日露戦争から第一次世界大戦までの時期を、日本と東アジア諸国との関係を軸に考察し、著者独自の解釈を提示することを目的とします。

 

タイトルにあるように、本書の中心となる対象は日清、日露戦争です。著者の独自性がでているのも、そのあたりのことにかかわります。

 

著者は二つの戦争を洗い直し、次のように主張します。日清、日露戦争はいずれも朝鮮半島の支配権を巡っての戦争であって、それぞれ「第一次朝鮮戦争」、「第二次朝鮮戦争」と呼ばれるべきものであると。

 

著者は二つの戦争の経過とその背景を克明に記述し、持論を力強く説得的に展開していきます。韓国併合は1910年とされていますが、日露戦争が終わるまでには日本の朝鮮支配が実質的には確立していたという話にはびっくりしました。

 

日清、日露戦争というと、どうしても相手国である清国、ロシアと日本との関係性に注意を向けてしまいます。いきおい、朝鮮は視野から抜け落ちてしまいがちです。本書の指摘に私は盲点を突かれた思いです。本書によって、近代日本の歴史を捉える新しい視点をもらえました。

どうして日本は朝鮮を支配しようとしたのか。本書にはその理由が書いてありません。

日本は朝鮮半島を求めて、清国、ロシアと戦った。繰り返しになりますが、そのあたりの議論はとても説得的です。

 

では、そもそもどうして朝鮮半島を支配下におこうと考えたのでしょうか。

 

征韓論、江華島事件、日朝修好条規と、明治政府は朝鮮の開国を要求し、その目的を達成します。日朝修好条規は、日本優位の不平等条約です。この時点で日本は満足しても良かったはずです。ですが、日本は不平等条約締結では満足せず、朝鮮の支配にまで足を踏み出します。それが日清日露戦争です。

 

どうしてそこまで足を踏み出したのでしょうか。

 

本書にその答えは見当たりません。ただただ、朝鮮をわがものにするための歴史的出来事が時系列的に記述されるのみで、朝鮮半島支配に向かう根本的な動機付けについての踏み込んだ議論はありません。日本にとって朝鮮はどうして重要だったのかについての説明がないのです。

 

この点について触れられていないことに私は不満を感じざるを得ませんでした。帝国主義時代はそんなもんだ、他国を支配するのに理由はいらない、といわれてしまうとそれはそれで合理的なのかもしれませんが・・・

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読書感想 : 『100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影 NHKスペシャル 』

 

『100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影 NHKスペシャル 』 春日 真人 NHK出版 (2008/5/31)

ポアンカレ予想に挑んだ天才数学者の格闘のドラマ

ポアンカレ予想。

 

それは、「単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相である」と記述される数学上の命題のことをいいます。フランスの数学者アンリ・ポアンカレによって1904年に提唱されて以来、幾多の数学者の挑戦をはねつけてきた世紀の難問です。

 

その難問が2002-2003年にグレゴリー・ペレリマンによって解決されました。

 

本書は、ポアンカレ予想に挑戦した天才数学者の格闘のドラマを通して、ポアンカレ予想の誕生からその解決までの軌跡を描いていきます。

 

数学の本というと敬遠する向きもあるかもしれません。ですが、著者は数学の抽象的な内容を、数式等を用いず様々な例え話を用いて具体的に理解できるようにしてくれています。"理解できる” は言い過ぎかもしれませんが、おおまかなイメージをつかめるようにしてくれています。ともかく、本書を読むのに数学の知識は不要です。念のため。

数学者は全てを捧げて真理を追求します。

ポアンカレ予想は、多くの天才数学者たちを惹きつけてきたようです。それぞれの専門分野において特筆すべき業績を上げてきた天才数学者たちが、われこそはとポアンカレ予想に挑み続けました。

 

彼らは、ポアンカレ予想に取り組む中、徐々にそれに憑かれたような生活へと入り込んでいきます。「ポアンカレ病」にかかっていくのです。ポアンカレ病にかかると、全生活をポアンカレ予想にささげるようになり、証明が進まない苛立ちや、解決したと思いきやそれが思い違いであったと気づくことによる落胆で、「一歩間違えば正気を失いかねない厳しい日々」を送ることになっていくのです。

 

彼らにとっては、真理を追求することがすべて。俗世的な幸福などなんの価値もないようです。俗世的幸福を求めて四苦八苦している私のような者からみると、彼らはまるで別世界の住人のように思えます。

 

ポアンカレ予想を解決したペレリマンに至っては、そうした俗世的幸福を顧みない程度が途方もないことになっています。

 

同じ数学者からも「ペレリマンは、間違えない」と言われるほどの天才数学者ペレリマン。彼は世間との関わりを徹底的に拒絶します。そのため、著者は本書を書くにあたって本書に登場する数学者を取材しているですが、肝心要のペレリマンその人の取材はしていません。ペレリマンは取材に応じてくれなかったようです。

 

また、ペレリマンは研究に打ち込める環境を求めて、「世界の第一線の数学者たちが集い、しかも高収入が保障されるアメリカでの研究生活を捨て」、故郷の小さな静かな研究所にこもるようになります。数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞をはじめ、賞一般を辞退します。

 

ペレリマンは人との交流やお金や名誉には目もくれず、ひたすら数学的難問に挑み、真理を追求し続けるのです。

 

世紀の難問を解くためには、ここまでストイックにならなければならないのでしょうか。世間との関わりの拒絶(つまりは俗世的幸福の拒絶)が、真理獲得の代償のように思えてなりません。

ペレリマンの独自のアプローチ

ポアンカレ予想は、ポアンカレによって位相幾何学つまりトポロジーという数学の分野の問題に分類されていました。それもあって、ペレリマン以前の数学者は、ポアンカレ予想にトポロジー的アプローチで臨んでいたようです。そして、すでに述べたように、彼らは解決にまでたどり着けずに終わっていました。

 

ペレリマンはそうはしませんでした。ペレリマンによって、ポアンカレ予想という「トポロジー(位相幾何学)を象徴する難問が、まず微分幾何学のアイデア(リッチフロー)で切り崩され、さらに物理学に由来するアイデアを導入することで解決」されます。つまり、微分幾何学と物理学のアイデアを用いたアプローチをとることでペレリマンは成功をおさめたのです。

 

では、どうしてペレリマンは従来にないアプローチをとることを思いついたのでしょうか。その天啓のようなものがペレリマンをポアンカレ予想に結びつけ、ペレリマンをポアンカレ予想の解決へと導いた鍵になるものだと思います。その鍵について、本書はスルーしています。

 

ペレリマン本人の取材ができなかった以上、それを求めるのはないものねだりなのは重々承知ですが、読了後、その点がどうしても気になってしまいました。

  

ところで、本書は NHKの番組をもとに仕上げられたもののようです。公共放送のNHKとはいえ、テレビ番組のテーマに数学を選んだことに驚きです。そして本書のような深く、濃い内容の番組を制作していたと知るにつけ、さすがはNHK、会長がらみの問題ややらせ問題やらで色々と世間を騒がせているとはいえ、腐っても鯛だなと改めて感心させられました。

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読書感想 : 『天才』

 

『天才』 石原慎太郎 幻冬舎 (2016/1/21)

本書は石原慎太郎による田中角栄の伝記です。

戦後日本を代表する政治家田中角栄。

 

その田中の「金権主義を最初に批判し、真っ向から弓を引いた」石原慎太郎。

 

本書は、時が経ち、田中角栄の偉大さを認識した石原慎太郎によって書かれた田中角栄の伝記です。特徴としては、田中角栄のモノローグの形式で書かれていることです。つまり、田中角栄が自身の人生を振り返りながらものした自伝という体裁をとっています。

 

私の年代ですと、田中角栄の活躍をリアルタイムでは知りません。そして著者が田中を批判していたことも知りません。ですので、田中と石原といってもとくに因縁めいたものを感じることはありません。ですが、戦後を代表する政治家田中角栄と、ベストセラー作家石原慎太郎の組み合わせでつまらないこともないだろうと思い、手にとって読んでみることにしました。

 

期待は裏切られました。

本書は、著者の田中角栄への愛に溢れています。

田中と著者の過去のいきさつはどうあれ、本書を読む限り、著者の政治家田中への尊敬の念が、というより、人間田中への満腔の愛情を感じずにはいられません。モノローグという形式をとった時点で、そうなることは既定路線だったのかもしれません。もしかすると、溢れるばかりの愛情を文章にするもっとも効果的な表現手段としてモノローグという形式をとったのではないでしょうか。モノローグ形式をとらずに対象に対するここまでの愛情を表現しようとすると、ベタ褒めの”痛い”文章になってしまうでしょうからw

政治家田中角栄の深掘りがありません。

では内容はというと、いまいちというのが率直な印象です。

 

政敵であった石原慎太郎だから書ける伝記というのが本書の売りのはずです。ですが、どのあたりにそれが反映されているのかわかりませんでした。

 

著者が政治家田中角栄というより、人間田中角栄に比重を置いて話を進めてしまっていることにそうなってしまった原因があるのではないかと思います(あとがきでは著者は田中の政治家としての偉大さに触れていますがそれも通り一遍です)。これは、先に述べた、政治家田中への尊敬の念より、人間田中角栄への愛情が本書にあふれていることと無関係ではないと思います。

 

結局、「闇将軍」「キングメーカー」などと称され権力の亡者のように田中は見られていたが、実は人情味溢れたいい人だったという読後感を読者に与えて終わりの作品になってしまっています。

 

もちろん、本書が田中角栄という偉大な政治家への認知を世間に広め、田中のような政治家を待望する、あるいはきちんと評価できる、著者の願うような世の中になるための第一歩としての意義はあると思います。

 

ですが、政治家として相見えた石原慎太郎だからこそできる、政治家田中角栄のすごみのようなものを深掘りする作品をついつい期待してしまっていただけに、本書の内容には物足りなさを感じてしまいます。この点については、モノローグ形式であったのが足かせになってしまったのではないでしょうか。俺はここがすごいんだ、みたいな自画自賛の文章というのも”痛い”でしょうから。

 

なお、人間田中角栄にスポットを当てているため、政治家田中角栄のなした業績とその意義についての情報量ももちろん多くはありません。田中についての知識を得たかったら他書をあたったほうがよいでしょう。伝記だからといって本書にそれを期待しても手に入りません。

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映画感想 : 『東京原発』

 

『東京原発』 監督: 山川元 GPミュージアムソフト(2004/09/25)

本作は、原発問題を扱った社会派コメディです。

本作は、原発の問題を面白おかしく、そしてまじめに痛烈に批判した社会派コメディです。

 

東京都知事が東京原発誘致案を都の幹部相手にブチあげるところから物語はスタートします。そして、知事と都の幹部たちがその提案についてなんやかんやと議論する会議室のシーンが全体の8割を占めます。

 

この会議のやりとりがおもしろい。同じシーンが延々続くからといって、間延びしたところはまったくありません。主役の役所さんをはじめ都の幹部を演じる役者さんの好演もあり、小気味良くコミカルに進む会議の展開を楽しんでいるうちに、いつのまにかラストのクライマックスに突入になっていた。私はそんな印象です。

 

本作には原発がらみの情報量がびっしり詰め込まれています。それらを理解するのは簡単ではないと思います。この辺りが本作を楽しめるかどうかの分かれ道になるかもしれません。ですが、安心してください。不幸にも3.11を経て原発の危険性を体感し、原発の基礎的リテラシーを身につけてしまった私たちにとっては、苦もなく理解できるレベルのものです。

 

本作は、コメディとして楽しみながら、社会的な問題意識を提供してもらえる、上質なエンターテイメント作品です。

主張が旗幟鮮明で面白い。低予算でも面白い。

さて、本作の主張は、はっきりと原発反対です。その色を隠そうともしません。主張のぜひはさておき、社会派の作品であるなら、下手に中立的な映画を作ろうとするよりも、本作ぐらい主張を旗幟鮮明にしてくれたほうが面白い作品になるのではないかと痛感させられました。(マイケル・ムーアの作品群を思い出しました。)

 

また、先ほどほとんどが会議室のシーンといったように、本作は低予算の映画であるのが一目でわかる作りです。それにもかかわらず、骨太のエンターテイメント作品に仕上がっています。映画のおもしろさと予算規模はそれほど関係ないのではないかと考えさせられる作品でもありました。(クリント・イーストウッドの『グラントリノ』を思い出しました。)

社会は変わらない、変われない。

本作は2004年の作品です。つまり3.11以前の作品です。

 

その時期にすでに、ここまではっきりと原発の危険性を告発するエンターテイメント作品があったことが驚きです。まるで3.11を予言しているかのような内容ですので。

 

原発の危険が認識されれば脱原発の方向へと社会は進むはず。ネタバレになるので詳細は書きませんが、本作はそうした希望をもって創られた作品です。

 

ですが、本作封切り後に、その方向へと社会が動くことはなかった。まあ、映画一本で社会が動くことはなかなかないでしょう。

 

ですが、3.11で原発の危険性を肌身で感じた今もなお、私たちは原発を推進する社会を生き続けています。

 

本作に仮託された希望はものの見事に裏切られ続けています。

 

社会は変わらない、変われない。そんな現実を改めて実感させられた作品でもあります。

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読書感想 : 『「絶筆」で人間を読む 画家は最後に何を描いたか』

 

 『「絶筆」で人間を読む 画家は最後に何を描いたか』 中野京子 NHK出版 (2015/9/11)

本書は、画家の人間ドラマに重きを置いた西洋絵画史の解説書です。

本書は西洋絵画史の解説書です。

 

ただし本書は、絵画史の解説書と聞いて、直ちに思い浮かぶようなスタイルをとってはいません。つまり、中世に始まり、ルネサンス、マニエリスム、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、写実主義、印象派、ポスト印象派、象徴主義を経て20世紀以降の現代へ至るといった、定番の流れに沿った解説書ではありません。

 

そうしたトレンドに従って絵画史を試みると、どうしても時代のトレンドの枠内に収まるかぎりでの画家や作品の解説にとどまらざるを得ません。著者はそうした枠を取っ払って、画家が「何を描いてきたか、そして最後に何を描いたか」という視点から、画家たちの生身の人生を描き出していきます。最後の作品である「絶筆」に着目するというのは斬新な切り口だと思います。

 

つまり本書は、各時代のトレンドではなく、各画家の人間ドラマに重きを置いた西洋絵画史の解説書です。

 

本書で取り上げられる画家は以下の通りです。ルネサンスから印象派までの巨匠15名です。

 

 

ボッティチェリ

ラファエロ

ティツィアーノ

エル・グレコ

ルーベンス

ベラスケス

ヴァン・ダイク

ゴヤ

ダヴィッド

ヴィジェ=ルブラン

ブリューゲル

フェルメール

ホガース

ミレー

ゴッホ

 

こうした歴史に名を残す天才たち。私たちは彼(女)らの名前とその作品、時代(例えばボッティチェリと『ヴィーナスの誕生』とルネサンス)が結びついても、それ以上のことを知ることはなかなかありません。どの画家も、時代を代表する名画を生んだ天才という同じくくりで捉えてしまいます。本書を読むと、彼(女)らは同じ天才といっても、(当たり前のことなのですが(^^;;  )その人生は十人十色であると思い知らされます。

 

若くして富と名声を手にし、死ぬまで何不自由なく暮らした画家、政治状況に翻弄され続けながら絵筆を持ち続けた画家、流浪の果てに力を認められた遅咲きの画家、生前は名声とは無縁で死後にはじめて認められた画家…

 

著者の明瞭な語り口から紡ぎ出される15人分で15個の人間ドラマはどれも興味深く、読むものをあきさせません。画家と彼(女)らを代表する名画、画家と彼(女)らの絶筆。それらの有機的、必然的連関を示されると、本書に挿絵として挿入されている彼(女)らの作品に血が通って見えだすから不思議です。

 

本書は西洋絵画史を振り返るに際しての、新鮮な視点を提供してくれる一冊です。

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歩く : りんりんロードウォーク大会

りんりんロードウォーク大会に参加してきました。

 

不安を抱えながらのスタートでしたが、100キロ完歩できました。

 

辛くて、苦しくて、痛くて、痛くて痛くて身体はボリューム最大で悲鳴を上げていました。なんとか耐え切りました。感無量です。

 

素晴らしい大会をプレゼントしてくれた大会スタッフの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

(後日、大会ウェブサイトからダウンロードさせていただいた写真です。表彰式。ご満悦の私w)

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読書感想 : 『1964年のジャイアント馬場』

 

『1964年のジャイアント馬場』 柳澤健 双葉社 (2014/11/21)

本書はジャイアント馬場の伝記であり、日本、アメリカのプロレス史です。

本書はジャイアント馬場の伝記です。タイトルに1964年とありますが、1964年だけが取り立ててクローズアップされるわけではありません。生まれてから亡くなるまでのジャイアント馬場の全人生を、膨大な資料の精査と綿密な取材を通して明らかにしていきます。

 

また本書は、日本とアメリカのプロレス史でもあります。日本だけでなく、アメリカでも大活躍した馬場さんを描ききるには、日本とアメリカのプロレス事情の解説が欠かせないのだと思います。著者は、日本とアメリカのレスラー列伝のような表面的なものではなく、日本とアメリカがどのような仕組みでプロレス興行をなりたたせ、どのような思想を持ってプロレスに向き合っているか等含めて、日本とアメリカのプロレスの歴史を深く、克明に記述していきます。

 

私はKindleで読みましたが、紙の本では本書は495ページもあるようです。浩瀚な本です。ですが、私はジャイアント馬場をはじめ各登場人物の息吹が聞こえてきそうな臨場感たっぷりの文章に引き込まれ、その長さを感じることはありませんでした。

ジャイアント馬場は超一流のアスリートで、日米のトップレスラーでした。

本書の主役、ジャイアント馬場がプロレスラーだというのは知っていましたが、ジャイアント馬場と聞いてすぐに思い出したのは、「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」の馬場さんです。そこでの馬場さんは身体の大きなとぼけた感じのおじさんでした。ジャイアント馬場が出ている試合も数えるほどですが見たことがあります。それはどれもおふざけのようなものばかりでした。馬場さんが足を上げると、その足めがけて相手がぶつかっていって倒れるといったような。

 

そんな印象しかないジャイアント馬場が、「超一流のアスリート」であり、日本ではもちろんアメリカでもトップクラスのレスラーであったというのですから、私は本書を読んでびっくりしました。

本書の白眉はアメリカ時代の記述です。

ジャイアント馬場は、アメリカでレスラーとしての才能を開花させます。

 

ジャイアント馬場は、プロ野球の巨人を(「実力」ではなく、「人間を差別する嫉妬」によって)クビになり、その後怪我で野球をあきらめたところに、力道山に見出されプロレスの道に入ります。そしてアメリカに「武者修行」に出されます。

 

馬場はプロレス全盛時代のアメリカで身体を鍛えるとともに、プロレスのなんたるかというものを吸収していきます。馬場は恵まれた身体と優れた運動能力ばかりでなく、優秀な頭脳ももっていたようです。あちらのプロレスにすばやく順応し、レスラーとして求められる振る舞いを完璧にこなしていきます。馬場は徹底して”プロ”として振る舞ったのです。

 

馬場がプロレスにロマンを求めることはない。観客にサービスして対価を受け取るという、商人の息子としての職業意識があるだけだ。 

 

プロレスは一種の演劇であり、自分はその中で様々な役回りを演じられるようになりたい。そのためには自分はもっと技術を身につけなければならない。馬場ははっきりとそう言っている。 

 

馬場は「アメリカに渡ってからわずか4ヶ月」で頭角を現していきます。そのあとも出世の階段を登り続け、ついにはアメリカのプロレスの最高の名誉である、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンでのイベントのメインイベンターを務めるまでになります。

 

こうしたリング上の痛快出世物語を別にしても、アメリカ時代の馬場はエピソード満載で著者は(馬場は、か)読者をあきさせません。

 

アメリカで馬場の名前が大きくなるにつれ、良くも悪くも周りが馬場を放っておかなくなります。金の卵となった馬場を巡っての日本、アメリカ両国の各方面による駆け引きやら、アメリカでスピード出世する馬場への嫉妬やら(馬場のボスである力道山も馬場に嫉妬していたようです!)、あちらこちらですったもんだがあり馬場はそれに巻き込まれていきます。そして馬場はそれを優秀な頭脳で切り抜けていき、最終的には最高の待遇を約束されて日本に帰国することになります。

 

本書の白眉はこうしたアメリカ時代の記述でしょう。突出したプロレスラージャイアント馬場は、アメリカで生まれアメリカで育てられたのです。

 

ここでは詳しくは触れませんが、このアメリカ時代に培ったものが日本帰国後の馬場の土台となり馬場を支えるとともに、馬場を縛る鎖しても作用し、後には馬場を時代から取り残す原因にもなっていきます。

プロレスラーの仕事は観客を楽しませることです。

本書には繰り返し、次のような言葉がでてきます。

 

プロレスラーは対戦相手ではなく、観客と戦っている。勝っても負けてもいい。「こいつの試合をまた見たい」と観客に思わせること。それこそがプロレスラーの仕事なのだ。

 

リング上でレスラーが何をするか。それを決める権利を持っているのはプロモーターであってレスラーではない。それが馬場の考えである。

 

プロレスラーにとって重要なのは勝ち負けではない。客を呼べるかどうか。プロモーターの指示のもと、勝つためではなく、観客を楽しませるために必死でファイトするのがプロレスラーの仕事。

 

私たちがある程度の年齢に達すると、いつともなく気づくプロレスの真実です。

 

中学生ぐらいのときに、プロレスはヤラセかヤラセじゃないかといったことを友人たちと繰り返し話したことを思い出します。恥ずかしながら私は、血が出てるんだからほんとうだよー、などと言っていました。それを思い出すと、あのころは若かったなあと、思わず笑みがこぼれてきます。

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歩く : 番外編 りんりんロードウォーク大会の準備

明後日に迫ったりんりんロードウォーク大会。身につけるもの、持っていくものの準備ができたのでメモしておこうと思います。

身につけるもの(足元)

まずは最も大切な足元から。

 

シューズ 

ソックス 

ヴァセリン

 

長距離を歩いたり走ったりする時は5本指ソックスを使います。力が伝わる感じがするのとマメができずらくなるのがそうする理由です。

 

ヴァセリンはマメ防止に使います。駐車場で足全体にヴァセリンを塗ってからスタート地点へ向かいます。ヴァセリンは車に置いていきます。

 

私の足元を支えてくれる、足元3点セットです。

身につけるもの(足元以外)

速乾性の長袖シャツ 

スポーツタイツ

ジャージ(上は長袖、下はハーフ)

 

ジャージの上は昼間は着ません。夜の寒さ対策です。

 

ところで、世間では、私の周りの小さな世間だけかもしれませんが、スポーツタイツの下にパンツをはくかはかないかで論争があるようですw   どちらが優勢なのでしょうか。わたしははかない派です。

身につける道具・持っていく道具

写真は、左上から時計回りに、

 

ヘッドライト

GPS時計 

ライフログ時計 

携帯充電器

小さめの絆創膏

大きめの絆創膏

消毒用エタノール含浸綿

 

です。

 

ヘッドライトはマスト。GPS時計とライフログ時計でデータをとります。あとでデータを確認するのが楽しいですし、なにより思い出になります。

 

携帯充電器は念のため。応急処置グッズも念のため。転んだりして怪我をするかもしれないので。

 

これ以外には、

 

携帯電話

スマホ

ハンドタオル

ポケットティッシュ

ビニール袋

参加受付票

財布

車の鍵

 

を持って歩く予定です。

 

なぜ携帯とスマホの2台持ち??

 

キャリアスマホは高くて手が出ません(>_<) 私のスマホは通話機能のない格安スマホです。通話はガラケーでやっています。そういうわけで2台持ちです。

食べ物と飲み物

カロイーメイトチョコ味 5箱分

ウィダーインゼリーエネルギー 3つ

アクエリアス500ml 2本

 

エイドで食べ物をいただけます。どれもおいしくて、歩き続ける元気をもらえます。ですが、おそらくそれだけでは100キロは持ちません。自分で食べ物を準備していきます。

 

カロリーメイトは口がパサパサすると敬遠する方がけっこういらっしゃいますが、私は気になりません。自覚はありませんが、私は唾液が多いのかもしれません。

 

ちなみに、カロリーメイトは箱から出して袋の状態で持っていきます。

 

飲み物は最初の段階で1リットルほど持っていきます。あとは各エイドで補給させていただく予定です。マグカップが必須とされますが、空いたペットボトルをマグカップ代わりに使います。

その他

帽子

リュック

 

帽子は日差しが強ければ持っていきます。リュックは荷物をいれるためですw ありがたいことに天気はよさげなので雨対策はしません。

追記

バックライト

 

これも必須です。書き忘れてました。


私の人徳のなさがばれてしまいそうですが、以前に一緒に参加した仲間など、友人らに今大会に参加しようと誘ったところ、皆さんに断られてしまいました。今回ははじめからひとりぼっちです( ;  ; )

 

今さら嘆いても仕方ありませんが…w

 

ともかく、しっかり体調を整えて万全の状態でスタート地点にたてるようにしたいと思います!

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読書感想 : 『ファストファッションはなぜ安い?』

 

『ファストファッションはなぜ安い?』 伊藤和子 コモンズ (2016/4/23)

ファストファッション愛好者にとっては耳が痛い本です。

私はファッションに興味がありません。服はなんでもよいと思っています。

 

だから服にお金はかけたくない。服を選んで買う時間と手間も面倒だ。かといって、ダサいとも思われたくはないw

 

そんな私のわがままな悩みを解決してくれるのがユニクロです。ユニクロは安い。値段のわりに作りもしっかりしているので長持ちする。インナーからアウターまですべてが揃うのでワンストップでOK。私はオンラインショップで買っているので、時間も手間もかからない。ユニクロを着ておけばダサいということにもならない(はず)w 

 

私はユニクロ愛好者です。身につけているものの8〜9割がユニクロ製品のときもあります。

 

さて、本書は、ユニクロに代表されるファストファッションの製品が製造される過酷すぎる現場を明らかにすることで、ファストファッションを受け入れ、それをよしとする社会に掣肘を加えることを目的とします。

 

私のようなファストファッション愛好者にとっては、とにかく耳が痛い話を浴びせられ続けることになります。

ファストファッションは労働者の搾取の上に成り立っています。

ファストファッションは安い。著者はファストファッションを、恐らくは皮肉を込めて、チープファッションと呼んでいます。ではその安さの理由はというと、それはどうやら人件費をギリギリにまで切り詰めていることにあるようです。

 

人件費を削るため、ファストファッションの各ブランドは、人件費の安い途上国の工場に製造を委託します。そして途上国の工場は、労働者の権利を全く無視した過酷な労働を労働者に強いて、ギリギリにまで人件費を抑えようとします。

 

ファストファッション製造に携わる工場労働者の惨状は、読んでいて目を覆いたくなるほどです。日本のブラック企業も裸足で逃げるのではないでしょうか。極端に安い給料、長すぎる時間外労働時間、極めて危険で劣悪な労働環境、労働組合の不在。労働法規が無視されています。そうした状態を取り締まり労働者を救済するべき行政側もまったく機能していません。そしてファストファッションの各ブランドは、社会的責任を全うすることをポリシーとして高らかに謳いながら、その実、そうした状態を知らぬふりを決め込むのが常態化しているようです。

 

私が好んで身につけているファストファッション製品は、途上国の工場で働く人々の搾取の上に成り立っているわけです。私はこの記事をいまユニクロの長袖Tシャツを身につけながら書いています。この長袖Tシャツも、途上国のどこかで働いている彼(女)らの苦しみから作り出されているのです。

 

本書には苦しみに耐え続ける労働者の写真が載せられています。彼(女)らは一様に、絶望の海を漂っているような沈んだ表情をしています。今後ユニクロ製品を身につけるにつけ、そんな表情を思い出さずにはいられなくなりそうです。 

労働者の惨状を変える力があるのは消費者です。

著者はヒューマンライツ・ナウという国際人権NGOのメンバーです。著者たちは途上国の労働者の惨状の改善を目指して、具体的にはファストファッションの各ブランドや各国政府に対して働きかけをしています。

 

ですが、著者はそうした惨状を変えるには、結局のところ、私たち消費者が変わらなければならいと主張します。つまり、私たち消費者がファストファッションのブランド製品の裏側で起きている惨状を認識し、ファストファッションをよしとするこれまでの購買行動を改めていくことが、各ブランドの行動の変革につながり、ひいては労働環境の改善にもつながっていくということです。

 

私もその通りだと思います。

 

資本主義社会で一番偉いのは消費者です。各企業が安売りをするのも、また安売りができるように労働者を低賃金でこき使おうとするのも、すべては消費者を惹きつけるためです。そして、消費行動とは投票行動と同じです。例えば、ユニクロ製品を買う(消費する)なら、それは望むと望まざるとにかかわらず、ユニクロを市場に残そうという意思表示をしているのと同じです。他社ではなくユニクロを支持しているということです。

 

消費者が変わらなければ、企業も社会も変わりません。途上国の工場で苦しむ人々を救うためには、迂遠なようですが、そして容易にできることではありませんが、私たち消費者がファストファッションを選択しないという選択をすることがもっとも効果的なのです。

ファストファッション愛好者にこそ読んでほしい一冊です。

繰り返しになりますが、私はユニクロ愛好者です。ですが、本書を読んでしまった以上、今後ものんきにユニクロ愛好者としてやっていくことはできません。それは途上国の労働者の搾取に加担することになるからです。

 

何も考えずにユニクロを使い続けたかった・・・ 本書によって私は不都合な真実を突きつけられた思いです。ですがそれは受け止めなくてはならない真実だと思います。

 

とくにファストファッション愛好者にこそ読んでほしい一冊です。

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読書感想 : 『朱子学と陽明学』

 

 『朱子学と陽明学』 小島毅 筑摩書房 (2009/1/10)

朱子学と陽明学の優れた入門書です。

本書は朱子学、陽明学について流布している旧来の俗説の誤りや理解の浅さを指摘し、「厳密な意味で学術的に」そうした思想と向き合うことで朱子学、陽明学の実像を読者に提供することを目的とします。

 

そのために本書は、朱子学、陽明学が生まれる歴史的思想的背景にはじまり、朱子学の創始者朱熹、陽明学の創始者王守仁(陽明)の生涯と思想、その後の朱子学、陽明学の思想的展開、日本を含めた東アジアへの思想的影響まで、朱子学、陽明学を巡るトピックを網羅的に取り上げます。盛りだくさんの内容が、執筆当時の最新の知見に拠りつつコンパクトにまとめられています。

 

さて、私は朱子学、陽明学というと、歴史や倫理の教科書に書かれていることぐらいしか思いつきません。朱子学は「性即理」で陽明学は「心即理」とされていたなあっと。つまり私はこれまで朱子学にも陽明学にも関心がなかった。基礎知識もありませんでした。ですが私は、抽象的な内容の本書を飽きることなく一気に読めました。理由は二つです。

 

まず、著者は常に朱子学と陽明学を対比させながら話を進めます。そのため、読み進める途中で何度も両者の違いを確認することができます。これは助かりました。おかげで頭が整理された状態で最後まで読ませてもらえました。

 

そしてなにより、俗説の誤りや理解の浅さを指摘したうえで提案される、著者の解釈が説得的です。学術的に丁寧に一つ一つ根拠を挙げながら著者は解釈を展開します。俗説に包まれステレオタイプな表面的理解をされてきた朱子学と陽明学。それらが、著者の解釈により本来の深みとともに姿をあらわしてきます。私は”違いのわかる大人”になったような満足感を深めながら読み進めることができました。

 

コンパクト。わかりやすい。そして内容がしっかりしていておもしろい。本書は朱子学、陽明学への優れた入門書です。ちなみに、先ほど挙げた”朱子学=性即理”、”陽明学=心即理”という教科書的理解も、著者は俗説にすぎないとしメスを入れています!朱子学、陽明学に関心のある方にとっては必読だと思います。

 

最後に蛇足ながら、私はAmazonのKindle日替わりセールで本書を知りました。思いがけず朱子学、陽明学に触れることができ、実りある時間を持つことができました。ありがとうAmazon!

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読書感想 : 『国宝消滅―イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機』

 

『国宝消滅―イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機』 デービッド・アトキンソン 東洋経済新報社 (2016/2/19)

日本文化の危機からの脱却は、日本経済の危機からの脱却

本書は、元ゴールドマンサックスアナリストで、現在、文化財補修会社最大手、小西美術工藝社社長であるイギリス人の著者が、日本の文化、文化財を巡る嘆かわしい現状を指摘し、そこからの脱却の方向性を具体的に提案することを目的とします。

 

著者は日本文化をこよなく愛しています。本書のいたるところから垣間見られる著者の日本文化に対する造詣の深さには驚嘆の一言です。著者は筋金入りの日本愛好者です。それゆえ、日本文化や日本の文化財の「消滅」の危機を強く危惧しています。

 

造詣が深いだけあって、危機の実際を示す具体例も豊富です。建築物、工芸品、呉服、あるいは茶道いった無形のもの・・・  矢継ぎ早に切羽詰まった事例を見せつけられると、私たちが”日本の文化”として想像するものはいつのまにかなくなってしまうのだろうなと暗い気持ちになってきます。

 

さて、著者は日本文化の愛好者ではありますが、個人的嗜好を梃子に、日本文化の危機的状況からの脱却を私たち日本人に提案しているのではありません。

 

著者は現在の日本の厳しい経済状況を救う起爆剤の役割を期して、日本文化や文化財を巡る現状の変革を訴えます。文化や文化財を「観光資源化」し、日本を「観光立国」にすることが、人口減少で経済市場が縮小してく中で日本の「強い経済」を実現する唯一の道だと著者は主張します。日本文化の危機からの脱却は日本経済の危機からの脱却でもあるということです。

文化財関係者は特別意識を捨てよう。

著者は、これまでの日本は文化財を「保護」の対象として扱い、それを観光資源として活かそうという発想に欠けているとし、そうした姿勢を批判の俎上に載せます。著者はおもしろいエピソードを紹介しています。

 

数年前、京都御所のある御苑にある茶室を借りることができると知ったので、さっそく借りることにしました。そのような茶室でぜひともお茶をいただき、日本の伝統文化を体感したいと思ったのです。そこで京都市に申し込んだところ、思わず耳を疑いました。貸すことはできるが、火が使えないと言うのです。  火といっても焚き火をしようというわけではなく、茶室のなかの炉に釜をかけてお湯をわかすだけですが、「とにかく火気厳禁です。電気を使ってください」の一点張りでした。でしたら、私がちゃんとお金を払って、消防団の方に立ち会ってもらいますと食い下がりましたが、さまざまな理由をつけられて、結局は「規則ですので」と言われました。

 

火を使わずにどうやってお茶をたてられるのでしょうか。”へそで茶を沸かす”という言葉がありますが、その言葉はこのエピソードに由来しているのではないかと私は思いますw   日本の基本的な文化財の考え方は、文化財を後生大事に守ることが第一。そのため文化財においては、なんでもかんでも「禁止」とされます。観光客にとって楽しくもなければ、勉強にもならない。そこを訪れる観光客のことなどまるで考えていないのです。

 

そうした観光客視点が欠けた事例としてこんなエピソードも紹介されています。

 

先日、岐阜城への視察に同行しました。立派な甲冑や火縄銃など、展示物はかなり充実していましたが、立派な火縄銃についた英語の解説は、「GUN」と記されているだけです。他の文化財で見た兜も、「HELMET」と記されているだけで、それ以上、何の解説もされていませんでした。  日本文化を知りたいと訪れた外国人観光客にとって、この説明はかなり物足りないというか、がっかりしてしまうのではないでしょうか。たとえば、イギリスから日本に来るには、30万円の航空券を買って、14時間も飛行機に乗ります。もしみなさんがこれだけの対価を払ってやってきた国で、現地の伝統文化を知ることができると期待に胸を膨らませて訪れた文化財で、「GUN」という味気ない説明だけを見たらどうでしょう。少なくとも、その文化の素晴らしさは伝わらないのではないでしょうか。

 

確かにその通りです。兜がHELMETということぐらいは見りゃわかるよって話です。

 

これでは観光立国もなにもあったもんではありません。文化財関係者は、サービス業に携わる者であれば当たり前にやっている顧客視点のサービス展開が全くできていないのです。

 

こうした姿勢の背景には、文化財は特別なものだから他の商売とは違うのだという関係者の「驕り」があると著者は見ます。ここでは深入りしませんが、補助金(税金)で支えられているのが当たり前という勘違いもそう、国宝をなかなか一般公開しないこともそう、コスト意識を欠いた文化施設の不可解な料金設定もそう、職人が職人気質をたてに営業をしないこともそう、伝統工芸品だからといってぼったくりの値段設定をするのもそう… すべて特別意識がなせるわざとし、著者はそうした考え方を本書を通して厳しく批判しています。

本書は含蓄深い日本文化論です。

ところで、私は先の二つのエピソードを読んで笑ってしまいました。

 

ですが、小さい時からの私自身の文化施設の観光体験を振り返ると、ガイドブックに載っているお寺やお城、カブトなどを見るだけでありがたいと思い、各文化施設では禁止事項の多さに窮屈さを感じながらも、由緒ある場所はそういうものだと思い納得していたことに気付きます。

 

著者は観光地であるならそれでは物足りないと思いダメ出しをするわけですが、私は日本のこれまでの文化施設のあり方にとくに疑問を感じていなかったということです。私たち観光客が望んでいないのなら、サービス提供者サイドがなにもしないのも納得です。著者のあげた二つのエピソードを笑ってばかりもいられないと思えてきます。

 

このエピソードも含め、本書には目から鱗の指摘がつまっています。もし鱗が見えるのなら、私のスマホ(←スマホで読んでいます)のディスプレイは鱗でいっぱいのはずです。本書は、外から客観的に見られる外国人の視点の強みが余すところなく発揮された含蓄深い日本文化論でもあります。

 

文化財関係者、観光関係者はもちろん、そうでない一般の方にも一読をお勧めしたい一冊です。

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読書感想 : 『[超図解]勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本』

 

『[超図解]勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本』 中野明 学研プラス (2014/6/24)

自己啓発の源流アドラーの学説が短時間で理解できます。

アドラーという名前は聞いたことがありました。どんなこと言っている人なのかと興味も持っていました。

 

ですが、アドラー本をこれまで読んだことはありませんでした。アドラーの名前の入った本はいずれも自己啓発本という印象で、自己啓発本にあまり興味を惹かれない私はアドラー本を敬遠していたのだと思います。

 

本書は「内容紹介」でアドラーを「自己啓発の源流」としています。私はこの言葉にビビビっときました。アドラーは数限りなく出版されている自己啓発本の総元締めのような人のようです。そうだったのですね!それならアドラーの主張を知れば、自己啓発本に通底する骨格がわかるのではないかと思いました。そしてそれがわかれば、今後も何の迷いもなく自己啓発本を読まずにいられると思ったのですw

 

本書は、アドラーの学説を「1時間」で理解できるまでにギュギュッと凝縮し、図解を用いてわかりやすくその全貌を解説してくれます。アドラーの主張はもちろん、アドラーの人生、後世への影響まで、とてもよくわかりました。私はもうこの1冊でアドラーは十分です。

 

なお、タイトルに「1時間」とありますが、私は1時間20分ほどかかりました。私は読むのは早くはありませんが、遅いとも思っていませんでした。どうやらそれは勘違いで、私は読むのは遅めのようです(^^;;

アドラーの主張の肝は目的論、それはつまり未来志向

本書を読んで、アドラーの主張の肝は徹底した「目的論」にあると私は思いました。目的論は「決定論」と対比されて説明されます。

 

決定論(または原因論)とは、世の中のあらゆる出来事を原因で説明する態度です。この立場では「Aが起こった原因はBにある」のように、何らかの現象が生じた原因を人や物ごとに結びつけます。  これに対して、人がとる行動はその人が持つ目的や目標に従った結果だと考える立場があります。決定論とは考え方に大きな隔たりがあるこのような立場を、目的論と呼びます。

 

ある出来事の説明において、それを原因という点からみるのが決定論、目的との兼ね合いという点からみるのが目的論です。アドラーが目的を重視するのは次のように考えるからです。

 

「もし、この世で何かを作るときに必要な、建材、権限、設備、そして人手があったとしても、目的、すなわち心に目標がないならば、それらに価値はないと思っています。」(「劣等感ものがたり」)

 

アドラーはこうした考え方を人の生き方や性格に適用します。例えばうまくいかなかったとき、それを素質のせいにするのが決定論、誤った目標設定、あるいは誤った素質の用い方のせいにするのが目的論を基礎にした考え方です。

 

さて、その目的ですが、目的は虚構とされます。

 

人はあくまでも自ら選択した固有の目標やライフスタイルを持ちます。これらはいわば虚構、または仮定されたものであるため、再構築は可能です。

 

 

虚構というとマイナスイメージを持たれる言葉ですが、アドラーはそのようには使っていません。目的が虚構であるということに積極的な意味を見出しています。

 

アドラーが言う虚構や仮説を、人生の目標やライフスタイルに置き換えてみてください。設定する目標やライフスタイルによって、人生というカオスを生きる方向が決まります。しかしそれは虚構のものですから、取り替えることが可能です。そしてほんの少し(たとえば角度1度だけでも)方向を変えるだけで、私たちは以前とかけ離れたゴールにたどり着けます。  勇気を持って人生の見方を少しだけ変えてみましょう。そこには劇的な変化が生まれるはずです。

 

虚構である目的は常に変更可能です。ゆえに常により良いものにしていくことができます。アドラーは、目的を良いものにし目的との兼ね合いから自分の行動を見ていく態度をとることが人生をよりよいものにすると考えます。

 

さて、変えられる目的とは、変えられる未来ということです。変えられない過去に拘泥するのは、不適切な結果の原因を過去に詮索する決定論的態度にほかなりません。つまりアドラーは、未来に向けたポジティブな態度こそが人生を豊かにする最大のポイントであると主張します。

未来志向の態度を大切にしていきたいです。

変えられない過去ではなく変えられる未来を見据えてポジティブに生きる。自己啓発の源流アドラーの主張はこのようにまとめられると思います。

 

かなり乱暴ながら、数ある自己啓発本の主張も、概ねこうしたものと考えておおきな間違いはないと推測しますw

 

自己啓発本を読むことは今後もなかなかないとは思いますが、自己啓発の源流アドラーの主張にして自己啓発本全般の骨格である(はずの)未来志向の姿勢は、しっかりと自分のものにしていこうと思います。

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読書感想 : 『<税金逃れ>の衝撃 国家を蝕む脱法者たち 』

 

『<税金逃れ>の衝撃 国家を蝕む脱法者たち』 深見 浩一郎 講談社 (2015/7/16)

租税回避についての地に足ついた理解が得られます。

今世界中でもっとも注目を集めていることの一つが「パナマ文書」ではないでしょうか。パナマ文書により、富裕層による桁違いの規模の租税回避の実態が明らかにされました。

 

その後の報道により、パナマ文書で暴露された租税回避は氷山の一角にすぎず、AppleやGoogleをはじめ、グローバルに事業を展開している世界的大企業の多くは当たり前のように租税回避を行っていると知りました。

 

ううーー 富裕層や大企業が莫大なお金を手にできるのは、社会の様々な恩恵の受けているからのはず。それなのに、彼(女)らは社会維持のための応分の負担をしていない。ただ乗りではないか。許せん。ムキー

 

租税回避の現状を知り、私は直感的に(短絡的に、か)このように思ったものでした。

 

そこで租税回避の実際のところに興味を持ち、手にとってみたのが本書です。

 

本書は、租税回避を民主的福祉国家の維持のための障害とみなし、租税回避を可能にするいまの課税システムの変革を主張します。

 

私の直感と同じ方向の主張だからというわけではなく、本書は内容濃密で読み進むたびにいちいち勉強になるなあと思いながら一気に読了しました。

 

租税回避についての地に足ついた理解を得るにはもってこいの一冊だと思います。

本書の大まかな内容

とても勉強になったので、本書の内容を簡単にまとめておきます。どこをとっても情報量満載です。

 

本書はまず、世界各国の金融や税制を巡る歴史的経緯や経済政策、経済グローバル化、新自由主義的発想の隆盛など、租税回避を可能にし、それを許容している背景を丁寧に説明します。

 

その上で、租税回避のための巧妙な、ただし合法的な道具立てが紹介されます。タックス・ヘイブン、オフショア市場、タックス・プランニング、パス・スルー、メールボックス・カンパニー、信託、プライベート・バンク、秘密口座...

 

そしてさらには、これらの道具立てを組み合わせた「ダブル・アイリッシュ・ダッチ・サンドイッチ」といった大掛かりな租税回避スキームがGoogleを例に解説されます。このスキームでは、アメリカ、オランダ、アイルランド、バミューダ島が登場します。各国の備える税制のおいしいところだけを寄せ集め、租税の最小化がなされます。Googleはこのスキームを用いて年間2000億円もの税金を免れているようです。

 

続けて本書は、国別の課税システムの限界を指摘し、国際的な課税システムの構築が急務であると説きます。そうした取り組みとしてトービン税、航空連帯税、個人情報の多国間共有(FATCA)などが紹介されます。

 

そして最後に、租税回避の動きは各国の財政の屋台骨を揺るがすインパクトを持つ看過できない問題であることを示し、国際的な課税システムの構築を通して租税回避が合法である現状を変革し、富裕層や大企業にただ乗りをさせないことが、民主的福祉国家の維持のために不可欠と主張します。

租税回避をする理由も正当です。だからやっかい。

租税回避のための様々な道具立てや、租税回避を阻止するための現在の国際的な取り組みなど、本書は興味深い内容でいっぱいですが、私がもっとも勉強になったのは、本書の序盤で触れられることです。つまり、租税回避を可能にしそれを許容している社会的背景についての話です。

 

まず、おおもとにあるのが各国が採用している「租税法律主義」という考えです。

 

すべての人は、法の下に課される税を軽減させる権利を持っている。そのような結果に至る法の適用に成功するならば、国内歳入庁の調査官や他の納税者がその巧妙さをどのように批判しようとも、税額の加増を求められることはない。

 

つまり、法の穴を見つけて租税回避を行うことは納税者の基本的権利とされるわけです。私たちも、”法の穴を見つける”とまではいわないまでも、少しでも納税額を低くしようと節税に頭を悩ましていると思います。それが批判されないように、富裕層の租税回避も批判されるいわれはないということです。

 

するとこうなります。

 

世界を見渡して事業の最適な拠点配置を行っている点にある。多国籍企業の事業の最適化行動では、税金も、コストの一つとして最適化される。ビジネスは利益の最大化を目標とするから、コストの一つである税金には最小化が求められる。多国籍企業は、グローバルな観点で租税の最小化に向けた、事業最適化のためのシステムの構築をすでに終えている。民主的な法治国家において法を遵守し税を払っていれば、誰からも非難されるいわれはない。

 

企業が租税回避をするのは当たり前です。

 

租税回避に利用される国々にもそれなりの事情があります。例えば、オランダ、ルクセンブルク、スイスは金融立国としてやっていくことを国策としているため、租税回避であれなんであれ様々な金融サービス(スイスの有名な秘密口座も)を提供する業者が自由に活動できる場を提供することが国益につながります。事実、それにより雇用が生まれ、GDPも増大します。

  

アメリカ、イギリスという租税回避を利用している企業の多い大国も金融を基幹産業としているため、金融の機動性を守るため、租税回避を徹底的に阻止するという方向に動けない現実があります。アメリカは、先に紹介したダブル・アイリッシュ・ダッチ・サンドイッチが合法であるとのお墨付きまで与えているようです。

 

そして本書では触れられていませんが、次のようなことも推測できます。

 

企業が租税回避をできるのにそれをせずに利益が減少するのに何も手を打たなければ、株主からの追及を免れることはできないでしょう。企業(資本)の論理としても、租税回避をしなくてはならないのです。

 

また、パナマ文書で話題のパナマをはじめ、法人税を極端に低く設定し、租税回避の温床になっている国々にとっても租税回避を受けれ入れる理由があります。そうした国には小国が多い。そうした国にとっては、大企業のわずかばかりのパーセントの法人税でも国家財政にとっては大きな収益となります。

 

以上からわかるように、租税回避はそれぞれのプレーヤーが確固とした合理性に基づいて振舞っている結果です。

 

やっかいです。これでは租税回避を非合法とするのは並大抵のことでないのがわかります。各プレーヤーに現在の合理性を棄てさせる作業が必要になるからです。

 

私も著者と同様、民主的福祉国家が今後も続いて欲しいと考えています。他人任せの態度で恐縮ですが、著者をはじめ頭のいい人になんとか租税回避を阻止する枠組みを構築していって欲しいと願うばかりです。

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読書感想 : 『テレビが政治をダメにした』

 

『テレビが政治をダメにした』 鈴木寛 双葉社 (2013/4/5)

視聴率至上主義のテレビメディアを批判する本です。

官僚、学者を経て政治家となり、民主党政権時代に文部科学副大臣を務めた著者によるテレビ批判の本。

 

昨今総務大臣の電波停止発言を筆頭に、政治のメディア介入が話題になることが多いと思います。そのため政治家のメディア批判というと、どうしても政治家にとって思い通りにならないメディアに対するイライラを動機付けとした、一方的で客観性を欠いたものなのではないかと考えてしまいます。

 

ですが本書は違います。冷静にテレビと政治の関わりを分析し、民主政治が健全に機能するために果たすべきメディアの役割を今のテレビが果たしていないことを、歴史的・技術的な背景についての考察も加えつつ、様々な事例を引きながら説得的に示します。

 

著者によれば、テレビメディアの問題の根幹は「視聴率至上主義」です。

 

視聴率至上主義──テレビメディアの問題としてこれまでも指摘されてきたことです。視聴率が取れれば、高い広告収入を得られる。視聴率を上げるためにはヤラセ、煽りも辞さない……テレビメディア問題の多くは「視聴率をいかに上げるかがすべて」という、視聴率至上主義が生み出したものです。

 

この姿勢は、報道においてすら、震災、原発事故という一大事においてすらぶれることはありません。著者が文部科学副大臣として原発対応に当たっていた際に、多様な情報の伝達をメディアにお願いした時のことです。

 

あるテレビ局のプロデューサーからは耳を疑うような返事が返ってきたのです。 「水素爆発の映像のほうが数字(視聴率)が取れる。繰り返し流していても数字が取れるんですよ」 

 

著者でなくとても、たしかに耳を疑うような言葉です。

 

本書にはこうした視聴率至上主義の成れの果てを示す事例がいくつも示されます。

 

そしてテレビの視聴率至上主義に巻き込まれ翻弄され、(著者の志向する「熟議の民主主義」から)堕落していく政治の姿が浮き彫りにされます。

 

政治とテレビの現状を知るのに格好の本です。

視聴率至上主義はテレビメディア、政治を堕落させます。

テレビメディアにとって視聴率は高い広告収入につながります。

 

ところで、視聴率を取れる番組とは視聴者の感情に訴えるものです。原発がらみの細かいデータよりも水素爆発の映像に視聴者は引きつけられます。しかしそれは、視聴者が社会や政治について考えるための材料となる多様な情報、意見を提供するというジャーナリズムの役割とは方向が逆の動きです。爆発を繰り返し見ても情報量が増えるわけではありません。

 

政治家にとっては、視聴率は得票率につながるようです。著者は「TVタックル」という高視聴率の政治バラエティ番組を取り上げ、その番組に出演回数の多い議員の選挙での際立った強さを数字を上げて指摘しています。

 

ところで、テレビ出演の多い政治家は往往にしてメディア受けだけを意識し、カメラの回っていないところでは汗をかかないようです。著者はそうした政治家を冷ややかに「テレビ政治家」と呼んでいます。

 

テレビ政治家はテレビでテレビ受けする威勢のいいことを言ってしまうばかりに、実際の交渉において切れるカードを狭めてしまっているようです。「テレビでああいっていたでしょ」とつっこまれ、交渉を積み重ね煮詰めていくという作業ができない。つまり、利害調整を行いつつ政策を法律へと落とし込んでいくという政治家に課せられた本来の仕事の場面で、テレビ政治家は頼りにならないのです。著者はテレビ政治家を入れずに仕事をしたほうが交渉が進み、仕事の成果も上がるとも述べています。

相反する合理性→袋小路へ

テレビメディアがジャーナリズムの担い手としてその役割を果たそうとすることは、もちろん合理的です。テレビメディアも私企業である以上、利益を上げるために視聴率を求めるのも合理的だと思います。

 

政治家が政治家としての役割を果たそうとするのは合理的です。政治家が選挙に受かるためにテレビ出演も含めなんでもするのも合理的です。

 

視聴率を求めるテレビメディアも、視聴率に踊らされる政治家も、それぞれが合理的に振舞っているのは間違いありません。私は彼(女)らをべき論を掲げて一方的に批判しようとは思いません。相反する合理性のはざまで悩み、生きていくために一方を犠牲にするという経験は誰にでもあることだと思います。

 

結局は、感情に訴える番組を好み、わかりやすさという快適さを求める私たち視聴者が、テレビが視聴率至上主義に走る原因であり、ひいては民主政治を機能不全に陥らせている原因であると自覚することが、著者が嘆く現状の改善のための第一歩となるのではないでしょうか。

 

そうはいっても、視聴者が民主主義社会の一員として多様な情報や意見を求めようとするのが合理的であるのと同様に、家でゆっくりしている時間に快適さを求めて番組を選択するのも合理的です。

 

テレビメディアと政治が抱える相反する合理性を解決するための鍵となる視聴者も、相反する合理性の中にあり、現状改善のための一歩を踏み出すのは難しいことに思えます。

 

袋小路に入り込んでしまったようですね。どのように考えていけばよいのでしょうか。私にはわかりません(^^;;

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読書感想 : 『入門 犯罪心理学』

”科学的”な犯罪心理学の入門書です。

・少年事件の凶悪化が進んでいる。  

・日本の治安は悪化している。  

・性犯罪の再犯率は高い。  

・厳罰化は犯罪の抑制に効果がある。  

・貧困や精神障害は犯罪の原因である。  

・虐待をされた子どもは非行に走りやすい。  

・薬物がやめられないのは、意志が弱いからだ。

 

これらは一般に話題になる犯罪についての「事実」として、本書の序章であげられるものです。私たちもこれらに類したことを目にしたり、耳にしたりすることがあるかと思います。

 

ですが、これらはいずれも「事実」と誤認されてきた「犯罪心理学の神話」のようです。なんの根拠もない、つまり科学的な裏付けのないデタラメというわけです。

 

こうした神話が事実として横行している背景には「似非犯罪心理学」の流通があると著者は見ます。「似非犯罪心理学」とは、心理学の用語で武装されているが、その実、科学的な裏付けのない無責任な解釈、恣意的なこじつけに基づく心理学のことです。例えばフロイトの精神分析です。フロイトによれば、理性的制御の役割を果たす「自我」や「超自我」が快楽を追求する「タナトス」を統制できない者が犯罪者になるとされます。わかったような気にもなりますが、たしかにこれでは犯罪についていくらでも勝手な解釈が作れそうですし、データに基づいた検証はできそうにありません。

 

本書は、似非犯罪心理学をはっきり似非として糾弾し、最新の知見に基づいた科学的な犯罪心理学の現状を紹介することを目的とします。またそれを通して、科学的な犯罪心理学をベースとした犯罪への向き合い方を広く社会に定着させることを目的とします。

 

著者は真っ当な犯罪心理学と似非犯罪心理学との違いを強調するために、「科学的」という言葉を繰り返し用います。著者によれば、科学的とは「エビデンス」、つまりデータに基づいているという意味です。犯罪心理学も科学の一つなのだからそんなの当たり前ではないかとも思われるかもしれませんが、犯罪心理学ではエビデンスは長く軽視されてきたようです。著者は科学的な犯罪心理学の重要性を説き、その理解を専門家だけではなく社会全般に広めることが、犯罪と付き合っていかざるを得ない社会全体にとって有益であると説きます。本書はコンパクトながら、そうした著者の熱い思いとともに、最新の犯罪心理学についてのまとまった理解を手にすることができる良書です。

 

強いて一つだけ本書のポイントをあげるとしたら、最新の犯罪心理学によれば、「処罰から治療へ」という大きな流れがあるようです。犯罪者を罰するのではなく、犯罪者は犯罪を犯してしまう病気を患っている者と考え、その治療をしていくということです。

 

「厳しい処罰を科したとしても、再犯抑制にはならず、かえって再犯率を高めてしまうことがはっきりして」おり、そして実際に治療が再犯率を下げるのに効果があるようです。

 

覚せい剤使用者についてはそうした治療プログラムが有効だとマラドーナの例で知っていました。ですが、覚せい剤使用に限らず広く犯罪者を治療対象とみなし治療を施すことが再犯率を下げ、ひいては社会の安定につながるという考え方が最新のトレンドであるというのを知れたのは大きな収穫でした。

 

ところで、社会の安定に資するとはいっても、これは被害者感情の回復という点から、社会に容易に受け入れられる考え方ではないかもしれません。被害者が厳罰を求めるのは致し方ありません。私も何かの被害者になったら、犯罪者に厳罰を求めると思います。

 

処罰と治療。社会のバランスを維持するには、どのあたりに落とし所を見つけるのがよいのか。本書を読むと、科学的な犯罪心理学の成果を手にした私たちの社会は、この難問の前に否応なく引きづり出されているのに気付かされます。

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歩く : りんりんロード

つくばりんりんロードウォーク大会に向けたトレーニングです。

今回はトレーニングモードです。

 

何に向けてのトレーニングかというと、「つくばりんりんロードウォーク大会」です。100キロを24時間以内に歩く大会。2014年まで同じ場所で行われていた「つくば100キロウォーク」の後継のイベントです。

 

開催日は5月28日、29日。もう一ヶ月をきっています。いまさらではありますが、そろそろ長距離を歩いておかないとまずい。

 

50キロ以上の長距離を歩いたのは、2013年に参加した「つくば100キロウォーク」での100キロが最後です。丸3年長距離は歩いていません。

 

遅ればせながら今回、大会に向けてしっかり長距離トレーニングをしようと思い立った次第です。

トレーニングプラン

今回のトレーニングプラン

 

ルート

 

本番と同じくりんりんロードを使います。距離は本番の5分の3の60キロです。

 

①筑波休憩所(スタート)〜 ②岩瀬休憩所(折り返し)〜 ③筑波休憩所〜 ④北条ラーメン(お昼)〜 ⑤筑波休憩所から東へ10キロ地点(折り返し)〜 ⑥筑波休憩所(ゴール)

 

 

タイム設定

 

①〜④( 43キロ分) 1キロ8分34秒ペース(1時間で7キロペース)

④〜⑥(17キロ分) 1キロ9分30秒ペース(1時間6.3キロペース)

 

本番では途中でお店に立ち寄りませんが、今日はひさしぶりの長距離トレーニング。途中に楽しみがないともたなそう。お昼はラーメン屋さんで食べることにしました。  

歩いた記録

スタート地点。真壁休憩所方面に向かいます。

 

 

りんりんロードは筑波休憩所〜真壁休憩所間が一部一般道になります。

 

 

看板のところで一般道は終わりです。

 

 

スタートからだいたい5キロ地点。身体があったまってきた。

 

 

真壁休憩所に到着。

 

 

雨引休憩所に到着。

 

 

何もない一本道。何も考えずにただ歩く。歩くために自分が存在しているようだ。気持ちいい。

 

 

岩瀬休憩所に到着。岩瀬駅のすぐわきです。

 

 

ちょうど水戸線がきた。ナイスタイミング!撮れてうれしい。

 

 

ここらへんが28キロ地点。時計をみたら4時間ぴったりだった。予定通り。一人時計に向かってドヤ顔をする。ただこの時すでに身体は重くなってきていた。これからに不安をかかえながらのドヤ顔でした。

 

 

桃山中学校。こちらの中学生はいつも挨拶をしてくれます。歩いている時に挨拶されると元気がもらえます。

 

 

エキサイトバイクゾーン。わかりにくいかもしれませんが、勾配があります。上がったり下がったりの繰り返し。

 

32キロあたりからは、もう予定のペースを維持できていません。時計を見たら1キロ8分56秒ペース。なんとかペースをあげようと思っても足が進まない。ここの勾配はたいしたものではないのですが、弱った足にはきつい。なんでこんな勾配を作ったのかと思えてくる。

 

 

 

筑波休憩所に戻ってきた。足が重い。腰も重い。ペースダウンに歯止めがきかない。お腹も空いてきた。はやくラーメンが食べたいの一心。

 

 

北条ラーメンに到着。味玉中華そばを食べました。おいしい。感無量。お腹が空きすぎていてラーメンにがっついてしまい、ラーメンの写真を撮るのを忘れました。

 

 

開園したて。中に入ってみると小田城関連の歴史資料館になっていました。ビデオあり、展示物ありで、面白かった。思いがけず歴史の勉強をさせてもらいました。それとトイレをお借りました。助かりましたww

 

 

小田城跡は整備され広場になっていました。

 

 

筑波休憩所から東へ10キロ地点です。50キロの表示がでないと折り返せないので、50キロになったときの安堵感といったらなかった。このころには、もう身体はいっぱいいっぱいです。ここから筑波休憩所に戻ります。

 

 

飲み物がつきたので自販機で水分補給。miuが身体にしみわたった。

 

 

距離の標識を欲しがり出したら、もうギリギリの証拠。

 

 

お花がきれい。お花に目を向ける余力があるのだからまだいけるはず、と自分に言い聞かせる。

 

 

筑波休憩所に到着。ゴール、のはずがこの時点で59.6キロぐらいでしたので、60キロまでこのあたりをぶらついてから、ゴール。

 

 

長距離トレーニングを終えて

当初の計画通りにいったのは30キロ付近まで。そこからさきはもうグダグダでした。なんとか気力で60キロ歩ききりました。

 

気力頼りでさらに40キロはさすがに無理です。とても100キロ歩ききれるとは思えません。大会まであと23日。少しでも多くトレーニングをしないとまずいと再確認。といってもそんなにできるものではありませんし…

 

出場してほんとうに大丈夫か… 

 

ともかくあと一回は長距離トレーニングをやっておこうと思いました。

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読書感想 : 『進撃の巨人 19巻』

19巻もおもしろい!

18巻で火蓋が切って落とされた、獣の巨人率いる巨人勢と人類代表調査兵団との戦いの続き。

 

19巻は一巻すべてが戦闘シーンです。戦闘だけといっても、みどころは盛りだくさん。戦術と戦術の知能戦、エレン対ライナーの巨人同士の格闘、新たな武器「雷槍」の登場、ベルトルトの覚醒、思いがけない伏線の回収などなど。一回読んだだけでは消化しきれません。私は本書を手にしたその日にまず2回繰り返して読みました。おもしろい!4ヶ月に一度の楽しみをしっかり満喫できました。

一番の見所はベルトルトの覚醒です。

みどころ盛りだくさんではありますが、一番のみどころはベルトルトの覚醒でしょう。

 

ライナーといつもセットのベルトルトは、これまで一貫してライナーに比べ頼りなく存在感にも欠けていた。そんなベルトルトが、人類との決戦という土壇場にきて自らの使命を自覚し、それを引き受ける覚悟を決める。吹っ切れるのです。吹っ切れたあとのベルトルトの表情はまるで別人です。肚を決めると、人はこれほどまでにたくましく、そして強くなれるのかと思ってしまいます(ミカサの奇襲を軽くかわし、超大型巨人への変身時には核爆発のような超大型爆発を起こします)。

 

本巻の最後でベルトルトは超大型巨人に変身します。たくましくなったベルトルトの超大型巨人に人類は勝てるのでしょうか。不安になってきます。

作者がしたいのは登場人物の深掘り

ベルトルトの覚醒といいましたが、これは作者によるベルトルトの内面の深掘り作業の成果です。

 

19巻ではじめて感じたことではありませんが、作者がいましたいのはストーリーを進めることではなく、登場人物の内面を深堀りしていくことではないでしょうか。各登場人物を深堀りし各登場人物の多面性を描くことで、ストーリーに深みを与えていく。その作業の面白さに作者がはまっているようにさえ思えます。

 

おかげで話はほとんど進みません。

 

おもしろいからよいのですが、4ヶ月待たされた身としてはもう少し進めてもらいたいと思ってしまいますww

 

次も4ヶ月後。4ヶ月は長い。早く続きが読みたい。

 

20巻が楽しみです。 

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読書感想 : 『標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学 』

プロ登山家の半生記

地球上には8000メートルを超える山が14座あり、それらすべての登頂を成し遂げた登山家は「14サミッター」呼ばれるようです。本書は、日本人初の14サミッターにして「プロ登山家」である著者が、生まれてからこれまでの登山人生を振り返り、雪崩に巻き込まれ二度も死の淵を彷徨った体験も含め、その軌跡を包み隠さずにあらわしたものです。

 

タイトルに「哲学」とありますが、「登山とは何か」といった問いについての考えをかしこまって述べるような堅苦しいところは全くありません。これまでの体験が具体的に描き進められます。本書を読んで伝わってくるのは、著者の登山についての”哲学的な考え”というよりは、著者の登山に対するどこまでも真摯な姿勢と山への愛です。

 

著者は登山の魅力を伝えることを目的に本書を書いたようです。ですが私は”登山”ではなく、”プロ登山家竹内洋岳”という人間の生き方に心打たれ、読後に清々しい気持ちになりました。

高所登山の過酷さが肉薄してきます。

本書のハイライトの一つは、著者が8000メートル級の山々に挑んでいるときの描写です。高所登山の過酷さが肉薄してきます。著者のストイックな人柄を反映した飾りのない無駄を削ぎ落とした文章が、著者が体験した状況の過酷さに説得力を与えているように思えました。

 

頂上は大忙し  エベレストの頂上にたどり着いた瞬間、「ついに地球の頂点に立った!」といった感動は、とくにありませんでした。エベレストに限らず、一四座の頂上というのは、非常に忙しいのです。  登頂の記録を残すために、山頂では写真を撮らなければなりません。カメラを出してシャッターを切る、たったそれだけのことですが、八〇〇〇メートル峰のてっぺんでは、たいへんな作業です。  立っていられないほどの強風が吹いていることも珍しくありません。その風に抗って頂上にへばりついて、指先が凍る寒さの中でミトンを外してカメラを取り出し、そこが頂上だとわかる構図を決めて、シャッターを押す。最近ではビデオを回すこともありますが、平地で操作するようにはいきません。酸素が少ない山頂では、体の動きが恐ろしく鈍くなります。エベレストのときは酸素ボンベを使っていましたが、それでも体力は相当消耗していますから、動きは緩慢になる。相対的に、時間の流れが速く感じられます。もう、ぶっ飛んで行くくらいの感覚で時間が過ぎていく。とても感慨にふけっているような余裕はない。

 

筑波山のような低い山でも、頂上にたどりつくとうれしいものです。そしてそこでお昼を食べたり、たくさん写真をとったり、場合によってはよい写真が撮れる場所に列を作ることもあります。登頂したら、頂上での時間を達成感を噛み締めながらゆっくりと満喫するものです。ところが高所登山では写真を撮るのも一苦労。登頂しても、感動もなければ余裕もないようです。エベレストなどの頂上の写真をテレビなどでみたことがありますが、あのなにげない写真の陰にはかなりの苦労があると知ってびっくりです。

 

写真一つとっても、私の知る登山とはまったくの別物です。これはほんの一例です。高所登山は、低地での生活、あるいは低所登山の常識が通用しないことだらけです。高所登山の実際のところ(=過酷さ)に興味がある方には本書をぜひ手にとって欲しいと思いました。

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読書感想 : 『英語のワナにはまるな これが正しい選択だ!! 』

日本人にありがちな英語の勘違いがクイズ形式で紹介されます。

アメリカ人(英語ネイティヴ)の著者が、日本人がついつい犯してしまう英語の間違い200コを紹介する本。

 

本書では、二者択一のクイズ形式で間違いが紹介されていきます。200のありがちな勘違いそれぞれについて、まずAorBの二択クイズ(と解答)が提示され、どうして間違えてしまうのかの解説が加えられるといった具合です。

 

ときにはクイズに悩みながら、ときには解説に膝を打ちながら、楽しく読み進めていくことができました。

 

高校生以上でしたら無理なく読める内容だと思います。

間違いのパターンは3つ

紹介される間違いを、私が勝手に三つに分類してみました。

 

①大学受験でおなじみパターン

例えば、discuss(話し合う)の使い方。日本人は「〜について話し合う」というとdiscuss about〜としてしまう。正しくはdiscuss〜。discussは他動詞です。

 

②不思議な日本語英語パターン

 

例えばmansion(マンション)。日本では鉄筋コンクリートの集合住宅、とくに大きめのものを、マンションと呼んでいますが、英語ではそういう意味はありません。英語でmansionといったら、大金持ちが住む大邸宅のことです。日本でいうマンションは大きさに関わらずapartmentです。

 

③英語のもつニュアンスがわかっていないパターン

 

例えば「恥ずかしい」の使い分け。英語では恥ずかしさは、そうした気持ちを生む原因によってはっきりと区別します。ashamedは「自分が何かをやらかしてしまい、罪の意識を感じて恥じている「恥ずかしい」」で、embarrassedは「人前で失敗するなどして気恥ずかしい、きまりが悪いときの「恥ずかしい」」のように。日本人はこうした区別をしないので、転んで恥ずかしいという場合にもashamedを使ってしまうのです。

 

 

①については、大学受験によく出題されるものですので「知ってるよ」と得意げになり(笑)、②では、なんでこんな日本語英語ができたのだろうと思わず笑ってしまい、③では、言語の違いはものの見方の違いでもあることを実感したり。パターンに応じてそんな思いをせわしなく繰り返しながら、愉快な時間を過ごせました。

 

ところで、③は受験英語の守備範囲を超えていると思います。受験英語を一生懸命やっていても③の深みに達するのはなかなか難しい。別の言い方をすれば、③まで行き届かなくても点数には影響しません。たしかにそうなのですが、英語の指導をさせていただいている生徒さんには、③のようなことも織り交ぜ、言語の奥深さを味わってもらえるようにしていけたらと思いました。

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読書感想 : 『脳を最高に活かせる人の朝時間』

朝型になりたい、のになれない

私は寝るのは決まって2時前後です。夜型人間です。起きるのは毎日7時前後なので朝型ではないとも言い切れませんが、朝は起きないといけないから身体に鞭打って起きている状態です。いつも眠気との戦いで、爽やかな朝とは無縁です。

 

さて、「早起きは三文の得」という格言を筆頭に、余裕を持って朝の時間を過ごすことを推奨する言葉が巷にはあふれています。

 

私自身も、遠出するときに早起きすると1日が長く感じられ、得した感、充実感に満たされます。そういうときなどに毎日早起きできたらなんてすばらしいのだろうと考えることもあり、早起きを推奨する言葉に触れると心が動かされます。睡眠時間を2時〜7時から2時間早め、12時〜5時にできたらと思うこともしばしばです。

 

ですが、できません。トライしたことはありますが二日続きません。早起きしても夜を迎えると結局夜更かししてしまい、早起きが続かないのです。

 

朝型になりたい、のになれない。こんな状況を脱出するための後押ししてくれる何かが欲しい。ただし、早起きするとこんないいことあるよ、という類の個人的経験に基づく早起き推奨話を聞かされても、私が変われないのはこれまでで実証済み。

 

そんな中目にしたのが脳科学者茂木さんが書いた本書です。経験則ではなく、科学的な知見に裏打ちされた朝のススメのお話を読めば、私も変われるのではないかと思ったのです。

本書のいう「朝時間」は”起きたて時間”なのでは・・・

茂木さんは本書のはじめに次のように述べ「朝時間」の重要性を主張します。

 

人間の脳にも、ゴールデンタイムは存在するのです。  その時間帯とは、脳の働きが効率よく、最も活発に働く「朝目覚めてからの3時間」だと言われています。ビジネスで成功を収めている人、幸せな人生を送っている人の多くは、この脳のゴールデンタイムを上手く活用しています。つまり、脳の状態が最高に良い時間帯の過ごし方次第で、仕事も人生も劇的に変わっていくのです。ただし、「3時間」というのは1つの目安であって、必ずしも明確な時間が決まっているわけではありません。厳密に言うと、 「誰にも邪魔されない時間=家を出るまでの時間=ゴールデンタイム」  と捉えてください。言い換えるならば、「社会に接続するまでの時間」です。

 

 

そして朝時間の上手な使い方について語っていきます。「ドーパミン」「海馬」といった脳科学の専門用語を交えながら展開される議論は、それぞれ個別的には納得させられるところが多く、とても勉強になりました。

 

ですが、肝心の朝のススメという点についてはどうかというと、私は説得されませんでした。

 

本書の議論の骨組みはこうだと思います。

 

①朝時間が脳科学的によい。

だから、

②朝時間をよりよいもにするために、脳科学的によいとされることを朝時間に適用していこう。

 

朝時間がよいのは、起きたてが「脳の働きが効率よく、最も活発に働く」からです。朝自体のよさについてはこれ以上の説明はありません。これを前提とした上で、朝時間をよりよいものにしていくための様々な手法が提案されます。

 

ところで、ゴールデンタイムの定義にあてはめると、それは朝でなくても起きてから仕事までの時間でしたらいつでもあてはまります。仕事柄、朝からお昼ぐらいまでが寝る時間のかたもいらっしゃると思います。そういう人にとっては、朝ではなくお昼からがゴールデンタイムになります。

 

つまり、本書の中身は、

 

①起きたての時間が脳科学的によい。

だから、

②起きたての時間をよりよいものにするために、脳科学的によいとされることを起きたての時間に適用していこう。

 

というようにも言えてしまいます。

 

本書は『脳を最高に活かせる人の朝時間』と銘打ってありますが、『脳を最高に活かせる人の起きたて時間』というほうが実際にあっています。

 

私は起きたて時間に時間的ゆとりをもつことの意義ではなく、ずばり”朝”に早起きして時間的ゆとりを持つことの意義が知りたかった。朝自体のよさを語って欲しかった。

 

苦手な朝に立ち向かい朝型人間へと変身を遂げるための動機付けは強力でなければなりません。朝でなくても起きたてならいつでも同じ効果があると思うと、そのぶん朝に立ち向かう勇気が差し引かれてしまうのです( ;  ; )

私は変われなさそうです。

 大半のかたは朝に起きて仕事に向かう以上、本書が朝の早起きのススメ本と言えるのは間違いありません。また、先にも述べましたが、脳科学に基づいた説明はとても興味深く、それだけでも本書は朝型になりたい人の背中を押すに十分な効果があると思います。

 

朝時間と起きたて時間が同じ効果では朝に向かう勇気がそがれる・・・  このようなことを言っていると、早起きしたくないから屁理屈こねて早起きから逃げてるだけじゃないか、と言われあきれられそうです。

 

ううっ、たしかにそうです... 

 

朝型への転換のハードルが高すぎる私のような人(怠け者、か)は、結局何を読んでも変われないのかもしれません。

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歩く : 自宅〜大前神社〜真岡駅

この前の日曜、午後に時間ができたので歩いてきました。コースは自宅から大前神社を経て真岡駅まで。筑西市と真岡市を流れる五行川沿いを歩きました。

下館駅近くの自宅からスタートです。

街の誇り、板谷波山の銅像前を通過します。板谷波山は筑西市(旧下館市)出身の陶芸家です。美しい陶芸ということでしたら、私は波山以上の人はいないと思います。

五行川に到着。ここから川沿いを進みます。

川沿いを歩いて行くと工事現場があった。目的が何なのか私にはわかりません。

遠目に見て嫌な予感はしていました。それが的中...  がっくり。一つ前の橋まで戻るのもいやなので、川沿いの道からはずれることにしました。

わかりずらいかもしれませんが、牛が昼寝中です。

高速道路(北関東道)の下を通過します。

川沿いに戻ってきた!

国道294号線を横断中です。

真岡市街地に入ってきました。大前神社まであと少し。

大前神社に到着。

「日本一のえびす様」です。

大前神社から真岡駅に向かいます。途中でこんな看板。真岡にはリス村があるようだ。

真岡線北真岡駅構内。無人駅でしたので入って写真をとった。

早めに着いたので真岡市内をぶらぶらしてみる。こんな散歩によさげな場所がありました。

かつての福田屋あと。福田屋には小さい時に何度も連れてきてもらいました。パチンコ屋さんになっていました。

駅近くのおもちゃ屋さん前。ミニ四駆のイベントが開かれていました。熱気でムンムン。本格的にやっている人たちばかりです。私も小学生の時にミニ四駆を買ってもらい遊びました。モーターやタイヤなどいろいろなパーツを改造してはスピードを競い合ったものです。私も周りの友人もそれぞれこだわって改造しましたが、新しい電池で走っている車が一番速いような気がしていました。

真岡駅に到着。着いて下館方面の電車の出発時間を見たら出発は2分後。急いで電車に乗り込みました。

 

天気も良く、風もなく、気持ち良く歩くことができました。

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読書感想 : 『2020年マンション大崩壊』

 

『2020年マンション大崩壊』 牧野知弘 文藝春秋 (2015/8/20)

マンションが抱える問題を可視化

都心の林立するタワーマンションは、いまやスタイリッシュな都会の象徴です。茨城県内でも、つくばや守谷といった人気の街にはマンションが数多く立ち並び、そうした街のクールさを演出しています。

 

私は田舎の小さな街でマンションとは無縁の生活を送っているからなのかもしれませんが、マンション生活にとくに問題があるとは思っていませんでした。

 

それがどうやらそうでもないようです。

 

本書は、華やかなイメージに覆い隠され外部からではその存在にすらなかなか気づかない、マンションが抱える問題を可視化することを目的とします。 

 

著者は、波状攻撃とばかりにマンションの抱える問題を示し続けます。データや実例を引きながらの解説はとても説得的です。私がマンションに対して抱いていたプラスのイメージはかなりぐらついてきています。

マンションの「スラム化」

著者はいくつも問題を提示していますが、問題の根っこは一つです。それは「高齢化・人口減少」です。それに伴い、「本来は、マンションという共同体は区分所有者が徐々に入れ替わり、新陳代謝が行われていくことを前提」にしていたようですが、その前提が崩れてしまったのです。

 

ここでは数ある問題のうちの一つだけを紹介します。

 

高齢化・人口減少により、地方はいうに及ばず、首都圏郊外でも、そして都心部でも、今ではマンションの「空き住戸」が多くなっているようです。それにもかかわらず新築マンションの供給が続いています。

 

供給過剰の中、老朽化したマンションは商品力を失い、買い手(借り手)を見つけるのは難しくなります。住民に高齢者の割合が増えてくると、「死ぬまで住めればよい」という発想から修繕費等の負担が渋られます(住戸内での高齢者の孤独死も後を絶たないようです)。また、そもそも空き住戸が増えてくると、つまり修繕費の担い手が減少してくると、修繕費の負担ができなくなります。マンションの価値の下落に歯止めがかかることはありません。そんなマンションに相続人も住もうとは思いません。

 

著者は、空き住戸が増え続ける事態をマンションの「スラム化」のはじまりとして警鐘を鳴らします。「新陳代謝」しないマンションの行く末は悲惨です。修繕の行き届かないくたびれた建物に、住民がぽつんぽつん・・・ マンションという共同体は崩壊へと至るのです。

 

今新しいマンションでも結局は同じです。著者によれば、今後も新築マンションは供給され続けます。高齢化・人口減少が終わらない限り、今新しいマンションもスラム化の恐怖からは逃げられません。

まずは問題に目を向けること

他にもマンション管理組合の機能不全問題など、興味深い問題が示されます。マンション所有者(区分所有者)としての義務を果たさず権利だけを主張し、管理組合の円滑な運営を妨げる身勝手なクレーマー高齢者の話などは読んでいてうんざりするほどです。しかもそれが特殊ケースではなく、クレーマーに高齢者が目立つようになっているとのことです。歳をとったら人間ができてくるというのは正しくないようです。

 

今後ますます高齢化・人口減少が進みます。本書を読むと、マンションに明るい未来はないと思えてきます。

 

著者はこうした問題に対する処方箋も示しています。いずれも納得できるものです。ですが、それらは「私権」の制限を伴うもの、つまり社会生活の基盤である私たち自身の権利にメスを入れる必要がある大改革であったりします。著者も認めるように、簡単にできることではありません。問題の解消への道は険しいとの印象を受けます。

 

とはいっても、「首都圏での居住形態は完全にマンションが「主流」」となっている現在、こうした問題から目を背け続けることはできません。私は、マンションの抱える抜き差しならない問題を可視化した著者の功績は大きいと考えます。本書が多くの人の目に触れ、問題が周知されることを望みます。

マンションは買わないほうがよい

ここで、著者の”マンション購入”についての考え方を簡単に整理しておこうと思います。整理しておいたほうが、私自身がもしものときに参照しやすく便利と思ったからですw

 

著者は新築マンションについて次のように述べます。

 

新築マンションは、まっさらな土地の上に新たに建物を建てるので最新性能の住宅設備が備えられ、耐震性も十分に確保された安心・安全な買い物と映ります。  しかし、新築であるがゆえにかかるコストも、買主が負担していることに注意が必要です。一般的に新築マンションの価格には、分譲価格のうち約三〇%程度の経費が含まれているといわれます。土地を仕入れるのにあたっての諸経費、土地の整備費、土壌汚染や液状化がある場合はその対策費、既存建物の解体費、建物を建設する際にかかる近隣対策費、電波障害対策費、販売するための販売センターの設置費、維持管理費、販売会社に販売業務を委託する委託費、デベロッパーとしての本部経費などを積み重ねたうえで、利益分を上乗せして販売するからです。

 

製品でいえば原価に相当する土地・建物の価格に間接費用が上乗せされた新築マンションは、不動産価値という意味で必ずしもお得な買い物とはいえないのです。

 

建物、土地以外の諸経費は、新築マンション購入者によってまかなわれる仕組みのようです。そうした価格に見合った価値が(あるわけが)ない新築マンションを買う人に対して著者は辛辣です。

 

これを喜んで買うという行為は、車を新車で買うという行為とほとんど同じ動機と言ってもよいのかもしれません。つまり、見栄やプライドに近いものなのです。

 

こう言われると、ついつい新車を買ってしまう私は見栄っ張りなのかと考え込んでしまいますが、それはさておき、著者はさらにはこんな皮肉交じりの言葉も。

 

新築マンションはどちらかといえばデベロッパーが勝手に決めつけたライフスタイルをモデルルームという器で訴えかけて、顧客の購買意欲を誘おうとしているものともいえます。  実際の生活においてはモデルルームのような暮らしをすることはありえないのですが、不思議なことにこのモデルルームの魔力は多くの顧客に新しいマンションでの新しい生活を夢見させるのにおおいに役に立っているようです。いわば、マンション購入のためのテーマパークと呼んでもいいのかもしれません。

 

著者によれば、「不動産のプロはマンションは築五年から一〇年の中古マンションを購入するのが一番お得」と考えているようです。諸経費分の負担がないのはもちろん、それぐらいの築年数なら、「設備機器はほぼ最新のものであるし、まだ修繕や更新は必要としません」。また新築物件を買うような「青田買い」のリスクもないわけです。

 

著者が新築マンション購入に否定的であるのは一目瞭然です。

 

不動産のプロである著者は、実際のところ中古マンションですら購入を勧めません。マンションに住むなら賃貸がよいと主張します。

 

賃貸住宅としてのマンションは借りる側にとってはまことに都合のよいものです。短期間暮らすには利便性がよく、住戸の管理がしやすく、安全性の高いマンションは都会の棲家としては格好の住宅です。賃貸であれば、自身の人生の変化、リストラにあう、事故でけがをする、病気になる、地震などの天変地異に遭遇する、様々なリスクが身にふりかかっても「住み替えて」しまえば大きな負担を背負い込む心配はありません。  ましてや二五年後、子供は(いたとしたら)独立して家には夫婦のみ。場合によっては妻と離婚しているかもしれないし、病気になっているかもしれない。人生には想定しなかったような様々な変化があるものです。その時々の状況に応じてその時点の自分の身の丈にあった住居に住み替えていくには、賃貸住宅は価値が高いといえるかもしれません。

 

家賃は「もったいない」のではなく、住むための「必要コスト」とわりきれば考え方も変わってきます。家賃が高くなれば、身の丈にあった別の住戸に移り住むことも自由です。  このように考えると、マンションは賃貸資産として考えるのが一番自然かもしれません。

 

本書を通してマンション問題を叩き込まれた私にとって、著者の主張はまったくもって理にかなっているように思われます。

 

田舎暮らしの私がマンションに住むことはないと思いますが、もしマンションに住むようなことになったらとりあえず賃貸にしておこうと思いました。

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読書感想 : 『寝ながら学べる構造主義』

 

『寝ながら学べる構造主義』 内田樹 文藝春秋 (2002/6/20)

著者は入試問題で引っ張りだこの内田さんです。

国語の入試問題としてよく使われる作家の一人が内田さんです。引っ張りだこ状態といっても過言でないと思います。中学受験、高校受験、大学受験いずれにおいても、問題を解いていると内田さんの文章に頻繁に遭遇します。

 

おそらくここ15年ぐらいの間に受験を経験した方は、どこかで内田さんの文章を読んでいるのではないかと思います。

 

そんな内田さんの本がKindle日替わりセールで出ていたので読んでみることにしました。

構造主義の入門書です。

本書は構造主義の入門書です。

 

内田さんはまず、構造主義の基本的な考え方を示します。

 

構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。  私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

 

これだけ読めばとりあえず構造主義がなにかわかります。要するに、私たちは、私たち自身が自分たち自身のことをコントロールしていると思いっていますが、それは錯覚であっって、私たちに先立つなにものかによって私たちは常にすでにコントロールされているということです。

 

こうした定義付けに続いて、内田さんは構造主義を築き上げた思想家8名について簡にして要を得た説明を加えていきます。彼らは共通して、”私たちは私たちに先立つなにものかにコントロールされている”ことに注目しました。

 

①構造主義が生まれるための「地ならし」をした思想家

マルクス 

「どの階級に属するかで人間は見え方がかわる」

 

フロイト 

「人間が直接知ることのできない心的活動が人間の考えや行動を支配している」

 

ニーチェ 

「人間はほとんどの場合、ある外在的な規範の「奴隷」に過ぎない」

 

②「構造主義の父」

ソシュール

「私たちの経験は、私たちが使用する言語によって非常に深く規定されています。」

 

③「構造主義の四銃士」

フーコー

「「いま・ここ・私」をもっとも根源的な思考の原点と見なして、そこにどっしりと腰を据えて、その視座から万象を眺め、理解し、判断する知の構えをフーコーは「人間主義」と呼」んで批判します。

 

バルト

ソシュールの考え方を発展させました。

 

レヴィ=ストロース

「人間は生まれたときから「人間である」のではなく、ある社会的規範を受け容れることで「人間になる」」

 

ラカン

ラカンは精神分析の専門家で、フロイトの考え方を発展させました。

 

 

かなり簡単ではありますが、以上が本書の内容です。私は構造主義についての理解はこれでもう十分です(笑)

「寝ながら」でも読めるわかりやすさです。

内田さんも認めているように、構造主義者の文章は難しい。ですが本書に難しいところはありません。例え話をはさみながら、構造主義のポイントをわかりやすく解説してくれます。私は座って読みましたが、タイトルの通り「寝ながら」読んでも内容がサクサク頭に入ってくると思います。

 

内田さんの手際の良さに脱帽です。

 

構造主義を学ぶ初めの一歩としてお勧めできる一冊です。

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読書感想 : 『シャープ崩壊--名門企業を壊したのは誰か』

 

『シャープ崩壊--名門企業を壊したのは誰か』 日本経済新聞社 日本経済新聞出版社 (2016/2/18)

”シャープ=いけてる会社”でした。

たしか中学生のときだったと思います。両親が私たち兄弟にシャープ製のCDプレーヤーを買ってくれました。そのCDプレーヤーは、二つのスピーカーのあいだに置かれたタッチパネルで操作するようになっていました。今ではスマホをはじめ、ディスプレーにタッチして操作するのはめずらしくありません。ですが、当時それをみたときはただただかっこいいと思い、音楽を聞く以上にタッチパネルをいじっては悦に入っていたものでした。

 

それ以来、”シャープ=いけてる会社”、そんな風に私の頭にはインプットされていました。そんなシャープがいつのまにやら本書で描かれるような苦境に陥ってしまっていたとは・・・ 

シャープの転落の経緯を描いた本です。

本書は、液晶事業で大成功をおさめ、この世の春を謳歌していたものの、「投資の失敗」、「人事抗争」により経営危機へと「瞬く間に転落」「崩壊」していくシャープの経緯を克明に追ったものです。

 

また、本書ではシャープ創業者の早川徳次さん以来のシャープの歴史にも随時触れられ、シャープが一町工場から一大企業へと駆け上っていく軌跡も描かれます。著者(達)は、栄光の軌跡を対照することで、シャープのDNAの崩壊(忘却、か)という点からも、シャープの「崩壊」の経緯を浮き彫りにしていきます。

 

綿密な取材と、今だけでなくこれまでのシャープ全体を俯瞰する視点。本書はその両者を兼ね備えた、良質な、そして何より面白いルポルタージュです。私は興味津々で一気に読みました。

シャープ崩壊の原因は経営陣のお粗末ぶりです。

液晶のシャープ。

 

CMなどで一般消費者に刷り込まれたコピーです。たしかにシャープは液晶事業で力を伸ばし、「1.5流」から1流メーカーへの仲間入りをしました。ただ、液晶の成功によってシャープは液晶頼りの経営をすすめることになり、その結果自分の首を締めることになります。堺工場建設という巨額投資です。設備投資を回収する前に、液晶はコモディティ化し、値崩れしてしまいます。

 

なんであれ売れる製品は真似されて安くなるのは、グローバル経済下においては常識です。シャープの経営陣は、液晶は特別でありコモディティ化を免れると踏んでいたわけです。そうした先見性のなさが投資の大失敗を引き起こしたといえます。

 

さて、たしかに巨額投資の失敗は痛い。

 

ですが、誰にでも失敗はあると思います。投資の失敗は一大事ですが、常に成功する投資はありません。個人であれ、組織であれ、失敗後にいかに対応するかが重要です。シャープほどの大企業なら失敗を取り戻す体力もあったはずです。崩壊を免れることもできたはずです。

 

そうはなりませんでした。

 

皮肉なことに、シャープの今日の経営危機を招いたのは、液晶テレビで世界の一流家電メーカーの仲間入りを果たす原動力となった2人の経営者の「対立」がきっかけだった。第4代社長の町田勝彦と、第5代社長の片山幹雄である。  町田は2007年、49歳だった片山を社長に引き上げた。若手のときからエース技術者だった片山は、「液晶のプリンス」として出世の階段を駆け上った「秘蔵っ子」だった。だが、片山が主導して大阪府堺市に建設した世界最大級の液晶パネル工場(09年稼働)が失敗に終わると、2人の間には亀裂が入る。周囲を巻き込んだ激しい人事抗争が繰り返され、経営は迷走していく。

 

「片山さんが液晶なら、浜野さんが太陽電池という具合に、お互いが競うように投資するんですから異様でした」。当時の幹部は振り返る。ある日、重要な情報を周囲から知らされた浜野は「社長に言わなくてもいいんですか」と聞かれ、こう返したという。「会長にはお伝えしておく」。社長を〝裸の王様〟にするということだ。社長の片山と、実力副社長の浜野が対立していては、経営が混乱するのは当然のことだ。

 

シャープは投資の失敗を機に人事抗争にはまりこんでいきます。町田さん、片山さん、浜野さんという経営中枢の3人が、競争意識から、会社全体の利益はそっちのけで自身のプライドを守るための経営指示を出していく。社員はこれを、首が三つある怪獣にかけて「キングギドラ経営」と呼んでいたようです。

 

人事抗争によって、失敗からの回復は大きく道を阻まれます。

 

ではキングギドラ経営のあとはどうだったか。

 

片山さんの後をついだ奥田社長は、人事抗争の果ての落とし所として選ばれた「人畜無害」の人だったようです。そんな人ですから指導力を発揮することなく終わります。

 

「奥田は社長の器ではないね。人の心はつかめないし。決断できないから。前に進めようというときにあの人は決断できない。(以下略)」

 

その後の高橋社長は、人事抗争の弊害をなくすためOB切りを断行しますが、中身は、がんばればなんとかなる!的な精神主義一本槍の経営能力のないかたでした。

 

高橋はトップでありながら「僕はビジョンを決めない」と言い続けてきた。「自分が言うと周囲が萎縮してしまうから」という理由だ。ただ、高橋が風土改革という名の精神主義にばかり気をとられ、方向性を決めなかったことが構造改革を停滞させ、危機再燃を招いたのは疑いようのない事実だ。

 

「高橋(興三)さんは取引先金融機関から『社長にふさわしくない』という趣旨のことを言われたようです。足元の業績は予想以上に悪化しているし、リーダーシップも期待できない。高橋さんは顔面蒼白で、『会社を何とかしてほしい』と懇願するので精一杯だった……(以下略)」

 

奥田さん、高橋さんは、キングギドラ経営でぐちゃぐちゃになったシャープを立て直すどころか、無為無策で時を浪費し、シャープの傷口を広げていってしまいます。この間、見通しのつかない将来への不安に加えて自社製品買いを金額を決めて強制(自爆営業)されたりと、ますますもって社員のモチベーションも下がり続けていきます。

 

こりゃうまくいくはずない。

 

シャープの崩壊の原因が、経営陣のお粗末ぶりにあるのがはっきりわかります。 

優秀な人たちのはずなのに・・・

シャープといえば、日本人の誰もが知る名門企業です。つまり、採用試験の狭き門をくぐり抜けた選りすぐりの学生だけが就職できる企業です。そして、そうした優秀な人たちのあいだでの出世競争に勝ち抜いた人だけがなれるのが、会社役員であり社長です。

 

名前をあげた町田さん、片山さん、浜野さん、奥田さん、高橋さんも、それぞれ確かな実績を残して会社に貢献し、出世競争に勝ち抜いてきたかたたちです。

 

それなのにどうしてこんなことになるのでしょうか。そろいもそろって経営者不適格とは・・・ 

 

雇われる側の能力と経営側の能力とは別物なのでしょうか。組織で働いたこともない私が判断できることではなさそうですが、どうしてもそのように感じてしまいます。

 

経営者が企業の盛衰を握っている以上、経営者が"経営者として"優秀でなければ会社の不幸につながります。忠誠を誓い長きにわたって会社に貢献してきたからといってそうした人の中から経営者を選ぶよりも、実績のある経営者を高給でヘッドハンティングするほうが合理的なのではないか。本書を読んで、私はしみじみそう思いました。

 

例えば外部から日産の社長になったゴーンさんは高給取りなのを批判されることもありますが、会社全体の利益を考えれば安いものでしょう。ゴーンさんがいる限り日産がシャープのようになるのは想像できません。なにかあってもなんとかしてくれそうです(笑)

シャープの今後

シャープは台湾の鴻海精密工業の傘下にはいることが決まりました。

 

これからシャープはどうなっていくのでしょうか。目の付け所がシャープな製品を再び世に送り出していく企業へと蘇るのでしょうか。はたまた鴻海の下請けの部品製造工場のようになっていくのか。

 

いけてるシャープの復活を祈りつつ、今後の動きに注目していきたいと思います。

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読書感想 : 『ニューカルマ』

 

『ニューカルマ』 新庄耕 集英社 (2016/1/10)

ネットワークビジネスに絡みとられていく若者の物語です。

本書はネットワークビジネスにはまり、堕ちていくいく若者の物語です。ちなみにネットワークビジネスとは、一昔前でいうところのマルチ商法、ネズミ講のことです。

 

ネットワークビジネスに絡み取られていく主人公ゆうきを通して描かれるネットワークビジネスの闇。読者はその闇を追体験することになります。ただし、闇にとりつかれつつも感情(と懐具合)の浮き沈みを繰り返す主人公とは違って、読者は一貫して嫌な気持ちを深めながらの追体験になります。小説になんらかの救いを求めたいかたには、お勧めできない作品です。著者は全体を通して淡々と筆を進めます。私にはそれががえって、ネットワークビジネスの闇の深さを際立たせているように感じられました。

 

さて、私はこれまでネットワークビジネスに手を出したことがないのはもちろん、交友関係が狭いのがばれてしまいそうですが、その手の勧誘を受けたこともありません。ただネズミ講はやばい、と聞き知っているだけでした。ネットワークビジネスは、振り込め詐欺のように大々的に注意喚起されるようなこともなかったのではないかと思います。私はそれが具体的にどういうものか、そしてそれの何がやばいのかは知りませんでした。 

 

本書を読むと、ネットワークビジネスのなんたるかがわかります。そして、ネットワークビジネスのやばさの正体がわかった気がします。

 

以下では、やばさのほうに焦点を絞って感想を書いてみます。

”人間関係”が”お金の関係”にされてしまいます。

念のため確認しておきます。ネットワークビジネスは不労所得を得ることを目的とします。その源泉は自分の子分となる会員です。子分が商品を販売すると親分のもとにキックバックが入ってくる。したがって、子分が多ければ多いほど親分の収入が増えていきます。つまり、どれだけ子分を集められるかがネットワークビジネス成功の鍵となります。

 

主人公ゆうきは、将来に対する不安からネットワークビジネスに足を踏み出す。そこでまず最初に求められることが「見込み会員リスト」の作成です。

 

ご家族、ご友人、職場の人、近所の人、よく行くお店の人、昔の同級生、誰でもいいんです。とにかく思いついたら書く。手を動かす。

 

上役からこのように指導され、身近な交友関係から子分候補者をリストアップしていくことになります。

 

ゆうきははじめはリストアップすることにすら躊躇します。ですが、徐々に会員を集めるためには背に腹は変えられないとばかりに、持てる人脈をフル活用して勧誘活動にのめり込んでいきます。執拗な勧誘に、ついには友人から見捨てられ、会社同僚からも白眼視されることになります。

 

ネットワークビジネスのやばさは、私はここにあると思います。

 

ネットワークビジネスは「人脈」が重要であるという。たしかに人脈を重視しています。しかし、ネットワークビジネスは、家族、友人ですら、自分の子分として金のなる木にしてしまおうという発想です。ネットワークビジネスにおいて人脈はすべてお金の関係に置き換えられてしまいます。

 

家族や友人はお金の関係ではありません。職場の人も、お金を得るために共同して働いているとはいえ、単純にお金だけの関係とは言えないはずです。そうした人間関係をお金だけの関係へと変換しようとされたら、誰だって拒絶反応を示します。

 

私たちはまず第一に、家族、友人をはじめとする人々との人間関係に埋め込まれ、それに支えられて生きています。ネットワークビジネスはそうした私たちの基盤となる関係を切り崩していくわけです。

 

ネットワークビジネスに手を出したほとんどのかたは失敗するようです。お金も手に入らず、それだけでなく人脈も失う。手をだしたらほんとうに何も残りません。ゆうきもすべてを失います。

 

ネットワークビジネスで成功し大金を手にする人もいるとは思いますが、成功者も人脈を切り売りすることには変わりありません。お金の関係に還元されてしまう人間関係だけで生きていくことになります。それが幸せとは思えません。それは頼れるのはお金だけというのと同じですから。

ねずみ講のやばさは資本主義のやばさ

ねずみ講、これが、お金が殖える理由であり、経済成長がプラスを持続するメカニズムであり、資本主義の本質なのです。

 

以前に読んだ本(『すべての経済はバブルに通じる』)の一節です。それ以来ねずみ講という言葉を耳にすると、私はついついこの言葉を思い出してしまいます。

 

この本は経済学者が経済現象について書いたものです。人間関係どうこうという話は出てきません。ですが『ニューカルマ』を読み、ネットワークビジネスのやばさの本質が、”人間関係のお金の関係への還元”にあると学んだ今、その一節が新たな装いを持って私に迫ってきているような気がしています。

 

ねずみ講のやばさは資本主義のやばさ・・・ 資本主義は人間関係を蝕んでいくものなのか・・・

 

こんな視点も頭の片隅に入れておこうと思いました。

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勉強法 : 古文・漢文も音読!古文・漢文も外国語です。

音読、暗唱できるようになるまで音読

古文・漢文の授業についていけない。古文・漢文の点数がよくない。かといって何をすればよいかわからない・・・

 

そんなときは教科書を音読してください。

 

中学生になると、『枕草子』や『平家物語』といった有名な作品の冒頭部分を暗唱させられると思います。あれと同じことを教科書に出てくる文章についてやるのです。

 

中学生でしたら教科書全文、高校生でしたら、できれば全文ですが、少なくとも1/2ぐらいを暗唱できるようになるまで繰り返し音読してみてください。

 

音読していると、助動詞の接続(例えば「べし」は終止形に接続)といったことが自ずと身についてきます。つまり、古文や漢文のリズムが身についてきます。それだけで古文・漢文がわかってきた実感が持てます。点数も上がってきます。

古文・漢文も外国語です。①

ここまで書いたことは、以前に英語の勉強法について書いた記事と内容は同じです。古文・漢文も英語と同様、音読を徹底することが効果的です。

 

ところで、英語に比べ、古文・漢文では音読(発音)を勉強に取り入れている受験生は少ないのではないかと思います。学校や塾でも英語の音読に熱心なところはあっても、古文・漢文の音読についてはおざなりですまされているように見受けられます。

 

その違いのもとは、古文、漢文が日本語の延長として捉えられているからではないかと私は推測します。

 

英語は外国語です。本文に日本語は使われていません。そのため指導者の皆さんも生徒さんも、新たな言語を習得しようという姿勢で勉強に臨むことになり、音読(発音)にも気を使うようになる。

 

それにひきかえ、古文・漢文は”国語”という科目に分類されています。本文に漢字、平仮名、カタカナが使われています。そのため、私たちは国語、つまり日本語を学ぶ姿勢でそれらに向き合ってしまいます。その結果、日本語ネイティヴの私たちは、古文・漢文については音読に重きをおく必要を感じることはありません。音読といっても、”日本人の教養”として、有名作品の冒頭部分の暗唱のみで事足れりとしてしまっているのだと思います。

古文・漢文も外国語です。②

古文・漢文と現代日本語との関係性について、私も厳密なところを知っているわけではありません。

 

ですが、こと受験勉強という点に限っては、古文・漢文も英語と同じように外国語を学ぶつもりで向き合ったほうがよい。単語の意味も違えば、文法も違います。日本語が使われているからといって、現代の日本語が読めればそれで古文もなんとかなるというつもりでやっていると、いつまでたっても古文・漢文で点数が取れることはないと思います。

 

また、外国語を学んでいるつもりでやったほうが、現代日本語の知識を持っているための誤った思い込みをいれずに文章を読むことができようになります。外国語と割り切っていれば、例えば古語の「をかし」に現代語の「おかしい」の意味を当てはめるようなことはなくなるはずです。

 

繰り返しになりますが、私は古文・漢文も外国語として向き合うのがよいと考えています。外国語を学んでいるのだと頭を切り替えて、英語を学ぶようなつもりで古文・漢文を勉強してみください。

 

古文・漢文も英語と同じくまずは音読です。効果を約束します。

この参考書の最後に暗唱のための文章(「暗唱例文」)が挙げられています。著者が「試験にでる句形と重要漢字だけで書かれた漢文があったら、さぞ便利だろう」と考えて作り上げた文章です。暗唱すると、大学受験の必須事項がもれなく身についてしまう優れものです。教科書本文の暗唱で物足りなくなったら、漢文についてはこちらも試してみてください。

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歩く : 筑波山

この前の日曜日に、早起きして筑波山に行ってきました。

 

関東平野の真っ只中にポツンと、そして凛々しくそびえ立つ山。それが筑波山です。そんなロケーションのため、筑波山は四方どこからでも山全体を一望できる貴重な山でもあります。とくに筑西方面からは、つまり筑波山の北西方面からは、筑波山の二つの峰(女体山と男体山)がバランスよくわかれて見えて、その凛々しさが際立ちます。その佇まいは、凛々しさとともに美しさをたたえながら、見る者にえもいわれぬ幸福感と安心感を与えます。少なくとも小さい時から筑波山の姿に慣れ親しんだ私は、そうしたもの感じてしまいます。

 

筑波山の周辺地域の校歌には、だいたい”筑波”という言葉が入っているようですが、それも納得です。故郷の誇りとなっているのだと思います。先日、指導させていただいている栃木県小山市の生徒さんからも、校歌に”筑波”が入っていたと伺ってびっくりしました。筑波山の威光は茨城にとどまらず、遠く栃木にも及んでいるようです。

 

見る者を魅了してやまない筑波山ですが、筑波山は来る者にとっても魅力的な山です。筑波山は私のお気に入りの歩きコースの一つで、年に4、5回は歩きます。今年はこれで2回目になります。天候にも恵まれ、気持ち良く歩いてこられました。以下はその記録です。

りんりんロード筑波休憩所からスタート。桜がきれい!満開でした。

スタート地点から見える筑波山。

登り始めます。一つ目の鳥居、白い鳥居が見える。

歩き始めて20分ほど。もう暑い。上着を脱いだ。

赤い鳥居。遠くからでも見える筑波山中腹の鳥居です。

ジオパークになりたがっているようです。ジオパークになるとどうなるのだろうか・・・

筑波山神社に到着。登山の無事を祈ります。

ここからが本格的な登山道。御幸ヶ原コースを行きます。

男女川(みなのがわ)に到着。この川にちなんだ歌があります。私が唯一知っている百人一首の歌です。

 

筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは) 恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる

              陽成院

あと少しで御幸ヶ原です。

御幸ヶ原に到着。まだ時間が早いのでほとんど人がいません。

女体山山頂へ。

女体山山頂の神社です。

女体山山頂。私一人。景色を独り占めです!

 

 

白雲橋コースで下山します。結構な岩場。鎖場もあります。

というわけで、安全のため手袋をします。

”大仏岩”。筑波山にある名前の付いている岩の一つ。言われてみればそう見えないこともない・・・

徐々に人が増えてきた。

白雲橋コースの出口です。

筑波山神社に戻ってきた。時間も早いのでもう1周することに。改めて登山の無事を祈ります。

運良くケーブルカーのすれ違いに遭遇。急いでシャッターを切りました!ぎりぎりまにあった。

二度目の御幸ヶ原。混み合ってきた。

今度は男体山へ向かいます。

男体山山頂と神社。

今度は下山も御幸ヶ原コースを使います。

筑波山神社近くのケーブルカー駅付近。

赤い鳥居を抜けて下山します。

スタート地点に戻ってきました。ゴールです。ガラガラだった駐車場に車が所狭しと並んでいました。

 

 

御幸ヶ原、女体山山頂、男体山山頂からの景色です。

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読書感想 : 『かんたん解説!! 1時間でわかる 電力自由化 入門』

Kindleセレクト25で購入。

電力自由化の入門書

この4月から電力自由化がはじまりました。

 

電力会社切り替えの営業を受けたこともあり、電力自由化を受けて世間が動き出しているのは知っていました。ですが、私は電力自由化ときいても、どの電力会社から電気を買ってもよくなったというぐらいの知識しかありません。というわけで、とりあえず電力自由化についての基本的な知識ぐらいは入れておこうと思い、タイトルに惹かれ本書を読んでみました。

タイトル通り1時間でわかる!

本書は、東京電力などによる地域独占体制から現在の電力自由化に至る歴史的経緯と、先行する諸外国の電力自由化事情に簡単に目配せしたのち、電力自由化による概論的なメリット、デメリット、続いて、企業、自治体、家庭それぞれに生じる具体的なメリット、デメリットを紹介します。そして最後に、電力自由化がもたらす未来についてのかなり具体的な考察がなされます。

 

いずれの話もとてもわかりやすくてサクサク読めます。ポイントを押さえた挿絵もあり理解を助けてくれます。タイトル通り1時間で電力自由化についての一通りの知識を手にいれることできました。

電力自由化の波に乗りたい、けど・・・

本書を読んで電力自由化の概要はわかった。それで十分満足なのですが、せっかく知識を仕入れたのだから、できたら電力自由化の波にうまく乗りたい!さしあたって一般消費者が具体的にできることといえば、お得な料金プランをしっかり選ぶことでしょう。 

 

さっそくネットで茨城県で申し込み可能な料金プランをチラ見してみました。数が多すぎる...

 

電力自由化の最大のメリットは、なんといっても様々な電力会社によって様々な料金プランが提案されるようになることです。消費者の選択の幅が広がります。

 

たしかにそれはよいことなのでしょうが、選択肢が多すぎて私はどれがお得なのかとても判断がつきそうにありません。

 

著者は、そのうち電力会社のレビューサイトや口コミサイトがでてくるだろうと予想しています。なるほど。たしかにそうなりそうです。

 

すぐにでも颯爽と電力自由化の波に乗りたいところですが、急ぐことでもありません。私はとりあえずそうしたサイトがでてくるのを待つことにします^^;

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読書感想 : 『元国税調査官が告白する税務署の残酷なホンネ: 節税か? 副業か? 冷酷な大増税時代、マイナンバー監視社会を生き抜け!』

Kindleセレクト25で購入。

羊頭狗肉かな・・・

元国税調査官の著者が「税務署の残酷なホンネ」を告白する本、という触れ込み。

 

だが読んでみると・・・ 内容はそうではない。ずれがあります。

 

実際に書かれているのは、著者の半生を振り返りながらの自己紹介と、自己啓発的な著者の時代診断と人生哲学。これが大半です。つまらないわけではありませんが、とりたてておもしろいわけでもありません。

 

本論であるはずの税務署のホンネに関わる話では、税務調査の実態や調査官の思考回路といった一読の価値ありの情報も含まれています。だがその分量が少ない。また、「(警告)政府から発禁処分を受ける前に購入することをお勧めします!」という本書の宣伝文句から、スリリングな内部告発的なものを予想していたこともあり、この内容では正直言って期待はずれの感が否めません。

 

タイトルがよくないのではないでしょうか。『元国税調査官のホンネ : これまでとこれから』。内容に忠実であるならタイトルはこんなところだと思います。

 

どうやらKindleセレクト25にもずれ、でなくて、はずれはあるようです。 

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読書感想 : 『非常識な建築業界~「どや建築」という病~』

 

『非常識な建築業界~「どや建築」という病~』 森山 高至 光文社 (2016/2/20)

建築業界の非常識の内部告発本です。

新国立競技場問題がマスコミを賑わせていたころ、インターネットのニュース番組、ビデオニュースに出演していたのを拝見したのが、私が著者の森山さんを知るきっかけでした。

 

森山さんは新国立競技場建設計画の杜撰ぶりとお粗末すぎる実行プロセスを、とてもわかりやすく説明してくれました。新国立競技場建設はオリンピックも見据えた、いわば国家の一大プロジェクです。頭のいい人が集まってやっているはずです。にもかかわらず、その中身の体たらく・・・ 森山さんの解説を聞いていて、日本だいじょうぶか、と僭越ながら思ってしまったのを覚えています。

 

さて、本書は建築業界の非常識な現実を広く知らしめることを目的とします。森山さん自身が建築家で、業界の内側の人間です。よって本書は内部告発の本とも言えます。内側を知り尽くした著者による本であるだけあって、話はとても具体的で、建築業界の抱える問題点がはっきりと理解できます。

「どや建築」を生む「オリジナル幻想」

本書の章立てに従って、建築業界の非常識が5つに区分けして挙げられます。

 

私はその中でも、本書のタイトルにもなっている「どや建築」に直接的に関係する非常識の話がおもしろかった。

 

「どや建築」、つまり「どや顔をした建築」とは、建築家の自己顕示欲が勝ちすぎてしまい、そのエリアの地域性や歴史を否定、あるいはそれに対抗しているような「ネガティブなインパクト」を与える建築です。その一例としてあげられるのが、ザハ・ハディドさんの当初採用されていた新国立競技場の設計案です。たしかに、あの宇宙船のような建物が神宮外苑の景観にマッチするとは思えません。

 

そうした建築が生まれる背景には、建築家(著者は、そういった設計をする建築家を「建築家」と区別して、冷ややかに「表現建築家」と呼んでいます)の過剰なまでの「オリジナル幻想」があるようです。

 

オリジナル幻想とは「とにかく新しく独創的なものをつくらなければならない。独創的でなければ誰からも評価されない」という強迫観念をいいます。「幻想」ですから実在する要求ではありません。建築家以外の関係者は誰一人独創的なものなど望んでいなくとも、自発的にそのような目標設定をしてしまうのです。特にバブル期以降に活動を始めた建築家の多くが、このドグマに侵されています。

 

一般大衆からの評価を建築家は気にしていないようです。建築家は建築業界内部だけで通用する常識に支配され、一般大衆の常識からはかけ離れていきます。するとこうなります。

 

雨漏りにしろ、火災にしろ、外壁の剝落にしろ、みずから設計した建物に不具合が生じれば、建築家としては立つ瀬がありません。事故に巻き込まれた方はもちろん、設計を依頼してくれたクライアントにも申し訳ないですし、建築家としての社会的信用にも傷がつきます――と、読者のみなさんは思われるでしょう。  

 けれど、建築家本人は私たちが心配するほど気にしてはいません。なぜなら、業界内における建築家の評価は性能面の瑕疵などを評価の対象から外したところで行われるのが一般的だからです。火災は特殊な例かもしれませんが、多少雨漏りがするとか、夏暑くて冬寒いとか、動線が複雑で使いづらいとか、その手の機能上の欠点は、業界内の評価基準ではお咎めなしなのです。

 

著者によれば「どや建築」にすればするほど構造上の問題が生じやすくなり、耐久性、利用しやすさといった機能性は犠牲になっていくようですが、表現建築家はそういうことも気にしないようです。利用者は目に入っていないのです。するとこうなります。

 

建築は写真表現である。

 

ある建築家の言葉です。完成して立派な写真さえとれれば、あとは野となれ山となれというわけす。

 

あまりの非常識っぷりにあきれるばかりです。

著者の熱い思いが溢れ出ています。

オリジナル幻想という非常識に力点をおいた感想になりましたが、どや建築が生まれる背景には、オリジナル幻想だけではなく、それを許すコンペシステム、歴史的、思想的文脈などの複合的な非常識が絡んでいます。

 

それ以外にも、本書ではマンション傾斜問題で巷間に流布した請負システムに絡んだ非常識などが紹介されます。

 

建築業界にはびこる非常識の根は太く深そうです。

 

かといって、悲観的な読後感を持つことはありませんでした。それは、業界の非常識に挑み実際にそれと格闘している著者の、なんとか業界を変革したいという熱い思いが行間から溢れ出ているからに違いありません。私は読後、気持ちがホカホカしてきました。

 

私は森山さんのこれからに注目していきたいと思いました。とりあえず森山さんのブログをブックマークします(笑)

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読書感想 : 『金がないなら頭を使え 頭がないなら手を動かせ: 永江一石のITマーケティング日記2013-2015 ビジネス編』

Kindle日替わりセールで購入。

人気ブロガー永江さんのブログのまとめ本です。

人気ブロガー永江一石さんのブログの、ビジネス関連のエントリーがまとめられた本。

 

永江さんのブログは、どのエントリーを読んでも必ず読者を賢くしてくれる鉄板ブログ。役に立つ情報、思わぬ気づき、新たな考え方を毎回提供してくれます。永江さんはほぼ毎日ブログを更新しており、私も更新を楽しみにしている読者の一人です。あれだけ良質な内容のエントリーをその頻度で書き続ける永江さんの博識、着眼点の豊かさ、読ませる文章力、そうした諸々ひっくるめての情報発信力にはいつも感心させられています。

顧客視点が重要です。

本書の主張の核は、顧客視点の重要性です。平たく言えば、お客さんの声、マーケットの声に耳を傾けよう、ということです。

 

これだけいうと、ビジネスは顧客あってのものである以上そんなことは当たり前だし、同様の主張をしている類書はいくらでもある、と言われそうです。

 

確かにその通りなのですが、本書の主張はグサリとささる。ありきたりの主張の単なる焼き直しではありません。

 

著者の取り上げるビジネスの失敗と成功の具体例がいちいち興味深い。それらに著者独自の視点からのユニークな考察が加えられます。マーケティング、とくにwebマーケティングの最前線の現状を随時挟みながら、いま何を考えるべきかが具体的に提案されます。本書は、読者に膝を打たせながら顧客視点の重要性を説得的に訴えてきます。

 

そして本書のもつ説得力の最大の理由は、メディア露出のない永江さんが月間100万PVのブログを作り上げたという事実でしょう。本書のもとになったブログは、顧客視点の実践のお手本を示すために書かれているということです。本書は、口だけでなく実際に成果を出している人の言葉なのです。

 

私はお客さんのことを考えているつもりでしたが、まだまだ自分がしたいこと、自分ができることに固執し、お客さんがしてほしいことを第一に考えきれていない...    本書を読んで、顧客、マーケットの求めるものにもっと真摯に向き合っていこうと自分を見つめ直すきっかけをもらいました。

お買い得だと思います。

顧客視点の重要性が本書を通底する主張ではありますが、それ以外にもなるほどと思えることがいくつも書かれています。

 

私はとくにキャズム理論がらみのお話がとてもおもしろかった。テレビ、新聞・雑誌、ネットの各メディアの現状とそれぞれが現在果たしている役割が、とてもよくわかりました。昨今テレビ離れが進んでいると言われていますが、本書を読むと、テレビは残り続けると納得させられます。

 

本書は濃密な内容に加え結構なボリュームです。値段を考えるとびっくりするぐらいです。私はかなりお買い得だと思います。

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勉強法 : 英語は音読しよう。

音読、ではなく、暗唱できるまで音読!

英語の授業についていけない。英語の点数がよくない。でも何をすればよいのかわからない・・・

 

そんなときにはこれをやってみてください。

 

教科書の音読です。

 

繰り返し繰り返しやってください。暗唱できるようになるまでやってください。中学生なら全文暗唱。高校生ですと本文の量が多いので全文は難しいかもしれませんが、各ユニットの1/3〜1/2でしたらなんとかなると思います。

 

学校によっては音読を推奨して宿題にだしているところもあります。「5回は読んでくること!」のように。

 

ですがこれでは不十分です。やらないよりはよいのですが、これでは効果は期待できません。

 

繰り返しますが、暗唱できるようになるまでやってください。音読ではなく、暗唱できるまで音読です。

 

暗唱できるようにまで音読することではじめて、英語のリズムを身につけられます。これが重要です。

 

英語のリズムを身につけられるとどうなるか。一例としては、おかしな英語をおかしいと感じられるようになります。”I are a student."のような文にはただち違和感を覚えるようになります(正しくは"I am a student.")。それだけでも英語がわかってきているという実感をもてますし、点数もあがってきます。

 

音読も決して楽なものではありませんが、とりあえずペンを持たなくてもできますし、教科書があればどこでもできます。勉強のとっかかりとしてハードルは低めだと思います。英語で何をすればよいか迷ったら、まずは暗唱できるようになるまで音読してみてください。効果を約束します。

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読書感想 : 『作家の収支』

Kindle月替りセールで購入。

作家のお金の実態が赤裸々に語られます。

作家森博嗣さんが、作家のお金に関わる実態を赤裸々に綴った本。

 

著者は徹底して正直に語ります。作家の収支についてこれ以上正直に書いてくれる本には今後出会えないと思えるほど、その姿勢は徹底しています。印税、講演、インタビュー、原作の映画化、ドラマ化、漫画化によるロイヤリティ、取材など、お金の発生するすべてについて詳細な数字があげられます。そして単に数字だけでなく、それぞれの収入が発生するカラクリについてもことこまかに説明(と考察)が加えられます。

 

こういった数字の生々しさとお金がらみの話が本書の最大のセールスポイントとなるのでしょうが、本書のよさはそれだけではありません。

 

お金の話を通して、作家というヴェールに包まれた職業の生活実態と、出版業界の裏側を垣間見せてくれます。作家という仕事への著者の向き合いかたや、作家、出版という仕事の将来についての著者の見方も示されます。こうした話も、お金についてと同様、思うところを包み隠さず率直に語っています。

 

おもしろいです。文章も読みやすく、私はぐいぐいと引っ張られるように最後まで一気に読みました。

なによりすごいのは嫌味がないこと

著者の森さんはすでに15億円以上を稼いでいるようです。よって本書は成功者の自慢本ともとれるわけです。また、お金の話となると下品な匂いがしてくるものです。

 

ですが、本書には下品さも嫌味を感じさせるところもまったくありません。これは森さんの文体なのか、人徳なのか、あるいはお金の桁が違いすぎて別世界の出来事のように思えるからなのか・・・ 理由はわかりません。それはさておき、読了後、私はこの点にある種の爽快感とともに深い感銘を受けました。

 

私は森さんの著書を読んだのは本書がはじめてです。これを機に、森さんの本を読んでみたいと思いました。まずは代表作の『すべてがFになる』からはじめてみます。

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読書感想 : 『《増補改訂版2015》本好きのためのAmazon Kindle 読書術: 電子書籍の特性を活かして可処分時間を増やそう! AmazonKindle術シリーズ』

Kindle日替わりセールで購入。

電子書籍(Kindle)デビューをお考えの方におすすめです。

本書は、Kindleで読書するための端末の選び方から、Kindleの活用法まで、Kindleで読書する方法を懇切丁寧に説明してくれます。メインターゲットは電子書籍に興味がある、が、まだ試していない人でしょう。そんなかたは、本書を読めば電子書籍デビューへときっと背中を押してもらえると思います。

Kindleに慣れた方にとっても得るものあり

かといって、すでにkindleを使いこなしている人にとって得るものがないかというと、そんなことはありません。著者はKindleを使った効果的な読書術、つまり、読書による「インプットとアウトプットの質を高める」ための具体的な方法をいくつも提案してくれています。

 

これを読むと、読書の成果をソーシャルやブログ等の電子媒体でアウトプットするには、紙の本よりもKindleで読書したほうが手軽にできるのがわかります。それと、Kindleを使ったほうがインプットとアウトプットの一体性が強まり、記憶に残る読書がしやすいのではないかと思えてきます。

 

Kindle使用歴の長い私にとっても教えられることが多々ありました。とくに、著者おすすめのEvernoteと連携させるやり方は興味深く、ぜひ試してみたいと思いました。

念のため付け加えておくと、著者は電子書籍を持ち上げ、紙の本を否定してるという態度をとっているわけではありません。紙の本には紙の本にあった読書状況があるとしたうえで、電子書籍のメリットを語っています。”紙の本派”(←仮にこんな派閥があるとしてですが)の人にとっても、反感を覚えることなく安心して読み進められる本になっています。

Kindleと私

本書のはじめのころに、「なにより私の生活の中に読書という習慣を取り戻すことができたのは電子書籍の影響が大きい」という言葉があります。社会人になると、読書する時間がとりづらくなる。そんな状況を変えてくれたのが電子書籍だったと著者は言っています。

 

激しく同意します。私も電子書籍が身近になったことで、減少傾向にあった読書時間がV字回復しました。なにより隙間の時間に手軽に読めるようになったのが大きい。それに伴い、読書自体が生活の中にしっかりと根を下ろしました。電子書籍だと再販の縛りがないので紙の本より安く買えるのもありがたいです。

 

私は電子書籍と出会えて生活満足度がかなりアップしています。

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読書感想ブログも引越してきました。

年度替りを機に、よそでやっていた読書感想ブログもこちらのウェブサイトに書くことにしました。

 

どうぞよろしくお願いします。

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歩く: りんりんロード(筑波休憩所〜小田城跡〜筑波休憩所)

かつて岩瀬駅と土浦駅を結ぶ筑波線という電車が走っていました。廃線後、その跡地が自転車道として整備されました。それがりんりんロードです。駅があった場所はトイレ、ベンチなどが設置され休憩所となっています。いまでは沿道の人々の憩いの場所になっているようです。

 

そんなりんりんロードは、私の好きな場所の一つでもあります。

 

りんりんロードは岩瀬〜土浦間で全長40キロあるのですが、今回は、そのうちの一部、筑波休憩所〜小田城跡を歩いてきました。

筑波休憩所がスタート地点。藤沢休憩所方面に向かいます。

筑波休憩所はこんな感じです。写ってはいませんが、自転車乗りの人が何人かいらっしゃいました。歩いている途中も自転車乗りの人と数多くすれ違いました。

歩き出して2、3キロ付近。振り返って筑波山を撮った。

桜がきれいに咲いていた!!

たんぽぽ。

アスファルトからつくし。つくしは強い。

カスミの横を通過。

このあたりは竜巻で被害を受けたところだと思います。元に戻ったようでなによりです。

125号の下を通過。きれいな絵が描いてあります。

小田城跡までもう少し。

すいせんの花が咲いていた。こっちを向いてくれない。

小田城跡に到着。ついてびっくり!前に来た時は小田城跡はとくになにもなかった。それが立派に整備されていました。

石碑までできていた!

立派な建物だ。中に入ろうとしたら、入り口に張り紙があり、「4月以降に開所」とのことでした。

折り返して筑波休憩所に向かいます。

来た道を歩く。このころには、かなり風が強くなっていて寒いぐらいでした。薄着すぎた!早くゴールしたいの一心です。

野球の試合中。元野球部の私はついみてしまう。下手だったのを思い出しながら(笑)

北条ラーメン横を通過。このラーメン屋さんにはよく食べにきます。この近くにある名無しラーメンも好きです。

筑波山が大きくなってきた。あと少し。

筑波休憩所がだいたい土浦から20キロ地点ですので、あと1キロです。

ゴールです。身体が冷えた。車の中に転がり込みました。

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花粉症にはヴァセリン!

これまでの花粉症対策は効果がなかった

私は花粉症と付き合いだして25年ほどになります。スギとヒノキの花粉症ですので、2月半ばから梅雨がはじまるぐらいまでの時期はほんとうに憂鬱です。

 

少しでも症状を緩和したいと思いこれまで様々な対策をしてきました。マスクをしたり、病院に行って薬をもらって飲んだり、市販の花粉症対策グッズを試してみたり...     どれも満足できる効果はありませんでした。何か対策をしても焼け石に水と思い、ここ10年以上は”心頭滅却すれば火もまた涼し”を実践し、とくになにも対策をせずにただただ我慢してこの時期を乗り越えています。

 

周りを見れば、花粉症に悩む人は大勢います。みなさん病院に行くなど様々な対策をしているようです。ですが、ほとんど誰もが、対策の甲斐なく花粉症に苦しんでいるように見受けられます。花粉症対策が効かないのは自分だけではないようです。

 

花粉症対策に効果はない、あっても気休め程度と考えておりました。

ヴァセリン

マラソンや長時間歩くと足にマメができやすい。それはさけたい。そういうわけで、マラソンの時などは、マメ対策をします。足にクリームなどをぬって摩擦を減らします。

 

マメ対策として2年ほど前から使い始めたのがヴァセリンです。ヴァセリンがよいと教えていただいたのです。ヴァセリンはマメ対策としていい仕事をしてくれます。今では長距離を歩いたり、走ったりするときには欠かせないお守りのようになっています。

 

しばらくはマメ対策としてのみヴァセリンを使っていました。それがこの冬から、ヴァセリンを日常的に保湿に使うようにし始めました。手や顔に使うようにしたのです。

 

マメ対策としていい仕事をしてくれたように、保湿としてもヴァセリンはいい仕事をしてくれます。あぶらっぽいので多少慣れが必要ですが、ひとたび慣れてしまえば、肌を守ってくれてる感を実感しながら生活できます。

ヴァセリンは花粉症に”劇的に”効きます

今年はやけに花粉症の症状が軽いと思っていました。理由はわかりませんでした。それが先日こんな記事を目にしました。

 

花粉症の救世主?”鼻にワセリン”は本当に効くのか

 

理由はこれしかないと思いました。この記事を読んだときのすっきり感といったらなかった!

 

その後、ほかにも同様のことを書いているウェブサイトがないかみてみると、ありました。断定的に効果があると書いているものから、効果を都市伝説的なものとして書いているものまで論調は様々ですが、ヴァセリンは花粉症対策の一つとしてすでに注目を集めているもののようです。

 

それはさておき、記事によれば、ヴァセリンがどうして効くかというと、ヴァセリンを鼻にぬっておくとワセリンが花粉を吸着し、花粉の鼻への侵入をブロックしてくれるようです。

 

記事の著者の市川さんは、ヴァセリンの効果に肯定的な見解を示しつつも、「お薬とは違いますから「劇的な効果」があるかどうかはわかりません。」と、記事を結んでおられます。

 

私は「劇的な効果」がある!と言えるほど、症状が緩和されています。箱テッシュもって生活してい去年までが嘘のように、鼻をかむ機会が激減しました(ゼロになったわけではありません)。目のかゆみもほとんどなくなってきています。頭がぼーっとすることもありません。

 

試しにヴァセリンを塗らずに生活してみて、ヴァセリンの効果を対照的にチェックしてみたいと一瞬考えました。ですが、花粉症の症状が緩和されている原因がヴァセリンにあると知ってしまった以上、ヴァセリンなしで外に出るなんて今では怖くてできません(>_<) チェックはするまいと、ただちに考え改めました。

 

花粉症対策にヴァセリン。私は効果を強く実感しています。おかげで今年から春を満喫していけそうです。

 

ごくごく個人的な感想ではありますが、花粉症でお悩みの方の参考にしてもらえたらうれしいです。

ヴァセリンにはいろいろな種類があるようです。私が使っているのはこれです。

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歩く : 御徒町〜守谷駅

都内にお出かけした帰りに、守谷駅まで歩いて帰ってきました。その記録です。

 

歩いたのは3月6日(日)です。

御徒町駅近くからスタート。ここがスタート地点。

歩きはじめて10分ぐらいのところ。町名が書いてあったので、写真を撮ってみました。

隅田川に到着。渡っている橋は「うまや橋」です。

スカイツリーが見えてきた。かっこいい!テンション上がります⤴︎

スカイツリーに最接近。スカイツリーと電車がうまくおさまった今回一番のお気に入り写真。

荒川に到着。四つ木橋から。

「新宿」と書いて「にじゅく」と読みます。

江戸川に到着。

江戸川を渡ると千葉県。

松戸の市街地へ。郵便局の前を通過中。

お腹がすいてきたので、松戸駅近くで食事をとることに。吉野家で牛丼を食べました。牛丼もおいしかったけど、いただいたあたたかいお茶が全身にしみた。

松戸駅周辺を歩いています。Googleマップは、こんな細い道を指定してくる。Googleは世界中の道を知り尽くしているなってしみじみ思わされる。

流山市に入りました。このあたりから雨がぱらぱら。雨対策はまったくしていなかったので、やんでくれることを祈りながら歩きます。

柏イオン前を通過。

見ずらいですが、呼塚の交差点です。ラジオの交通情報でよく耳にする”よばつか”ってここだったんです!

長く歩いてきた6号ともお別れ。別れ際に見えたのがこの建物。とにかく大きかった!

難所、新大利根橋。大きな川の上で風が強いのに、この橋は欄干が低いところがある。歩いて渡る人にやさしくない橋だ。渡るのが怖い。以前に渡ったときの恐怖がよみがえってきた。

橋の上からの利根川。怖くて震えながら撮ってます。

守谷市に到着。あと少しだ。

294沿いのモール。守谷駅はすぐそこ。

車を止めておいた守谷駅近くの駐車場に到着。ゴールです!なんとか天気がもってくれました。

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ブログ、引っ越してきました。

これまで外部のブログ(アメブロ)をやっていました。これからは当ウェブサイト内でブログを書いていきます。

 

どうぞよろしくお願いします。

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